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第3話 文字通りの輿入れ

「輿入れと言っても、まさか本当に輿で行くとは思わないでしょう」


 花影はなかげは飾り立てられた輿の中、片膝を立てて溜息を吐く。


 王族ならばともかく、普通の貴族の子女は牛車くるまを使う。

 ゆらゆらと、牛車に比べればかすかな揺れ。

 ぎしぎしと車輪の鳴る音も、牛の鳴く声もしない静かな道行き。


 故に、通りのざわめきが耳に届く。


 あれが醜女しこめ月白つきしろの姫。

 き遅れの。

 よりにもよって菖蒲あやめの新ご当主の北の方とは。


「喧しいこと」


 そっと窓の隙間から外を覗けば、人、人、人。


 見せ物か。


 いや、貴人の輿入れなど、庶民からすれば、いや、貴人からしても格好の娯楽の種ではある。


 飾り立てた行列が大路を練り歩き、婚家へ向かう。


 花影の乗る輿も、季節の花々や色鮮やかな組紐などで彩られ、目にも麗しい。


 輿の担ぎ手や護り手もそれぞれに着飾って。


 外からは見えはしないが花影も所謂婚礼衣装を身につけている。

 生家の月白の名を持つ月白げっぱくの袿に、菖蒲色の小袿。

 袴は濃色こきいろ。髪には釵子さいし

 扇も常のものより数段重い煌びやかな檜扇ひおうぎ


「見せるのは瓊花けいか殿だけなのに、こんなに重い物身につける必要あるのかしらねえ」


 側仕えのシヲンに聞き咎められれば大目玉だが、彼女もまた着飾って花影の輿の後ろの牛車の中だ。


 幼い頃より仕えてくれていたシヲンが、共に来てくれるのは心強いが、彼女の娘は大姫の側仕え。

 母子を引き離すのは、流石に花影も遠慮したのだが、シヲンも娘のチサも頑として譲らなかった。


「わたくしも、最早もはや幼子ではございませぬ故、お気遣いは無用でございます。母をどうぞお連れくださいまし。花影様には母の力が必要かと存じます」


 ついこの間まではなみず垂らして母の後を追ってきていたチサが、もう一人前。

 時の経つのも早いもの。


「私も老ける訳だわ」


 同年代の姫達は立派な母親になり、そろそろ孫まで居る年齢だ。仕方ない。


「大姫も、あっという間に大人になるのね」


 縁談もそろそろ舞い込むだろう。月白当主の惣領姫ならば、引く手あまた。

 えんじゅは大いに泣くのだろう。


 見送りに来た万朶ばんだは、泣くどころか零れんばかりの笑みをたたえていた。


「腹立たしい父だこと」


 ようやく厄介払いができると、酷く清々しい笑みだった。


 尼寺に押し込めるしかないかと思われた娘が片付いた。

 しかも相手は天下の菖蒲家当主。笑いが止まらないだろう。


「まあ、それを承知で頷いたのだから」


 この婚姻は、どう転んでも月白家の不利益には成り得ない。


 だからこそ、危うい。


 花影は眉間を押さえ、溜め息を吐いた。


 月白家の益は他家の不利益。

 当然何事もなく終わる筈もない。


 この一手を排除するのに、最も手っ取り早いのは花影の暗殺だ。


 流石に刺客を送って来る莫迦バカも居ないとは思うが――

 はた、と花影は口元を引き攣らせた。


「居たわ。真正面から来そうなのが」


 月白家とほぼ同格。

 先祖代々張り合っている藤黄とうおう家の現当主、青星あおぼし


 これが殊の外、槐との仲が悪い。


 先代どころか、先々代のそのまた先まで仲が悪いのだが、今代は最悪。

 事あるごとにぶつかっている。


 そして更に悪いことに、青星ははかりごとに果てしなく向いていない性格なのである。

 簡単に言うならば直情径行、猪突猛進、単純バカ。


 挙句親馬鹿でもある。


 此度の瓊花の妻の座には、己の一の姫を置きたかったらしいことまでは、花影の元まで筒抜けである。


 ということは、おそらく天下万民が知っている。


 藤黄の一の姫は、確か先日裳着を終えたばかりだが、貴族の子女の婚姻などそんなもの。

 十歳を過ぎれば早すぎるということは無い。


「寧ろ、菖蒲の次代当主の藤波殿の妻に据えるのが、年齢的にも見合うだろうに」


 青星としては十年先の未来よりも、手を伸ばせば届く今が大切と見える。


「まあ、そんな理由で結婚したくはなかろうよ」


 貴家に生まれた定めと言われてしまえば返す言葉もないけれど。


 輿が大きく揺れ、輿台こしだいに置かれた。

 着いたらしい。


 御簾が上げられ、花影は眩しさに目を細めた。


「ようこそ、我が妻」


 瓊花が穏やかに微笑んで手を差し伸べている。

 相変わらず美しい男。見惚れる程だ。


 だが浮かれはしない。


 花影はきりりと唇を引き結び、そっと差し出された手に己の手を重ねた。


「お出迎えありがとう存じます、我が殿」


 さて、ここからが本番。


 菖蒲に嫁いだからには、数々の難題も待ち受けて居よう。


 そう、さきの菖蒲家当主夫人、初霜はつしもであるとか、その子である次期当主、藤波ふじなみであるとか。


 少し手が震えた。

 武者震いだ。


 だが瓊花は、花影の微かに震える手を包み込むように握る。


「お疲れでしょう。まずは温かい葛湯など如何です?」


 優しい人。


「ありがとう存じます。ですが、お気遣いは無用に願います」


 瓊花は目をぱちくりとさせる。

 存外幼い表情に花影の表情も緩んだが、む、と気合を入れ直し、真っ直ぐに見つめ返す。


 小声で、他の者の耳には極力入らぬように気にしつつ。


「契約婚なのです。どちらにも益があること。瓊花殿が私に心を割く必要はございません。どうぞお捨て置きくださいな。書物さえ与えてくだされば、私、文句は申しませぬ故」


 見開いた瓊花の目が、面白そうに弧を描く。


「なるほど」


 唇が面白そうに綻んで、ですが、と瓊花は言葉を続ける。


「我らは知り合って間もない。お互いを知る必要があると思うのです」


「いや、ですからそれは無用と、」


 瓊花は花影の顔にぐいと自分の顔を寄せた。


 鼻を擽るのは涼やかな中に甘い薫香。

 殿方の好む香にしては柔らかいが、結構好み、などと一瞬あらぬことを考えた。


はかりごとを成す同志なのですから、やはりお互いをよく知って置くべきと、存じますよ花影殿」


 正論。


「それはまあ」


「でしょう」


 満足げに頷く瓊花を見上げ花影は、わからぬように、ほんの微かに鼻の頭に皺を寄せる。


 喰えない男。

 今日からは夫だ。


 さて、頭から喰われぬよう、心して掛からねば。


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