玲華は拳を握りしめ、爪が食い込むほどに力を込めた。
心臓が早鐘のように打つ。
けれど、ここで怯んではいけない。
深く息を吸い、まっすぐに徐慧を見据える。
胸の奥にある迷いを振り払い、強く言い放つ。
「私、強くなりたい!剣を学んで、誰にも負けない力を手に入れる!このままでは、何も守れないから!」
その声は森に響き、静寂を打ち破るようだった。
小鳥が一斉に枝を揺らしながら飛び立ち、風が梢をざわめかせる。
だが、玲華の心には、もはや揺らぎはなかった。
彼女の瞳には迷いはなく、ただ純粋な決意と覚悟が宿っていた。
「よし、なら徹底的に鍛えてやるよ」
徐慧は木剣を軽く肩に担ぎ、口元に笑みを浮かべながら玲華を見た。
その目にはただの好奇心ではなく、鋭く見極めるような視線が宿っている。
(……試されてる?)
玲華は思わず背筋を正した。
まるでいい獲物を見つけたかのような――いや、違う。
彼は弟子にふさわしいか見極めようとしている。
一瞬、体がこわばる。
けれど、すぐに胸の奥に競り上がるものがあった。
(絶対に、認めさせてみせる……!)
「まずは基本だ。お前、どんな剣の振り方をしてる?」
「……えっと、普通に?」
「普通ってなんだよ。見せてみろ」
玲華は木剣を握り直した。
ざらついた木の感触が指先に馴染み、汗ばむ手のひらにわずかな抵抗を感じる。
一呼吸置き、肩の力を抜く。
振り下ろした瞬間、風を裂く鋭い音が耳を打ち、木剣の先端がわずかにしなるのを感じた。
バシッ!
乾いた打撃音が、地面に吸い込まれるように響く。
徐慧は腕を組んで彼女の動きを観察し、ふむと頷いた。
「まあ、そこまで悪くはねえが……やっぱり無駄が多いな」
「無駄……?」
「さっきも言ったが、力に頼りすぎてる。それに、足の運びが雑だ」
徐慧は自分の足元を指し示した。
「剣は腕だけで振るもんじゃねえ。体全体を使うんだよ。お前、足の位置を意識したことあるか?」
「……ないかも」
「だろうな。ほら、こうやって足を動かす」
徐慧は一歩前に踏み込みながら木剣を振るった。
その動きには一切の躊躇がなく、まるで水が流れるように滑らかだった。
剣が宙を裂き、軽やかに空間を切り取るように収まる。
「お前の場合、剣の動きと足の動きがバラバラになってる。だからバランスを崩しやすいんだ。まずは剣を振るんじゃなく、足の運びを覚えろ」
「えっ、剣を振らないの?」
「ああ。剣の前に、まずは体の使い方を身につけろ。じゃねえと、いくら振っても当たらねえし、当たっても威力が出ねえぞ」
玲華は納得がいかないように木剣を握りしめたが、徐慧の真剣な目を見て、小さく頷いた。
「……わかった」
「覚悟しろよ。明日になったら、歩けなくなってるかもしれねえぞ」
徐慧がニヤリと笑う。
そして、その言葉通り、玲華にとって過酷な訓練が始まった。
最初に課されたのは「歩くこと」。
ただし、普通に歩くのではない。
「いいか、膝を軽く曲げて、腰を落とす。そして、前足を滑らせるように出すんだ。足音を立てず、静かにな」
玲華は言われた通りにやってみる。
だが、ほんの数歩で体勢が崩れそうになり、足がもつれる。
「うわっ……!」
「バランスが悪い。背筋を伸ばして、腹に力を入れろ」
徐慧の指摘を受け、玲華は必死に姿勢を整える。
だが、膝に負担がかかり、早くも悲鳴を上げそうになる。
普段の歩き方とはまるで違う。
一歩、また一歩と進むごとに、太ももが張り、額には汗が滲む。
「これ……けっこう、きつい……」
「当たり前だ。だけど、これができるようにならねえと、剣をまともに扱えねえぞ」
徐慧は腕を組んだまま、玲華を見守る。
「それに、お前は女で体が軽い。その軽さを活かせば、相手にとっては狙いづらい厄介な動きになる」
「……軽いことを活かす?」
「そうだ。重さで勝負できねえなら、速さと柔軟さで勝負すればいい。お前には、お前に合った戦い方がある」
「速さ……」
玲華は息を整え、もう一度足を動かした。
ゆっくり、慎重に、一歩ずつ。
だが、全身が悲鳴を上げる。
腿が張り、ふくらはぎが震える。
額から流れる汗が視界を曇らせるが、それでも足を止めなかった。
五歩目、足音がかすかに響いた。
(まだダメ……もっと静かに……)」
六歩目、今度は呼吸に意識を向ける。
七歩目、呼吸を整えつつ、膝の角度をわずかに変えてみる。
すると、足が地面を擦る音がさっきよりも小さくなった。
(少しはマシになった……?)
わずかな変化に気づき、玲華は歯を食いしばる。
足元に意識を集中し、慎重に次の一歩を踏み出した。
確かに、音は先ほどよりも抑えられている。
(この調子なら……もっと先へ進める)
心の奥底から、じわりと熱が込み上げる。
だが、次の瞬間―――胸の奥に浮かんだのは、凌の顔だった。
彼の穏やかな笑顔。
一瞬、頭をよぎる。
それは、どこか誇らしげで優しい眼差しだった。
玲華の中にある「強くなりたい」という気持ちを、きっと凌も理解してくれるだろう。
そう思うと、胸の奥がほんの少し温かくなった。
でも、それだけでは足りない。
もっと強く、強く……凌を守れるほどに。
誰にも負けない力を手に入れるために。
だから、こんなところでへこたれている場合じゃない。
「ふう……っ!」
息を吐き、玲華はまた一歩踏み出す。
その様子を見て、徐慧が小さく笑った。
「いいねえ、その目。やっと弟子らしくなってきたな」
玲華は顔を上げ、きっと前を見据えた。
目の奥には、決意の炎が揺らめいていた。
「……もっと、教えてください、師匠」
「おう、まずは徹底的に足の使い方を叩き込んでやるよ」
徐慧は木剣の柄を軽く指で叩いた。
木剣が軽やかに鳴り、空気を引き締めるような響きが残った。
その音が、師弟の契りを刻むように響いた。
木剣が鋭く響き、その音が新たな道を切り開いた。