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北の方様奮闘記
北の方様奮闘記
浮田葉子
異世界恋愛和風・中華
2025年06月16日
公開日
1.2万字
連載中
結婚適齢期は十代後半な世の中で、行き遅れ三十路カウントダウンの花影に予想外の婚姻話。 相手は王家にも連なる名家菖蒲の現当主。上手い話には裏がある。 当然愛のない契約結婚ではあるが、無論花影にも多大なメリットがあった。 みたいな話。 虹霓国の話ですが、榠樝の時代とは違います。

第1話 型破りな妻問い

 虹霓こうげい国は小国ながら平穏で豊かな国である。


 王の下、諸侯は忠誠を誓い頭を垂れる。


 だが本日、御前定の席についた重鎮たちは重々しく溜息を吐いた。


「まさか菖蒲あやめの中将が身罷られるとは」


「御子も五つになられたばかりというのに」


「跡目を継ぐにはいささか幼すぎますな」


 壮年の王は目元を抑える。


「菖蒲の中将は我が腹心の友であった。惜しい男を亡くしてしまった」


 三〇を幾許か過ぎたばかりの、まさに男盛りであったというのに。


 流行り病にかかり呆気なく、あまりに呆気なく菖蒲中将は此の世を去った。


「残された二人が哀れでならないよ」


 後に残されたのは奥方と幼子。菖蒲中将の奥方は王の従姉妹にあたる。


「これからの我が国を支えてくれる柱の一つだったというのに」


「然して主上うえ、菖蒲家当主は藤波ふじなみ君でありましょうか。それとも?」


「うむ、藤波は如何にも幼すぎる。弟の瓊花けいかが継ぐのが相応しいと思っている。初霜はつしもを娶り新菖蒲家当主として務めて貰いたかったのだが」


 夫を亡くした妻が夫の兄弟に嫁ぐのはよくある話だ。


「――だが、と仰せられますと?」


「本人たちに固辞されてしまった。初霜も再婚の意思は無いそうだ。そのくらいならばいっそ尼になるとさえ」


「気性の激しい御方でありますからな」


「瓊花の方も藤波の成人までの中継ぎであればよし、さもなくば………」


 王は溜め息を零す。


「どうしてあの一家はああも頑固なんだ。面倒くさい」


ごほんと咳払いが入った。


「主上、お言葉が」


「ああ、うん。そうだな」


「瓊花殿も兄君のおうち殿を慕って居られた。無理もありますまい」




 ◆




「姫様、姫様、花影はなかげ様! 大変でございます!」


「こら、埃が舞うでしょ静かになさいな」


 飛び込んできた女童めのわらわは地団太を踏んで大声で叫んだ。


「ああもうそんなこと言ってる場合では! 兎に角お早く釣殿へお越しくださいませ!!」


 今日も今日とて書庫に籠って読書三昧。


 脇息きょうそくに寄り掛かり片膝立てて本のページを捲る。

 とても良家の子女には見えない姿勢で花影は呻いた。


「私も三〇になろうかという年齢よ。姫様でもないでしょう」


 女童は無視して言葉を続ける。


「大殿様が参られました」


「また突然。隠居したのにまあ相変わらず機敏でいらっしゃること」


「菖蒲中将様もおいでです」


 女童の言葉に花影は少し眉を寄せた。


「先日亡くなられてなかったっけ?」


「弟君が家を継がれて」


「ああ、そうだっけ。……で、何だって月白家当主の弟ではなくこの私に出て来いと」


 引き籠りの本の虫。月白家の惣領姫は変わり者で名が通っている。


 知識だけならばそこらの学者にすら引けを取らない。

 議論をすれば学者たちも目の色を変えるほどの器量。


 だが当世、女性がそれも身分高き姫たる者が学を付けるのは、はしたないこと。


 漢字の一の字すらも読めぬふりをした方が可愛げがあるとさえ。


 果ては噂ばかりが走り、口の達者な醜女しこめであろうとか、男性を立てることを知らぬ矜持 プライドばかりが高い女であろうとか。有ること無いこと吹聴されている。


「何の用よ。中将殿が名高き月白の引き籠りの醜女に」


 ざらと音を立てて御簾が除けられる。


 恰幅の良い直衣の男性。耳慣れた低い声が響く。


「遅い。どれだけ待たせる気だ」


「勝手に来た癖に何ですかその態度」


 普通の男君おとこぎみは娘であろうと女人に直に対面はしない。


 顔を隠して声すら取次の女房を介す程で。


 しかしながら花影は几帳の陰に隠れるでもなく、扇で顔を隠すでもなく、傲然ごうぜんと顎を上げて父親を睨み付けている。


「仮にも娘が父親に対してなんだその口は」


「前以てご連絡をと、何度申し上げましたでしょうねえ、父上様?」


「全く口の減らん娘だな。親の顔を見てみたい」


「どうぞ鏡をご覧ください」


 親子の応酬に最初呆気に取られていた青年は、やがて口元を押さえて肩を震わせている。


「見苦しいものをお目に掛けました。申し訳ない」


「いえ、無理を押して参った私の方に非があります。こちらこそお詫びを」


 繰り返すが、高貴な身の上の女人の顔を男性が見ることはまずない。有り得ない。


 普通の姫君ならば羞恥に打ちひしがれて気でも失っているだろう。


