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第10話 仮面の告白、血染めの絵図(4)

「わたくしは……そう、確かにお会いしたことがあります。そう、もう十年とすこしになりましょうか。忌まわしい日です」


 おどろおどろしく紡がれる言葉は、足元から這い寄って来るようだ。舌が連ねるたびに、一言一句に血が滲む。


「王の軍は、わたくしの国を滅ぼしたのですよ。我が、一族を皆殺しにしたのです。まだ、ほんの子供でございました。燃え盛る屋敷が、町が。そう、地獄です。顔見知りが無残に殺され、奪われ、酷い仕打ちを受け。阿鼻叫喚でございました」


 月華は、ゆっくりと瑛麗へと向いた。瞳はからからに乾き、決して消えることのない業火が宿る。幼き日に見た地獄が宿る。


「命からがら、侍女がわたしの手を引きました。裏山へと逃げ延びようと。侍女は明日に結婚を控えていたのですが、その婚約者も時間を稼ぐために死にました。首は野ざらしにされたそうです。それでも、侍女はわたしを励まし、走りました」


 戦地からは逃れたが、道中で侍女は悪漢に切り殺された。月華を庇って最後まで勇敢だった。

 頼りのないなか、幼子は遠くにいる縁者だけが望みだった。


「しかし、です。無茶な話なのですよ。幼子ひとりが、どうして賊が溢れるような荒れた道を、何日も生き延びられるというのでしょう。食べるものもなく、眠る場所もなく、ただ震えるだけの夜が続きました。おぞましい、ああ、おぞましい夜っ!!」


 月華が叫ぶと、なんと雷鳴が呼応した。閃光は強烈に照らし、乱れる太鼓の音が続く。

 そこで、ふっと遠くを見るような素振りを月華は見せた。


「そこに現れたのが、あなた様だったのですよ。……瑛麗様」


 なぜ、今になって記憶が繋がりかけたのか。瑛麗は理解した。

 そうだ、あの日も雷が鳴っていたからだ。

 そうだ、あれは……王宮に入ってまだ間もない頃。公務で遠出した帰りに、ふと立ち寄った荒れ寺の近くで……。


「泥にまみれ、着物は破れ、悪漢どもに今まさに引きずり倒されようとしていた、小さな影。それが、かつてのわたし。その時、あなたが颯爽と現れたのです。供の者たちに命じ、悪漢どもを追い払い、そして……汚れたわたしを、ただ、慈悲深い眼差しでご覧になった」


 それは違う。瑛麗にとって気まぐれ、だった。本当に単なる気まぐれ。

 この立場で、公務で外に出ることなど、そう多くはない。そのなかでも時折、誰かに慈悲深いことをしたくなる。そんな気分もあった。

 だから、誰になにをしたかなど、いちいち覚えていないのだ。


「あなたはそっと羽織を被せると、温かいお湯と、僅かばかりの食事を恵んでくださいました。そして……これを」


 月華は、そっと自らの懐から、小さな紐付きの布袋を取り出した。中から現れたのは……一粒の、淡い翡翠の雫の耳飾り。


「覚えておいででしょうか。あなた様は身につけていた二つのものをくださったのです。『路銀の足しにしなさい』と。戴いた簪は手離すしかありませんでしたが、これだけは……これだけは、と肌身離さずにおりました」


 瑛麗は、記憶を遡ろうとする。首筋の傷は確かに、覚えがあるのだ。

 でも、定かな記憶ではまるでなく。だから……そんな気持ちを向けられるには、値しないことなのだ。どちらも飽きた装飾品だったのだろう。


(違う、ちがう、ちがうっ! わらわは……そんなっ、そんなつもりじゃなかったっ!)


 過去のほんの気まぐれな善意が、命を救い、そして……今、こうして、歪んだ形で自分に返ってきているというのか。


「もうここまで話せばおわかりのことでしょう。縁者の元に辿り着き、ひそかに名を変えて養女となり、今日こんにちまでを過ごしました」


 先ほどの激情はどこへやら。語る口調は普段の他愛ない噂話と変わりない。

 しかし、その瞳の奥には業火が、未だ衰えることなく燃え続けている。きっと、消えるなく何年も。

 雷鳴は遠ざかったが、雨音はしとしとと続いていた。熱に浮かされた身体には、あまりに強烈過ぎる真実。


「なら……なぜ王宮に、来たの?」

「役人が、わたくしに目を付けたのは偶然でしたが……そうですね。どうするか、を決めるには良い機会でした。『汚れた娘わたし』は皆の意志によって生き延びた。では、『月華わたくし』は何をするべきか」


 選択肢はいくつかあった。と、うそぶいた。悩んだ、ともいう。義理の両親からの愛情は疑いようもなかった。本当の娘と変わりないほどに。

 本当に何かをやろうと思えば、いくらでも方法はあったのだと。準備だけなら数えるのが馬鹿らしくなるほどに重ねて来た、と。


「そしたらどうでしょう。愚かで移り気な王は、あなた様を慰みものにし、挙句の果てには飽きた玩具のように打ち捨てた。『月華わたくし』が心を決めるには十分ではないですか?」


 ようやくわかった。穏やかに聞こえる美声は、慟哭なのだ。

 賢かった幼子が憎悪と愛によって煮詰められ、未だに苦しんでいる。


「確信したのです。『月華』はあなた様と『汚れた娘わたし』を苦しめた全てのものに、相応の報いを受けさせてやる。そのために、わたくしはこれまで生きてきたのだと。そのために生かされたのだと。汚泥にまみれ、人の心を捨て、この身体もさえも利用して……すべては、あなた様を、わたくしだけのものにするために」


 そこには、瑛麗が幻視した、無垢で儚げな姫の姿はどこにもなかった。

 ただ、復讐の炎にその身を焦がし、愛する者を求めるあまり狂気に染まった、一人の女が立っている。

 血塗られた愛の告白は、あまりにも純粋で、あまりにもおぞましく、そして……瑛麗が忘れかけていた「誰かに強く必要とされたい」という渇望を、危険なほどに満たしていく。

 もはや、この娘を月に似ているなどとは思わない。深淵だ、淀んだ沼底に燃え盛る地獄が沈んでいるのだ。

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