ネジはハリーがいなくなったのを確認する。
ハリーの気配は、もともと影のように薄い。
模写師が全部そうなわけじゃないだろうが、
ハリーは一体何なのだろう。
うつろと以前言っていた気がするが、
ハリーは楽しげに見えるし、
困っているようにも見えない。
「ふーむ」
ネジはなんとなく天井を見たりする。
あるいは、と、考える。
あるいは、困ったり悩んだり、楽しくなかったり。
そういう人のほうが、何かが満ちているのかもしれない。
ネジは考え込みながらルルーのふたを開ける。
プシッと音がして、
果実の香りが広がる。
サイカがいれば、この果実についても教えてくれるかもしれない。
サイカは何でも知っているし、
でも、サイカは万能じゃないのかもしれない。
この辺は考えというか、認識というか、
そういうちょっと難しいことも改めないといけないかもしれない。
困ったり悩んだりがない、ハリー。
万能じゃないサイカ。
喜びの歯車で回る世界。
ネジはルルーを口に含み、味わう。
しゅうしゅうと炭酸の発泡が心地いい。
適度な刺激をよく作れたなと思うし、
なによりも、果実との調和が見事に取れている。
「おいしい」
つぶやいてみても相槌すらない。
喜びの歯車で回る世界に、
ネジはたった一人だと思う。
いつもより酒をおいしいと感じない。
こんなにもおいしいのに。
いつもより無茶して飲もうと思わない。
一人で好き勝手できるのに。
「なんでかなぁ」
ネジにはよくわからないが、
よくわからないなりに、自由ってこんなにさびしいのかなと考える。
自分を基準にして、責任もって、
一人でどうにかすること。
他人をすべて排除するわけじゃないけど、
自分でちゃんと責任取るってこと。
「一人ってさびしいね」
ネジはようやく認めた気になる。
そのままルルーを飲んで、寝ることにした。
ベッドにもぐりこむと、
待ちかねていた睡魔が訪れる。
ネジはイメージする。
睡魔は彼女だ。
彼女は歯車の上にいる。
彼女は歯車の上でステップを踏んでいる。
青白い大きな歯車の上。
彼女は踊っている。
ああ、喜びだ。
それは喜びなんだ。
歯車はちょっとゆがんでいる。
ああ、それは歯車がいくつもなくなっているからだ。
彼女の手を取ろうと思う。
届かない。
手を取ったことがあるはずなのに。
「待って」
ネジは思わず声を出し、
それで目が覚めた。
窓からは朝日が差し込んできている。
ネジのいじらないラジオが、青白い歯車とともに置かれている。
ああ、夢だったのか。
ネジはそんなことを思う。
「彼女って誰だろう」
ネジは口に出してみる。
答えてくれる人が誰もいないとしても。
一人でいる間に確認してみたかった。
彼女は誰だろう。
いつも、いつも?
記憶のどこかにいる彼女。
もしかしたら、
彼女に会えればネジのことがわかるかもしれない。
ネジはネジなりに考える。
けれども、考えようとすると、
彼女との夢の記憶がごちゃごちゃになってしまう。
ネジはそれを、つらく思う。
また、彼女を失ってしまうのか。
そんな思いを持つ。
またって、何で?
彼女を知っているのか?
やっぱり?
ネジは混乱する。
「誰なんだ」
ネジは中空に呼びかけてみる。
サイカすら答えてくれない朝。
潮の音が聞こえる中、ネジは一人だった。
ネジはイメージをする。
思い出せないならと、せめて、と、
ネジのイメージの中に、
彼女の姿として、ニィの姿を与える。
ネジが涙にしてしまったニィ。
かりそめでもいい。
彼女に会えばきっと彼女になるだろうから。
思い出せないから、
せめてニィの姿で。
ネジのイメージの中、
ニィが微笑む。
(ありがとう)
そんなことを言った気がする。
彼女の夢が消えていく。
けれど、ニィの微笑が記憶に残った。