「アイシャ様、本当によろしいのでしょうか?」
レイラは腑に落ちないらしい。
それは当たり前かもしれない。
「レイラ、今は雨季よ。ナイル川は徐々に増水して、毎日川幅が広くなる。つまり、盗賊がナイル川沿いに歩いても、時間が経てば勝手に足跡は消えるわ」
「さすがです、アイシャ様。ですが、なぜ川上に向かうのでしょうか? 川下の可能性もあるのでは……?」
鼻を指すと、「香油よ」とだけ言う。
賢いレイラなら、これだけで分かるに違いない。
「なるほど、香油の匂いですか。足跡は消せても匂いは消せませんからね。そうなると、この匂いを辿れば逆賊から死者の書を取り戻せるのですね」
力強くうなずく。
ナイル川に続く足跡は一人分だった。でも、アジトには仲間がいるに違いない。
こっちの衛兵は二人。あとは護衛術を極めているレイラ。
「人数が足りればいいのだけれど」
私は独りごちた。
「あれじゃないでしょうか」
レイラは遠くに見える建物――といえるか怪しいものを指し示す。
どちらかというと、塹壕に近い。
「あとは、盗賊が何人いるかが問題ね。あなたたち、先遣隊をお願いできるかしら」
衛兵たちは、こくりと首を縦に振る。
「死者の書は私とレイラが取り戻すわ。さあ、作戦開始よ」
衛兵らが敵のアジトに踏み込むと、怒号が飛び交う。金属がぶつかり合う甲高い音が響く。
しばらくして「敵の制圧が完了しました」と報告がくる。
塹壕に向かって伸びる六人の足跡を追う。
そこには、衛兵によって組み伏せられた賊の姿があった。
「敵は三人だったのね。人数不利を覆したのはさすがよ」
「ありがたきお言葉。ですが、少し不審な点がありまして……」
衛兵が首をかしげる。
「おかしなことに、死者の書が見当たらないのです」
「え、こいつらが持っていない!? そんなはずは……」
何かがおかしい。死者の書がないこともだけど、何かが引っかかる。
待って、ここに伸びる足跡の数! あれは六人分だった。盗賊三人と衛兵二人。つまり、一人分多い!
「レイラ、気をつけて! まだ、誰かが――」
「おっと、そこまでだ」
気づいた時には、新たに姿を現した賊によって首元に刃物を突きつけられていた。
「お前だろ? 最近、ファラオに気に入られている神官は。お前を殺せば、あの方もお喜びになるだろう!」
あの方? つまり、こいつらのバックには誰かがいるということね。
新たな情報を得たものの、この状況では――。
「アイシャ様、お許しください!」
レイラは、そう言うと足元の砂を蹴り上げた。
あたりに砂煙が立ち上り、視界が遮られる。
「そこっ!」
ボコッと音がすると、体の拘束が緩くなる。間違いなくレイラの一撃が決まった。
煙が収まると、そこにあったのは――自殺した盗賊の姿だった。死者の書が袖からのぞいている。
「くっ、情報を漏らすより死を選んだわけね……」
「申し訳ございません。私がしっかりとしていれば」
「レイラ、あなたの責任じゃないわ。それに、まだここに三人いるわ」
拘束された賊を見下ろす。
「待ってくれ! 俺たちは、そいつに雇われただけだ! 何にも知らない!」
「あっそ。そうだとしても、しかるべき処罰が待っているわよ」
ファラオを侮辱した罪、その身で償いなさい!