順風満帆な人生だった。最高学府で金声玉振、多士済々の人脈を築き、多種多様な経験を積んだ。招待された先輩の二十九歳の誕生会、兼、結婚披露宴に感奮興起。私自身も幸せな家庭を持ちたいと考えるようになった。青雲之志を持って起業。築き上げた人脈を活かし、幹部には気心の知れた同志を配した。新入社員も全員共産党員である。入社に際し、私自身が調査機関に依頼、共産党員であると確認した者だけを選んだ。新しく幹部候補になる者も、可能な限り知り合いの知り合いの範囲内に留め、熱心な共産党支持者で固めた。経営方針も共産党への忠誠を誓うもの、党利を重視したものとし、多額の献金を行った。功成名遂、周主席の覚えめでたく、経営は短期間で軌道に乗った。
友人の多大な協力もあり、自信と高収入を手にして三十歳で結婚。秀外恵中の妻は友人の親族で、勿論共産党に忠誠を誓う国士である。胸襟秀麗な女性で、仕事の話も政治の話も、すべからく話が合った。国内屈指の名門女子大出身であり、会話の水準は極めて高い。ありていに言えば、とても楽しかったのだ。最初の出会いは例の、先輩の披露宴を兼ねた誕生会の席で、その時は特別な印象を抱かなかった。後日、友人を介して妻から食事の誘いがあり、以降、度々遊びに行き、瑶林瓊樹と知った次第である。
それからは一帆風順。尽善尽美の妻との出会いから僅か一年で結婚。翌年、子宝を授かると、私が三十二歳、妻が二十八歳の年に出産。蝶よ花よと大切に育てた。国の方針には絶対服従である。『一人っ子政策』という、今思えば何のために存在していたのか理解の難しい政策にも、すべからく従った。娘に弟妹を、という考えが頭をよぎったが、私はその考えを無理やり封じ込めた。国の方針に逆らう結果になるからだ。だから妻にも相談しなかった。
そんな娘を失った私の苦悩は、誰にどう話しても理解されないだろう。表面上の理解を得る事は出来ても、その「理解」は頭の中で「きっとそうなんだろう」程度のものであり、私の心情、感情を言い表す言葉は、この世界のどこにも存在しない。悲しみだとか、怒りだとか、憎しみだとか、復讐心だとか、悲痛、沈痛、哀切、慟哭、激怒、憤激、憎悪、怨嗟、九腸寸断、切歯扼腕、怒髪衝天、怨気満腹・‥どんな言葉も当て嵌らない。
犯人探しは、それ故、私の残りの人生を全て擲つ覚悟で行った。仕事は完全に部下任せで出社せず、金、時間、人脈、私の持つ全てを駆使した。殆ど記憶がないあの日の出来事に関して、私自身で聞き込みを行い、また同時に、公的な公安警察、私的探偵社、複数に依頼した。
周主席の懇親会に出席していた知り合いからは、有力な情報を得られなかった。そこまで仲の良い出席者はいなかったし、どうにも曖昧で歯切れの悪い話しか出ない。「私の娘を見なかったか」と尋ねても「誰だか分からないよ」「懇親会に来てたのか」「綺麗な衣装を着ていたわね」「周主席と直接話をして、特別室の方に向かったような・‥」という程度の・‥そんな話を聞いているんじゃない! 娘が、いつ、どこで、誰に襲われたのかを知りたいのだ!
