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第8話 仮面の告白、血染めの絵図(2)

 若き将軍、暁勇もまた心穏やならぬ日々を送っていた。

 あの日、王である景宗から屈辱的な『不問』を言い渡されて以来である。

 かつて、約束を交わした月華の変貌。恋にも満たぬ想いながらも、王の寵愛を一身に受ける身分へとなってしまった現実。

 まさしく、それは月華の父――義父になるはずだった人物――より謝罪と共に吐き出された「王には逆らえない」という嘆きの重みを、骨身に染みて突きつけるものだった。


(このまま見ているだけで良いのだろうか。いや、だが、俺になにが出来る?)


 愛用の名剣『破邪』を磨き、日々の鍛錬に没頭しようとしても、ふと息を吐いては、繰り返し物思いに沈み込んだ。

 己の率いる『百竜騎』は名に違わぬ精鋭ではあるが、所詮は王命により動く駒に過ぎない。

 この華陽国において、個の武勇や正義感など、巨大な権力構造の前ではあまりにも無力。一軍の将でしかない身では、王の決定を覆すことも、歯止めとなることも出来ぬ。


「とはいえ、今の王は、月華に心を奪われ、正常な判断を失いつつあるのではないか。その疑いは拭いきれない」


 元々、王である景宗は政治に関心の希薄な御方ではある。

 即位して間もない頃こそ、先代の腐敗を一掃し、その版図を広げることに並々ならぬ熱意を燃やしていた時期もあったと聞く。

 しかし、それに飽きた今となっては、かつて鋭い知性を錆びつき、『美』なる道楽に費やすばかり。

 閃きは気まぐれとなり、いささかやり過ぎた者を誅する時のみに発揮されるものとなった。

 だが、だからこそ、これ以上の腐敗は断じてあってはならぬこと。


 王への謁見以降、暁勇は表向きは変わらず辺境警備の軍務に勤しみながらも、信頼できる部下に命じ、水面下で王宮内の動向を調査させていたのだ。


「しかし、皮肉なものだ。調べれば調べるほど、最も怪しい影を放っているのは、陛下ではなく、あの月華であるとは」


 日増しに、暁勇の胸に渦巻く疑念の的は、月華その人へ収束していく。

 彼女は「辺境の小領主の娘」であるはずが、あまりに宮廷の複雑な作法に精通しており、内部の情報や権力の力学を的確に把握し、利用する術に長けているように思えた。


 本来、魑魅魍魎が跋扈し、政敵ばかりと言っても過言ではない王宮において、新参者の彼女が、他の妃を懐柔し、有力な家臣に影響力を持ち、一人また一人と目に見えぬ形で取り込んでいく。

 月華の父である人物は、辺境の領主ながらも善政を敷く、清廉で情け深い人格者である。


(あの御仁の娘に、妙な企みをする気質があるとは思いたくもないし。初めて言葉を交わした折の、素朴ですらある純粋さに、確かな安らぎと、ときめきを感じたのは嘘ではなかったのだ)


 そうだ、もし。もし、あの時、滞りなく婚約がなっていたのならば、今頃、どんな生活をおくっていただろうか。そう考えずにはいられない疼きも、また暁勇にとって無視できない事実だった。


 そんな暁勇の元に、密偵から一つの情報がもたらされた。


 ――月華姫が、特定の家臣たちと人目を忍んで接触している形跡がある、と。


 しかも、その中には、日頃から素行の悪さで知られ、汚職の噂が絶えないような者たちすら含まれているというのだ。


 暁勇の鋭い双眸が、剣のような険しさを帯びる。月華がただの寵姫でないことは薄々感づいていたが、これは単なる後宮の権力争いというには、あまりに組織的で不穏な動きだった。


「家臣との密会。それも、普段ならば決して交わるはずのない、裏社会の人間にも通じているかのような素行の悪い者たちまで。まるで巧みな傀儡師のように手懐けようとしている、と」


 部下からの報告は、断片的ではあったが、どれも疑念を強めるばかり。なにやらよからぬ予感がする。

 だが、こんな時に限って、なぜか王は、暁勇に任を与えたがる。王都から離れた地の、取るに足らない小競り合いの鎮圧のようなものばかり。

 この王都に近寄るな、とでも言いたげな、あからさまな牽制。掴みたいはずの真実の尻尾を、掴む時間と機会がことごとく奪われていく。


「なぜだっ! なぜ、こうも上手く事が運ばぬのだっ! 」


 さなか、暁勇の心をかき乱す新たな報が届く。

 寵愛を失い没落したはずの瑛麗妃の宮に、彼女が頻繁に出入りしているという噂だった。

 表向きは「過去の寵姫の凋落を哀れみ、慰めている」ということになっているが、暁勇には到底そうは思えなかった。

 これらの情報を繋ぎ合わせれば、月華が、単なる同情心で動いているとは思えなくなってくる。


(月華……そなたは、瑛麗様をも、何かの駒として利用しようとしているのか? それとも……)


 かつて、淡い憧れを抱いた少女の面影は、今の月華と一致しない。

 しかし、だからこそ、暁勇はその真意を突き止めずにはいられなかった。

 それが彼女への……彼女との未来を、あまりにも無力に奪われた自分自身への、せめてもの責任のように感じられたからだ。


 月が変わる頃、暁勇の危惧は、最悪の形で現実のものとなり始める。

 宮廷内で、突如として有力な家臣同士の不和が表面化し始めたのだ。

 些細な行き違いから始まったはずの対立が、瞬く間に派閥争いへと発展し、朝議は罵詈雑言が飛び交う修羅場と化した。

 巧妙に仕組まれた中傷の噂、捏造された証拠、そして、追い打ちをかけるように暴露される、有力貴族たちの過去の醜聞。国政は滞り始め、民にも不安の影が広がり始めた。

 見えざる手が全てを操っているとしか思えなかった。


「いったい何が起きているというのだ! まさか、これに月華が関わっているのではあるまいなっ!」


 暁勇は、いてもたってもいられず、再び王への謁見を強引に願い出た。

 しかし、側近から返ってきたのは、「陛下は、ただいま月華様とご一緒であり、いかなる者も御前にお通しすることは相成りませぬ」という冷たい言葉だけだった。

 完全に理解した。王は、この暁勇を疎んでおられる、と。


「かくなる上は……父君に直接お会いし、ことの真相を尋ねるしか道はあるまいな」


 もはや、打つ手はほとんど残されていないのかもしれぬ。

 だが、かといって、このまま何もせずに、ただ指を咥えて国の崩壊を見ていることなど、誇り高い護国の武人として、断じて許されるべき在り様ではなかった。

 例え、この華陽国が、もう既に手遅れなほどに腐り果てつつあるのだとしても。

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