ネジは宿に戻る。
部屋まで戻ると、サイカはラジオを聴いていた。
黙って出て行ったことに、腹を立てていないだろうか。
「あの…」
「水ならそこに飲める水が入っている」
「はい」
ネジは反射的に、そこといわれた小さな扉を開ける。
ガラスの瓶に水がなみなみ。
「酒を調達してきたんだろう」
「うん」
「つぶれるのがいやで、買ってきたんだろう」
「うん」
「薄めて飲め」
「はい」
サイカはいつものように無表情で、無愛想だ。
でも、怒っていないようだ。
いつものサイカだ。
ラジオの曲が静かに流れている。
ネジはコップにビーを少し注ぐ。
そして、水をなみなみ。
混ぜたほうがいいだろうかと思ったが、
飲んでから考えることにする。
口をつけ、少し飲む。
ピリッと何かの辛味みたいなものがする。
口に含むと、何かのスパイスみたいな風味がする。
そして、のどに落としていくと、
スパイスの影から、ふわりとしたさわやかな甘みが残る。
ネジは首をかしげる。
個性的な味で、おいしい。
どんな植物、水を使っているのか、トンと見当もつかないが、
勧めてくるだけあるなと思った。
「うまいか?」
「うん、おいしい」
ネジはグラスを傾ける。
酒がうまいのはいいことだ。
この酒を原液のまま、ちびちび飲んでいた時代もあったらしい。
それはそれでおいしそうだけど、
スパイスがすごいだろうなと思った。
ネジはふと思い出す。
「このあたりのニュース知ってる?」
「ニュース?」
「喜びの歯車を盗む人がいるんだ」
サイカは神妙な顔をする。
わずかに顔をしかめただけにも見える。
「トリカゴって名乗ってたよ」
「会ったのか」
「うん、たまたま」
ネジは包み隠さず答える。
「トリカゴ、か…」
「そう」
「ここで生きていたのか」
サイカはつぶやく。
ネジは驚く。
「知り合い?」
「いろいろあってな」
また、何か隠された。
サイカは何でも知っているのに、
時々こうやって隠す。
「眼帯の女だった、そうだろう」
「うん」
「昔、あの女は、ネムリネズミという階級にいた」
「ネムリネズミ?」
「研究者だ。歯車に関する」
「じゃあなんでこんなところに…」
「さぁな」
サイカはまたはぐらかす。
ネジは追求しようと思った。
「大体、歯車に関する研究者が、歯車盗むなんてしないでしょ」
「理由があるんだろう」
「どんな?」
「さぁな」
サイカは話したくないのか、それで話を切ってしまった。
ネジとしては納得がいかない。
ビーを飲んでさらに話そうとする。
「大体なんでトリカゴさんのことを知っているのさ」
「いろいろあってな」
「何だよいろいろって」
「いろいろだ。歯車が回る前からな」
「歯車が回る前?」
「そう、あの歯車を回す前からな」
「あの歯車?」
ネジは重ねて問い続けるが、
どうもサイカの言っていることが半分も理解できない。
ネジの頭の中がわんわんなっている。
身体が熱い。
「ラプターをおろせ」
「うん」
「つぶれる前に寝巻きに着替えろ」
「うん」
「お前は酔っている」
「そうかも」
ネジはふわふわと答える。
予想以上にビーを濃く入れすぎたか、
あるいはネジが酒に弱いか。
どっちでもいいやとネジは思った。
サイカに手伝ってもらって、
ネジはベッドにもぐりこむ。
「ネムリネズミのトリカゴ…」
サイカがつぶやいたのが聞こえた。
ネジはサイカの声に何かを感じた気がした。
気がしただけで、酔いの中に全部埋もれていく。
サイカはトリカゴを知っている。
研究者だったというトリカゴ。
どうして歯車があるのか知っていますか?
ネジは夢うつつの中で、問いかける。
記憶の中の、艶っぽく笑う、眼帯のトリカゴに、問う。
問いかけは、ネジの中でふわふわとエコーを残して消えた。
いろいろ疑問はあるが、
ネジはこのまま眠ることにした。