目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第8話 たまにはこんな日もある

「宴を催そうと思う」


 突然初霜はつしものたまった。


「宴、でございますか」


「うむ、花見をしよう。瓊花けいかが懇意にしている公達きんだちやら妻女さいじょやらを招いてな」


「はあ」


 気のない返事をした花影はなかげに、やれやれと初霜は大仰にかぶりを振って見せた。


「そなたも出るのじゃぞ。寧ろそなたの披露目ひろめじゃ」


「は?」


 がくんと顎が落ちたかのように唖然とする花影に、初霜はにしし、と悪戯っ子の様に笑って見せる。


「新菖蒲中将の披露目は簡素に済ませてしまったからの。折角だから楽しく賑やかなものにしたい」


 花影の頬が引き攣った。


「畏れながら初霜様」


「義姉上と呼べ」


「畏れながら義姉上様、私、ではなく私、でございますか?」


「なに、難しいことを遣れというのではない。宴の演目やら、食事の希望やら、出してもらうだけであるぞ」


「いやいやいや義姉上様、ここはいなやを申し上げます。私は菖蒲に来て日も浅く、勝手のわからぬ状況。しかもしていることと言えば、義姉上様方との懇談や貝覆かいおおいなどの遊戯あそび図書ずしょ殿に籠っていることだけですよ!」


 初霜は頷いた。


「まあそうじゃな。これを機に覚えよ」


「いやしかし」


「なに、わからぬことは教えよう。どんといけ。そなたの好きなように宴を按排あんばいしてみせよ」


 そんな無茶な。


式次しきじはございませんので?」


「わたくしは気分で差配しておったのでな」


「そんな!」


 流石に非道と思ったか、初霜は頬を掻いた。


「宮中での宴を真似た感じでいいと思う」


「私参内したことがございませんが!」


 普通、貴族の妻子は参内などできない。

 女房として出仕するならばまだしも、宴に伺候しこうではなく参列などできるのは、臣籍降嫁した王族の姫くらいだろう。


「む、そうじゃな……。そうか。月白の邸での宴はどうであったのだ?」


「義妹が、弟の妻が優秀でしたので、その辺りは任せきりでございました」


 二人顔を見合わせて、揃って溜め息を吐いた。


 傍に控えているシヲンと、初霜の腹心の女房サキクサはお互い視線を合わせてそっと首を振る。

 うちの奥様方、どうしようもねえ、と思ったのかそうではないのか。


 花見を目的とした宴は王族貴族を問わずよく開かれる。

 簡素なものでは民草においても花の下に集い、舞い踊る。


「儀式ではなく懇親ですから。姫様もそう堅苦しく考えずとも宜しいのでは?」


 案を練る、と図書殿に引き籠った花影に従い、シヲンは粛々と書物を棚に戻していく。

 シヲンが棚に戻す傍からあれこれと、花影は儀式や祭事の式次を引っ張り出しては唸っていて。


「姫様ぁ」


「だって! 北の方になって初めての催しで私のお披露目兼ねてて! なのにカタチになってなかったら瓊花殿の汚点になるのよ! 引いては菖蒲のきずになり、月白の恥に――!」


