トリカゴは、ずっと前からそこにいたように、微笑んでいる。
眼帯をしているが、左右が逆のような気がする。
気のせいだろうか。
いつからそこにいたのだろう。
店の廃墟に入ったときは、
サイカとネジだけだったはずだ。
「やっぱりここに来たのね」
トリカゴが話し出す。
ネジは何か言わなくてはと思う。
「悪いことだと思う?」
ネジはこくりとうなずく。
ネジは適した言葉を持っていない。
だから、うなずくしかできない。
「そうね、でも、そうするしかないのよ」
「どうして」
トリカゴは微笑む。
「狂った歯車から、解放してあげたかったの」
「狂った?」
「喜びのみの世界。それは狂っていると思ったの」
「平和が訪れたんじゃないですか?」
「平和という名の、中央の支配よ」
「中央の?」
ネジにはよくわからない。
今までやってきた世界では、
みんな喜びの歯車で平和に暮らしてきた。
それは狂ったことだとトリカゴはいう。
「こいつには記憶がない。説明するのは骨が折れるぞ」
サイカが静かに言う。
トリカゴは少しだけ驚いたあと、
「そっか、あなたには記憶がないのね」
「はい」
「大戦が、中央の支配を伸ばすためだったことも」
ネジはそんなことを知らない。
「中央は大戦を終えると、別の手段で支配を伸ばそうとした」
「それが喜びの歯車だというのですか?」
「そう、喜びに麻痺させるの」
「喜びに麻痺…?」
「喜びのみでは、幸せじゃない」
「だからって、人を怒りで暴走させるなんてよくないです」
ネジは記憶に焼きついた、ゆがんだ顔を思い出す。
この状態だけで言うのなら、
トリカゴが招いた状態のほうが狂っている。
「思い出してほしかったの。心が燃えるような、何にも支配されない感情を」
「支配されない感情?」
「喜びだけでない、輝いた感情があるはずだと思っていたの」
「輝いた?」
「でも、計算違いが生じた」
トリカゴはため息をついた。
「喜びでない感情も、すでに中央に支配下にあったのよ」
「それがトリカゴさんの計算違い?」
「そう」
「計算違いで殺しあったんですか?」
「そういうことになるわね」
ネジは理解できない。
平和な世界しか知らないから、
ネジは理解できない。
「俺には理解できません」
「わかってほしいのは、喜びだけでないということ」
「喜びだけでない」
「世界はとても不完全なの。だから輝いた感情があるはずだと思っていた」
「でも、ズシロの町は滅んでしまった」
「生き残りはいるわよ」
トリカゴが微笑んだが、
どこか悲しい感じを塗りこめた、あのときの微笑だった。
トリカゴが歩き出す。
サイカとネジが続く。
人気のない通りを歩く。
砂が飛ぶ。
足跡はすぐにかき消されていく。
「この扉の向こう」
トリカゴが扉をたたく。
「だれですか?」
「トリカゴです」
ガチャリと音がする。
そして、扉が開く。
「おかえりー」
出迎えたのは、小さな子どもだ。
「あのね、ハリーがお仕事で負けたんだってー」
「そう、ハリーがね」
子どもとトリカゴが会話をしている。
「どなたです?ハリーって」
ネジが問いかける。
子どもがネジの足元にやってくる。
「ハリーはね、すごうでの泥棒なんだよ」
「泥棒?」
「何でも盗むし、どこでもいける、なににでもなれる」
「なににでもなれる?」
ネジの頭の中で何かがひらめく。
「最近隣町で泥棒するとか言っていたかな?」
「喜びの歯車を盗んでこようかといってたよ」
「それで、どうだったのかな」
「それで負けたんだってさ」
「ついでに聞いていいかな?」
「なぁに?」
「誰になりきっていたのかな?」
「トリカゴさんですよ」
奥から黒髪のショートカットの青年が現れる。
ニコニコ微笑んでいる。
どこにでもいる青年のはずなのに、
気配が少しの影にも溶け込みそうだ。
きっと彼がハリーだ。
「また会いましたね、ネジさん」
ハリーはニコニコと微笑を深くした。