目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第4話 初めての二人きり

「しかし、よくまあも私を妻に、などと思い付いたものですね」


 世間でも評判の年増で醜女だ。


「家柄だけならば、確かに釣り合いはとれなくもないですけれど」


 怒涛の如くの仕来しきたりを済ませ、花影はなかげようやく人心地ついて、脇息にもたれ掛かった。


 シヲンが甲斐甲斐しく衣の裾を整え、髪をまとめ、白湯を差し出す。


 それを見つつ、瓊花けいかはにこりと笑って見せた。


 二人の間に几帳は無い。


 今宵から夫婦だとはいえ、先日まで顔も見たことも無い男と、素顔を晒して対面する度胸。


 良家の姫とは思えぬ豪胆さだなと、瓊花は満足げに頷いた。


 そこで満足げにするあたり、この男も中々世間一般からはズレている。


 さておき、問いには答えようと瓊花は笑みを深くする。


「昔、偶然から貴方の手蹟を拝見しました。扇に書き付けた和歌うたが美しくて」


「扇?」


「昔々の話です。私がまだ元服もしていない頃、さきの菖蒲当主の父と貴方のお父上とが、宴の席で戯れに交換を」


「ああ!」


 花影が溜め息を吐いた。


「幼子の手習いを、よりにもよって菖蒲のご当主にお渡ししたと! あの扇!」


 一筆書いてみろと父の万朶ばんだに挑発され、ならばと昔の人の和歌を書いた扇。


 我ながら上手く書けたと思ってはいたが、その場の余興に丁度見合った和歌だったことから菖蒲の当主殿と交換したと聞かされて。


 代わりに頂いてきたと、見事な和歌をしたためた扇を見せられて、幼い花影は頭を抱えたのだった。


 思い出した。


「見事な筆遣いに墨の濃淡に、心奪われました」


「お戯れを。子供の手習いです。ああ、お恥ずかしいこと。消えてしまいたい」


 袖で顔を覆ってしまった花影を、瓊花は楽し気に見つめる。


「あの時から、貴方は私の憧れの姫君でしたよ。何度か恋文を送ったこともあったのですが」


 ますます小さくなる花影。

 菖蒲の貴公子に、恋文を貰ったことなど記憶にない。

 それはもう全く。


「シヲン」


「姫様は片端から手習いの裏紙になさっておりましたから」


 傍らのシヲンに助けを求めたが、無情にも切り捨てられた。


「貴方からの返事を頂けた者は英雄扱いでしたよ」


「人を珍獣のように……」


 遂に花影は突っ伏した。


「申し訳ないことですが、あの頃の私は結婚になど、まるで興味も関心もなかったので」


 それは今でも。


 良家の姫らしく適齢期には妻問の文なども山と来ていた。

 当然すべてが花影の手に渡ることも無く、シヲンらの手により仕分けされ、漸く届いたとしても花影は一瞥しただけで、手習いの裏紙に使用するわけで。


「私の文など覚えてもいらっしゃらないでしょうね」


「……………」


「それはよいのです。そのおかげで今こうしている訳ですから」


 瓊花は杯を干し、にこりと笑った。


「年頃の若者からすれば、貴方は高嶺の花だったのですよ」


「そんな時代もありましたね。もう十年は昔のこと」


 山と来ていた恋文は一つ減り二つ減り、ここ数年見たことも無い。


 その代わりに文通仲間は多数居る。

 毎日のように、いや、日に二度も三度も遣り取りする者たち。


 多くは女性だが、男性も居る。


蔵人くろうどの、芙蓉ふようとは懇意にしていて」


 芙蓉も花影の文通仲間の一人だ。


「意外な、いえそうでも無いでしょうか。六家の出で無くとも彼は有能で名が知られていますから」


 六家、虹霓国を支える六色の貴族。

 菖蒲、はなだ蘇芳すおう藤黄とうおう、月白、黒鳶くろとび


「彼に貴方の手蹟を見せて貰うこともあるのですよ」


「………随分と良いご趣味でいらっしゃいますこと」


「ははは、こそばゆいな」


「誉めてませんから」


 花影は長く溜息を吐くと片膝をつき、髪をぐしゃりと掻き上げた。


 シヲンが眉を顰める。はしたない。


「要するに、私の素をご存じでいらっしゃると」


「すべてではありませんが。貴方の邸にも親しき者が居りますよ」


 花影がすっと目を細めた。


間者かんじゃまで放っておいでとは」


「心外だな。従者同士が友というだけなのに」