 だが花影は遠慮なく真っすぐに見知らぬ男の顔を見た。


 目が合った。


 睨み付けるかのような強い眼光に、菖蒲中将の方がたじろぐ。


「名乗るべきでしょうか?」


 揶揄からかうような花影の台詞に、菖蒲中将は目を細めた。


「いえ、失礼を致しました。私は菖蒲家当主瓊花と申します」


 花影は袴の裾をざっと捌き、うちきの袖を翻すと見事な礼をしてみせた。


「月白家の花影。そこの前大納言さきのだいなごん万朶ばんだが一の娘でございます。よしなに」


 先程までの粗野な振る舞いは何だったのかと瓊花は面食らう。


「まあ、こういう娘です。本当に良いので?」


 万朶の台詞に花影は眉を跳ね上げた。


「つまりどういう用件で?」


「花影殿」


 瓊花は花影の前に跪く。近距離。

 ふわりと優しい香りが鼻先をくすぐる。


「私の妻になってくれぬだろうか」




 ◆




 場所を移して、月白当主、つまり花影の弟であるえんじゅも加わり奇妙な取り合わせの四人が車座に座っている。


「恋文のやり取りも無くいきなり妻問つまどいとは思い切ったことなさいますね中将殿」


「御父上が、花影殿は和歌うたなど見向きもせぬだろうと」


「語弊がある。和歌友達ならなれるだろうとは申しましたよ。好きだろう、和歌」


「ええまあ。居ますけどね、和歌友。それなりにいっぱい」


 鷹揚おうように頷く花影に、槐は嫌そうに顔をしかめる。


「姉上そんなんだからき遅れるんですよ」


 高貴な女性の結婚適齢期は十代後半である。


「喧しい。結婚が女の幸せか?そうは思わない。私は実家で本に埋もれて死ぬのがいい」


 万朶は溜め息をついて杯を干した。瓊花がそっとお代わりを注ぐ。


「こういう娘だから来る縁談を片端から蹴っておりまして、この十年はもはやなしのつぶて」


「和歌も楽も見事なものなのに、人格がこれですから、痛っ」


「喧しい」


「殴らないでくださいよ姉上」


 花影は胡乱な目付きで真正面の瓊花を見る。


「そんな年増に型破りな妻問とは、一体どういう魂胆です?」


「こら花影、失礼だろう」


 嗜める万朶に瓊花は苦笑して見せた。


「いえいえ、そう思われるのも無理からぬこと。まずは当家の事情をお話しても宜しいですか」


「菖蒲家のことなら知らぬ者はこの都には居りますまいに」


 飛ぶ鳥を落とす勢いの菖蒲家。

 王家に近しく、正に今上きんじょうの母は菖蒲家の出であるし、宮中を牛耳っていると聞く。


 無論花影が入手できる噂程度に過ぎないが。


「そう。非の打ち所の無い我が兄、おうちが身罷りました。楝には妻子が居り、私は甥にあたるその子、藤波ふじなみに菖蒲の家をいずれ継がせたいのです」


 花影は小首を傾げる。


「奥方を娶り、瓊花殿がその藤波殿を養子になされば良い話では?」


「それはそうなのですが、その…義姉あねが兄以外に再嫁するくらいなら死ぬと申しまして……………」


「それは………」


 花影も吃驚な気性の女性である。


「義姉は主上うえの従姉妹にあたり、その、」


「我儘を言いなれていると」


「はは、手厳しい。ですがその通りです。決めた以上テコでも動かない」


「私としては好感を抱きますね」


「恐れ入ります。しかし、このままの状況では私が甥の邪魔になる」


「と、仰ると?」


「私の妻として、次代の菖蒲家当主を生ませたい家がごまんとある。無論正室としてです。……実際に進退窮まってきています」


 花影はなるほど、と鼻を鳴らした。


「そこで私が丁度良い、と」


「はい」


「年増の私が子を産むことも無いだろうし、形ばかりの妻としては月白家の名は十分でしょうね。でも、私の益は何なのです?」


 花影は少し意地悪く言って見せる。


「父も弟も厄介払いに嫁がせたいのでしょうけれど、ええ、寧ろ天下の菖蒲家となれば玉の輿」


「姉上はしたない」


「体裁もいいし、言うこと無いでしょうね。


「はい」


 瓊花は悪びれずに頷いた。


「ですから、ここからは益のある話を致しましょう」


「ほう」


 瓊花はずい、と膝を進めた。


 ぶつかりそうな程に近くに殿方の顔があっては流石の花影も落ち着かない。


 が、動揺をみせるのも癪なので丹田にぐっと力を込めて、努めて平静を保つ。


 瓊花がふっと笑って見せた。


「月白家の書物、勿論持ち出して良いものに限りますが、当家の書庫に移させて頂きます」


 ぴくりと花影の唇が震えた。


「それはまさか」


「我が菖蒲家の書物全て。花影殿が自由にご覧になれるように致しましょう。秘伝の閲覧も許可します。当主権限で」


「乗りましょう、その話」


 一も二も無く頷いた。


 花影は満面の笑みを浮かべる。

 無邪気な少女のそれに、男三人は呆気にとられ、うっかりと見蕩れた。


 屈託のない笑顔は、それはそれは美しかったので。



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