公安と探偵社でも、懇親会後の娘の足取りは掴めなかった。公安からは、依頼した僅か数日後に「不審な点は一切無し」という、極めてあっさりした一枚の紙切れが送られて来たのみ。「何かあった筈なんだ、もっと調べてくれ!」どれだけ食い下がっても一切取り合ってくれない。職務怠慢ではないか!? 娘が強姦された事実は間違いないのに! 現場には厳重な警備が敷かれていたし、
一方の私的探偵は、国家主席の開催する会合に関する事柄であるため、調査が難航しているようだ。何週間待っても、全く手掛かりが掴めない。そのうち、私自身も「あれは夢だったのでは?」「何かの間違いだったのでは?」「もしかしたら娘と妻の狂言で、私が騙されているのでは?」などと思うようになった。個人で調べられる範囲には限界があり、精神的にも肉体的にも摩耗し切った。数ヶ月は仕事を休んでいたが、いい加減出社しなければならず、しかし会社にいても心不在焉で仕事が手につかない。「もう少しお休みになられては?」そう幹部からも社員からも勧められ、私は自宅に引き籠った。
激しい怒りの感情を、長期間維持するのは困難である。臥薪嘗胆、毎日毎日、尖った薪の上に臥し、苦い胆を舐め続け、屈辱を忘れなかった春秋の将がいた。そこまでしなければ、激情は維持出来ないのだ。私のように、腑抜けになってしまうのだ。
柔らかい羽毛布団に包まれ、寝るでも起きるでもなく、腐敗堕落した生活。今まで殆ど呑まなかった酒に溺れ、現実逃避した。あの日付き添わなかった私が悪いのに、妻に責任転嫁し口論が多くなった。侃侃諤諤。蛙鳴蝉噪。喧嘩後、妻は娘の部屋で泣いていたようだが、そんな妻を放置したまま暴飲し眠りに就いた。
自堕落生活を何ヶ月も続けていたある日、会社から連絡があった。「もう来なくて大丈夫です」かつての部下であり、友人でもあった男性の言葉。「本日を以ちまして社名を変更、社長職は私が引き継ぎます。既に弁護士と税理士を介し手続きを済ませました」簡単に言うなら乗っ取りである。起業した際に皆で決めた、幾つかある条項のうち、何条何項と何項に依る・‥などと難しい話をしていたが、正直もうどうでも良かった。「分かった」と一言、まだ何か話をしているところを遮って、智能手机の電源を切った。
多少の蓄えはある。何もしなくとも五年や十年は暮らせる。起業して大成功を収めた身としては少額だが、それもこれも共産党へ献金したからだ。周主席の覚えがあったからこそ成功した。その利益を共産党に貢ぐのは当然であろう。周主席の笑顔を思い出し、ふと、広間に飾ってあった御真影に手を伸ばした。金の額縁の裏に、大事に仕舞ってあった包み。中身は偶然手に入れた周主席の毛髪である。
何故そんな考えが浮かんだのか、全く分からない。あまりにも手掛かりがなかったが故だろうか。まさか、そんなわけがない。そう思いつつ、この毛髪をDNA鑑定に回してみよう。という思い付き。医師に「誰の髪の毛か」と問われたが答えず、「とにかく鑑定してみて欲しい」それだけを伝えた。妻にも毛髪の出どころは言っていない。誰にも話すべきではないと、何となくそう思った。
数週間後。私自身、忘れかけていた頃、連絡があった。「DNAが一致した。この毛髪の人物、恐らく高齢の男性だと思うが、そいつが犯人だ。
絶対に復讐してやると誓った私の決意は、僅かに揺らいだように感じる。しかし・‥娘への想いと周への想いを天秤にかければ、比べるまでもなく娘の方が遥かに重い。この証拠を持って公安に駆け込むか? いや、しらばっくれるか、揉み消されるだけだ。公安の調査が進まなかった、というより門前払いも同然だったのも、きっとそれだ。完全に一致したDNAという証拠もあるが、逆に私の方が抹殺されかねない。ならば迷う必要はない。
「我丈夫、誰の毛髪なの!? なんで教えてくれないの?」
妻からの追及。返答に窮する。話しても信じてくれない気がするし、妻なら同じ感情を共有してくれる気もする。私は復讐を決めたが、妻はどうだろう。巻き込むだけではないか。ならばいっそ、私一人で実行すべきか。計画が漏れれば、必ず公安が取り押さえに来るだろう。公安の手から逃げ切る自信はないし、警備が厳重になって周
全て一人で計画すべきか・‥それとも妻の知恵を借りようか・‥