「落ち着いてくださいまし。殿様はきっと、そんな姫様も可愛いと言ってくださいますよ」


「言わないわよ?!」


「言うと思います。それは置いといて」


 実際にとん、と棚の上の箱を置いて見せて、シヲンは花影を見遣る。


「節句のお祝いでもないのですから、姫様の琴の演奏を主軸に、舞人まいと楽人がくとを手配して、後は招待客の皆さまに歌でも詠んで頂いて」


 すらすらと案を上げていくシヲンに、花影はぽかんとしてしまった。


「美味しいお酒とお料理を、殿様のお好みに合わせて選んで、そして、花を愛でれば宜しゅうございます」


 花影は手に持った巻物をそっと膝に置いた。


「シヲン」


「はい」


「あなた凄腕の女房だったのね……。見事だわ。采配任せていい?」


「駄目です」


「けれど、そう考えるとそんなに難しい訳でもない気がしてきたわ」


「ご油断めさるな」


「はい」


 シヲンはけれど柔らかく笑って見せる。


「殿様にお頼りなさいませ。きっと喜ばしく思ってくださいます」


「迷惑かけて嬉しがる人がいるものですか」


恋妻こいつまからかけられる迷惑は甘美なるもの、と世の殿方は申しますよ」


 しれっと言ってのけるシヲンに花影は半眼になる。

 恋い慕い合っての結婚ではない。

 どこまでも計略尽く。


 それはシヲンとて承知していように。


「まあ、シヲンは私よりずっと人妻歴長いものね。従いましょう」


「それが宜しゅうございます」



「というわけで」


 帰って来た瓊花を待ち受けていた花影は、心持ち身を小さくしている。


「瓊花殿のご意見を賜りたく」


 束帯の首を寛げて、瓊花はにこやかに笑った。


「これで私も、やっと世の夫らしいことができますね」


 面倒だからこれでいい、とあこめだけを羽織って。

 瓊花はいそいそと花影の隣に腰を下ろした。


「ご機嫌ですね」


「今機嫌がよくなりました」


 怪訝そうな花影に笑みを返して、瓊花は上機嫌である。


「私の意見が必要とは、何がありました?」


「義姉上様が、花見の宴をと仰って」


「ああ、もうそんな時期ですね。――ん? それであなたが差配をと?」


「ご明察です」


 そっと式次案を書き付けた紙を差し出し、花影は真剣な表情で瓊花を見上げる。


「瓊花殿、お好みは」


「……好み、ああ、料理。そうですね、薯蕷いも粥かな」


「食後の甘味かんみではないですか」


「ふふ、好きなんです」


 薯蕷粥とは山芋の皮を剥いて薄切りにし、甘葛の汁を沸騰させて軽く煮たものだ。

 宴席の最後を飾る甘味として、欠かせぬものと言える。


「花影殿は、何かお好きな甘味はございますか?」


「私は、そうですね、粉熟ふずくとかとか……。でも甘いものは大抵好きです」


 粉熟は餅米の粉に大角豆と甘葛煎とを混ぜて練り、茹でたものを捏ねて竹筒に入れて突き出し、双六の駒のように切ったものだ。

 他に串柿、干棗、胡麻、搗栗、煎豆の粉などを入れて揚げたものもある。


 蘇は牛乳を煮詰めたもの。

 煮詰めていく順にらく生蘇しょうそ塾蘇じゅくそ醍醐だいごとなる。

 この内の塾蘇を通常は蘇と呼んでいる。


「甘葛煎も良いですが、蜂蜜なども好きですね……。いや、私の好みはこの際横に置いてください」


「貴方の為の宴ですよ」


「語弊があります」


「そうでしょうか。まあ、いいでしょう。時に、食せぬものなどありましょうか」


「また私の言を取る。私が聞いているのですよ、瓊花殿!」


「ははは。珍味が苦手とはお聞きしているのだが」


「誰です」


「情報源は大切にせねば」


 澄ました顔の瓊花を、殴ってやりたいと思う花影だった。


 花影が特に苦手としているのが、海鼠腸このわたといって海鼠なまこの内臓を干したものである。

 海鼠を知らなかった幼き花影は、ある日意図せずしてその姿を知ってしまった。

 それ以来食べられない。


 熬海鼠いりこ、海鼠の内臓を除いた後に、海水あるいは薄い塩水で煮て乾燥させたもの、ならば何とか食せぬことも無いが、苦手は苦手である。


 あと雲丹うに

 大臣大饗だいきょうでは最高の珍味として知られ、花影の父、万朶ばんだも好んでいる最高級食品だが、花影の口には合わないもので。


 他にも元の姿を知ってしまったが故に、食べられなくなったものなどは多岐にわたる。

 花影の知的好奇心が悪い方向へ働いた例だ。



 それから夜遅くまで、互いの好き嫌いをあげつらい、他愛ない喧嘩などして。

 甘味を食べて仲直りして。


 なんだか本当の夫婦のようだな、と口には出さないけれど、お互いが共に思った穏やかな日だった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?