私が支離滅裂に、もやもやと説明していては、頑固な祖父も父も兄も、納得しなかったはずで。
理恵は極めて、理路整然と、はっきりした、また事務的な口調で説明してくれ。
私は、実家でしばらく暮らすことになった。
やはり、とても居心地がよくて。
結婚などせずに、ずっと、おばあちゃんになるまで実家にいたほうが良いと、心底思ったものだった。
家族は、少なからず、私を哀れんでいるような、家族の勧めで見合いで結婚して、離婚しなければならなくなった私を可哀想に思っているようだった。
学歴や家柄だけで人を判断するのは危険だと、祖母と母は言い合っていた。
そして、私が驚いたのは、夫には子供が二人あり、それぞれに養育費を送っていたことだった。
5才と11才。女の子と男の子。
それぞれ。つまり、母親は、それぞれ違う女性。
夫も知らなかったらしく、私達が結婚してから、鑑定証を持参して現れたらしく。
私には言えなかったらしい。
プライドの高い夫自身も予想だにしなかったはずで。
付き合った、確かに、付き合ってはいたけれど、女性の方が、はるかに年上で。
まさか、子供を身籠っている、自分に黙って出産するとは、考えもしなかったことだろう。
夫は軽いのりで付き合い。
訴えてきた際には、それぞれに弁護士を同行してきて、それまで育ててきた養育費については一括で払ってとの事だったらしい。
その後は、毎月の支払いで子供が18才の誕生日までらしい。
私は理恵の口もとを、ぼんやり眺めながら、頭の中で考えていたのは、「おたすけばあ」の組織力って、すごいなぁ、たった1日で、まあ、よく調べたものだと。
まだ、マル1日たっていないのにと。
まるで、他人事だった。
家族が怒り心頭の様子でいるそばで、私は、へぇー、そうなんだ、、毎月、いくら払ってたのかな、、、どうして、私に言わなかったのかな、、など、、呑気なものだった。
気持ちは、すっかり、離婚していた。
私は、独身時代の娘に戻っていた。
違うのは、余韻があったこと。
大介さんとの、一夜の余韻が、明確に記憶されていることだった。
(つづく)