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第5話 強くなる為の第一歩

 玲華は拳を握りしめ、爪が食い込むほどに力を込めた。

 心臓が早鐘のように打つ。

 けれど、ここで怯んではいけない。

 深く息を吸い、まっすぐに徐慧を見据える。

 胸の奥にある迷いを振り払い、強く言い放つ。

「私、強くなりたい!剣を学んで、誰にも負けない力を手に入れる!このままでは、何も守れないから!」

 その声は森に響き、静寂を打ち破るようだった。

 小鳥が一斉に枝を揺らしながら飛び立ち、風が梢をざわめかせる。

 だが、玲華の心には、もはや揺らぎはなかった。

 彼女の瞳には迷いはなく、ただ純粋な決意と覚悟が宿っていた。

「よし、なら徹底的に鍛えてやるよ」

 徐慧は木剣を軽く肩に担ぎ、口元に笑みを浮かべながら玲華を見た。

 その目にはただの好奇心ではなく、鋭く見極めるような視線が宿っている。

(……試されてる?)

 玲華は思わず背筋を正した。

 まるでいい獲物を見つけたかのような――いや、違う。

 彼は弟子にふさわしいか見極めようとしている。

 一瞬、体がこわばる。

 けれど、すぐに胸の奥に競り上がるものがあった。

(絶対に、認めさせてみせる……!)

「まずは基本だ。お前、どんな剣の振り方をしてる?」

「……えっと、普通に?」

「普通ってなんだよ。見せてみろ」

 玲華は木剣を握り直した。

 ざらついた木の感触が指先に馴染み、汗ばむ手のひらにわずかな抵抗を感じる。

 一呼吸置き、肩の力を抜く。

 振り下ろした瞬間、風を裂く鋭い音が耳を打ち、木剣の先端がわずかにしなるのを感じた。

 バシッ!

 乾いた打撃音が、地面に吸い込まれるように響く。

 徐慧は腕を組んで彼女の動きを観察し、ふむと頷いた。

「まあ、そこまで悪くはねえが……やっぱり無駄が多いな」

「無駄……?」

「さっきも言ったが、力に頼りすぎてる。それに、足の運びが雑だ」

 徐慧は自分の足元を指し示した。

「剣は腕だけで振るもんじゃねえ。体全体を使うんだよ。お前、足の位置を意識したことあるか?」

「……ないかも」

「だろうな。ほら、こうやって足を動かす」

 徐慧は一歩前に踏み込みながら木剣を振るった。

 その動きには一切の躊躇がなく、まるで水が流れるように滑らかだった。

 剣が宙を裂き、軽やかに空間を切り取るように収まる。

「お前の場合、剣の動きと足の動きがバラバラになってる。だからバランスを崩しやすいんだ。まずは剣を振るんじゃなく、足の運びを覚えろ」

「えっ、剣を振らないの?」

「ああ。剣の前に、まずは体の使い方を身につけろ。じゃねえと、いくら振っても当たらねえし、当たっても威力が出ねえぞ」

 玲華は納得がいかないように木剣を握りしめたが、徐慧の真剣な目を見て、小さく頷いた。

「……わかった」

「覚悟しろよ。明日になったら、歩けなくなってるかもしれねえぞ」

 徐慧がニヤリと笑う。

 そして、その言葉通り、玲華にとって過酷な訓練が始まった。

 最初に課されたのは「歩くこと」。

 ただし、普通に歩くのではない。

「いいか、膝を軽く曲げて、腰を落とす。そして、前足を滑らせるように出すんだ。足音を立てず、静かにな」

 玲華は言われた通りにやってみる。

 だが、ほんの数歩で体勢が崩れそうになり、足がもつれる。

「うわっ……!」

「バランスが悪い。背筋を伸ばして、腹に力を入れろ」

 徐慧の指摘を受け、玲華は必死に姿勢を整える。

 だが、膝に負担がかかり、早くも悲鳴を上げそうになる。

 普段の歩き方とはまるで違う。

 一歩、また一歩と進むごとに、太ももが張り、額には汗が滲む。

「これ……けっこう、きつい……」

「当たり前だ。だけど、これができるようにならねえと、剣をまともに扱えねえぞ」

 徐慧は腕を組んだまま、玲華を見守る。

「それに、お前は女で体が軽い。その軽さを活かせば、相手にとっては狙いづらい厄介な動きになる」

「……軽いことを活かす?」

「そうだ。重さで勝負できねえなら、速さと柔軟さで勝負すればいい。お前には、お前に合った戦い方がある」

「速さ……」

 玲華は息を整え、もう一度足を動かした。

 ゆっくり、慎重に、一歩ずつ。

 だが、全身が悲鳴を上げる。

 腿が張り、ふくらはぎが震える。

 額から流れる汗が視界を曇らせるが、それでも足を止めなかった。

 五歩目、足音がかすかに響いた。

(まだダメ……もっと静かに……)」

 六歩目、今度は呼吸に意識を向ける。

 七歩目、呼吸を整えつつ、膝の角度をわずかに変えてみる。

 すると、足が地面を擦る音がさっきよりも小さくなった。

(少しはマシになった……?)

 わずかな変化に気づき、玲華は歯を食いしばる。

 足元に意識を集中し、慎重に次の一歩を踏み出した。

 確かに、音は先ほどよりも抑えられている。

(この調子なら……もっと先へ進める)

 心の奥底から、じわりと熱が込み上げる。

 だが、次の瞬間―――胸の奥に浮かんだのは、凌の顔だった。

 彼の穏やかな笑顔。

 一瞬、頭をよぎる。

 それは、どこか誇らしげで優しい眼差しだった。

 玲華の中にある「強くなりたい」という気持ちを、きっと凌も理解してくれるだろう。

 そう思うと、胸の奥がほんの少し温かくなった。

 でも、それだけでは足りない。

 もっと強く、強く……凌を守れるほどに。

 誰にも負けない力を手に入れるために。

 だから、こんなところでへこたれている場合じゃない。

「ふう……っ!」

 息を吐き、玲華はまた一歩踏み出す。

 その様子を見て、徐慧が小さく笑った。

「いいねえ、その目。やっと弟子らしくなってきたな」

 玲華は顔を上げ、きっと前を見据えた。

 目の奥には、決意の炎が揺らめいていた。

「……もっと、教えてください、師匠」

「おう、まずは徹底的に足の使い方を叩き込んでやるよ」

 徐慧は木剣の柄を軽く指で叩いた。

 木剣が軽やかに鳴り、空気を引き締めるような響きが残った。

 その音が、師弟の契りを刻むように響いた。

 木剣が鋭く響き、その音が新たな道を切り開いた。


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