 他家の実情を掴むため、間者を忍ばせたり使用人を陥落したり。

 貴族同士にはままあることだ。


 斯く言う花影も幾人か伝手つてはある。

 表には一切姿を現さず、影に潜む護衛の者も。


 目の前の瓊花にも幾人かは影が就いているのだろう。


 女房の一人もつけずに単身花影を訪れるなど、無防備この上ない。


 そんな表情が読み取れたのだろう、瓊花は面白そうに言った。


「影なら居りませんよ。すべて下げました」


「……………は?」


「妻との語らいに、他人が居ては無粋でしょう」


「それはシヲンを下がらせろと仰せで?」


 ぴりりと緊張を走らせた女性二人に、瓊花は肩を竦めた。


「全幅の信頼を頂くには、早過ぎると思っています。でもいずれ、私に慣れて頂けたら嬉しい」


 少しだけ寂し気に、呟くように言われた台詞。


「貴方とは仲良くなりたいのです」


 花影は暫く瓊花を見詰め、ふっと息を吐いた。


「シヲン、下がりなさい」


「姫様?!」


「二人きりで、話してみたいわ」


 瓊花が目をみはる。


「いや、無理をなさらず。貴族の姫ならずとも、男と二人など怖いでしょう」


 ぴくりと花影の眉が跳ねた。


「怖い?」


「いえ、貴方をあなどったのではなく、」


「自分の夫を怖がっていて、北の方が務まりますか。ご冗談を」


 花影は鼻息荒く大見得を切る。


「私は私が選んで此処に居ります。貴方の妻になると私が決めたのです。それがはかりごとであろうとなんであろうと、不足なく務めるつもりで参りました。怖いなどと申しませぬ」


 シヲンがこっそり顔を歪めた。

 姫様わかってない。


 瓊花と目が合い、シヲンはそっと頷く。

 瓊花も小さく苦笑で答えた。


 一瞬で理解しあった二人は、表情を改めて花影に向き合う。


「では姫様、いいえ奥方様。シヲンは下がらせていただきます」


 ご用の際にお呼びくださいと、部屋を去るシヲンの背を少しだけ心細く見送って、花影は瓊花と見つめ合う。


「二人きりです」


 花影の声は少しだけ緊張をはらんで。


 影は流石に居るだろうけれど、と瓊花は苦笑した。


「思い切りの良い方だ」


 すっと瓊花が距離を詰めた。

 びくりと花影の肩が震える。


「わかっておられぬようですから、敢えてお伝えしますが、貴方と私しかここにはいないのです。悲鳴をあげれば流石に聞こえるでしょうけれど、ここは私の邸。私に逆らう者は居ない」


「わかっております」


「いいえ」


 すい、と瓊花の手が伸びて、花影の髪を掬った。


 そのまま一房をそっと、己の唇に寄せる。


 花影の頬が鮮やかな朱に染まる。

 目が落ちそうな程に見開かれていて。


 瓊花は少しだけ嗜虐心しぎゃくしんを抱いた。


「貴方に無体を働いても、誰も来ません」


「無体などと、だって、」


「子を為さずとも、愛し合う手段は色々とありますよ、花影殿」


「え、」


「契約婚でも夫婦は夫婦、でしょう?」


「ま、万が一、わ、たしが子を為したら、藤波殿の立場、が」


「方法などいくらでも」


 鯉のように口をパクパクさせる花影に、瓊花はぷっと笑って花影から離れた。


「か、揶揄からかったのね!」


 今度は怒りの為に、顔を真っ赤にしている花影は可愛らしい。


「少しだけ。でも、本当ですよ。私が貴方に何をしても、誰も助けには来ません。でも」


 瓊花は少し眉を下げた。


「貴方に嫌われたくないので、貴方が嫌がることはしないと誓います」


「……………」


「今の態度で何を言うと仰りたい表情ですね」


「よくわかりましたね」


「わかりますとも」


 瓊花は憤懣ふんまんやるかたないといった花影を、少し困った様に見つめる。


「先程も申しました通り、私は貴方と仲良くなりたいのです」


「でしたら揶揄うのをおやめくださいな」


「すみません。性分でして」


「私の方も、申し上げました通り、役割を全うするつもりで参りました。ええ、対価は頂く所存です。その分はお役に立って見せましょう」


 花影は居住まいを正しこうべを垂れた。


「今日よりは、どうぞ宜しくお願い致します。末永く」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?