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第10話 面目躍如

 船に乗る楽人の一団が素晴らしい楽を奏でたその後で。

 花影はなかげは琴を披露しなければならなかった。


 せめて順番が反対であったならと思うのだけれど、今日は花影のお披露目でもあるわけで。


 主役なのだから仕方ないと割り切るには、少々胃が痛過ぎた。


 そっと吐息を零せば、瓊花けいかがきゅっと手を握ってくれる。

 忌々しいことだが、しっかりと心の支えになっている。


 指先に力を込めて握り返して、花影は真っ直ぐに前を向いた。


 鬼気迫る表情だなあと、えんじゅは苦笑を堪えている。

 姉の性格からして、ここで恥を掻けはしないと、死を覚悟する程の気持ちで居るのだろう。


 自分のことなら笑い飛ばす癖に、花影は自分の所為で人が恥を掻くのを許せない性質たちなのだ。



 花影は琴にそっと手を触れた。


 風が吹き、花弁が舞う。

 花影の手が翻り、びぃぃぃんと糸が震えた。


 ゆったりと厳かに、けれど華やかに。楽が奏でられる。


 桜梅桃李付扁桃おうばいとうりつけたりへんとう。花見の宴にぴったりの曲目だ。


(さすが姉上)


 槐と薄氷うすらひは視線を合わせて頷き合う。

 花影は和歌も楽も書も、抜きん出て素晴らしい腕前だ。


 当代随一、とまでは行かないだろうが、人並みではない。

 良い意味でも悪い意味でも。


 そして、陽の光を受けて輝くその姿は、都で噂の醜女しこめとは程遠い。

 いっそ神々しいくらいだ。


 瓊花がうっとりと見蕩れているのが見て取れて、蔵人の芙蓉ふようはそっと苦笑した。

 花影とも瓊花とも付き合いは長いが、芙蓉が花影の姿を見たのはこれが初めてだ。


 手蹟が美しいのも、なかなかに容赦無い性格なのも知ってはいたけれど。


(なんとも美しい女性だったのだな……)


 思わず嘆息するほどではあった。


 槐の姉なのだから、その姿が美しいことくらい予想できたような気がするが、なにぶんふみの内容が激しいと言おうか、手加減が無いと言おうか。


 閑話休題それはともかく


 列席者の心を大いに揺さぶり、極上の余韻を残して。

 花影は琴を弾く手を止めた。


 そっと手を付きこうべを垂れる仕草ひとつさえ麗しく。


 誰もが不思議に思ったはずだ。


 何故、この女人が都で一と噂される醜女なのだろう、と。


 今の時代、三〇も間近で未婚の姫など、余程のことが無い限り、存在しない。

 それも六家のひとつ、月白家の一の姫だ。


 嫁ぎ先が無いなど、余程容色が悪いか、想像を絶する性根の悪さなのだろう。

 そこから回り回って都一の醜女であると噂されるに至った訳で。


 そこは花影の自業自得と言わざるを得ない。


(だって結婚する気なんて、全然まったく、これっぽっちも無かったのだもの)


 降りしきる縁談を片端から断って、断って、断って。


 その結果。

 何の因果か、六家筆頭菖蒲家当主の北の方に収まってしまったわけだが。


 契約婚であることだし。

 期限は前当主の忘れ形見、藤波ふじなみが元服するまでであるし。


「息を吐くのも忘れてしまうほど、素晴らしい演奏でしたよ」


 うっとりと囁く夫に微笑み返して。


「何とか面目は保てましたね」


 冷や汗を拭う花影だった。


 お役御免のその日まで。

 菖蒲家当主の北の方、の評判を落とす訳には行かないと、気合を入れ直す。


 花影が何事かしくじれば、菖蒲家はもとより、実家の月白家の評判まで落とす。

 失敗など出来ようはずがない訳で。


 まだカタカタと手は震えている。


 瓊花は花影に寄り添って手を取ると、そっと口付けた。

 思わず悲鳴を上げ掛けて、何とか飲み込んだ花影である。


「誰かに見られたらどうするおつもりなのですか」


 怒気を孕んだか細い抗議に、瓊花はにこりと笑って見せた。


「夫婦なのですから。仲睦まじいのは良いことですよ」


 びき、と目の下に皺を刻んだ花影をおもんぱかって、瓊花はそっと拳ひとつ分距離をあけた。

 もっと離れてもいいのだが、と思う花影を他所に、瓊花はにこにこと上機嫌で。


 初霜はつしもと藤波の母子も上機嫌で手を振って来る。

 花影は失礼に当たらぬよう、静かに頭を垂れて礼を取った。


 ひとまず、自分の見せ場は終わった。


 あとは滞りなく宴が終われば、菖蒲家当主北の方としての初舞台は仕舞いである。

 一気に白髪になりそうなくらい疲れた。


(薄氷どのはよくやっていたものだわ。こんなことを毎回だなんて、信じられない)


 月白家での宴を差配していた義妹を、改めて尊敬する。

 そんな心を知ってか知らずか、視線の先、薄氷は槐と楽し気に何やら話している。


(大姫にも、会いたいなあ)


 可愛い姪っ子は、きっと今日も地団太踏んで怒っていただろう。


 自分一人が宴へ連れて行って貰えないだなんて、許せない。

 伯母上の差配する花見宴なのに! と泣きわめく姿が見えるようだ。


 少しだけ寂し気な空気が伝わったのだろう。

 瓊花が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「少し、疲れただけです」


 ただそれだけ。


 覚悟を決めて嫁いできたのだ。

 これしきのことで音を上げてたまるものか。


 花影は傲然と顎を上げ、背筋を伸ばした。


 瓊花がこっそりと溜め息を吐く。


 もっと頼ってくれていいのに。

 寧ろ寄り掛かってくれていいのに。


 吐息に混ぜた呟きに、花影は気付かなかった。


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