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第7話 風を斬る剣、戦を読む目

「この半年で、随分変わったな」

 木漏れ日の中、徐慧が腕を組みながら玲華を見下ろす。

 その目には、どこか満足げな光が宿っていた。

 玲華は荒い息を整え、木剣を握りしめる。

 額には汗が滲み、全身の筋肉が心地よい疲労感を訴えていた。

 しかし以前のように、すぐに息が上がることはない。

「まだ……終わってません!」

 玲華は地面を蹴った。


 ヒュンッ!!


 影のように俊敏な動きで間合いを詰め、一気に剣を振るう。

 それは、この半年で磨き上げた玲華の最も得意な技――風刃。

 己の速さを最大限に活かし、剣にその勢いを乗せて振り抜く一撃。

 その速さは、人の目では追えぬほど。

「ほう……」

 徐慧の目が細まる。


 カンッ!!


 鋭い音が響く。

 剣を振るうよりも速く、徐慧の木剣が玲華の刃を弾いた。

 玲華は反動を利用し、すぐさま後方に跳ぶ。

(やっぱり……まだ師匠には届かない)

 しかし、剣を握る手には確かな手応えがあった。

 以前とは違う。今の自分は戦えている。

「いい目をするようになったな」

 徐慧が楽しげに笑う。

「速さを活かした一撃か。いい剣だ」

 玲華の剣戟は、単なる素早い斬撃ではない。

 踏み込みの瞬間、身体を捻ることで、刃にさらに加速を乗せる。

 身体の回転、重心の移動、剣の軌道をすべて計算し、最も鋭い一閃を生み出す技。

 風のように舞い、一瞬の閃きで敵を切り裂く。

 まるで風が刃を生み出すかのような鋭さだった。

 徐慧は木剣を軽く回し、目を細める。

「だが、まだまだ甘ぇな」

 次の瞬間、彼の気配が掻き消えた。

「っ……!」

 悪寒が背筋を走る。

 瞬時に剣を振るう。


 カンッ!!


 寸前で防いだ。

 徐慧の木剣が、玲華の肩を狙っていた。

「ほう、今のは悪くなかったな」

 徐慧は口角を上げる。

「だが、お前の風刃。まだ完璧じゃねぇ」

「……?」

 次の瞬間、視界から徐慧が消えた。

 気づいた時には、木剣の先が喉元に突きつけられていた。

 玲華は息を呑む。何が起こったのかすら、わからなかった。

「速さはいい。だが、その先が足りねぇんだよ」

 徐慧の声が、すぐ目の前から聞こえる。

 玲華は息を呑む。

 この半年で、自分は確かに強くなった。

 しかし、まだ何かが足りない。

「あと半年もあれば、俺を倒せるかもしれねぇな」

 徐慧の言葉に、玲華は目を見開いた。

「本当……ですか?」

「ああ。ここまでくれば、あとは実戦を積むだけだ」

 ―――実戦。

 その言葉が胸に響く。

 師匠はもう、自分を単なる弟子ではなく、一人の剣士として見始めているのかもしれない。

 玲華の胸の奥に、揺るぎない覚悟が生まれる。

 しかし、肩で息をする自分とは対照的に、徐慧は涼しい顔で木剣を肩に担いだ。

「悪くねぇが、さすがにそろそろ息が上がってきたな」

 徐慧が、ちらりと玲華を見やる。

「そろそろ休憩するか」

 その一言に、玲華は思わず安堵の息をついた。

 林を抜ける風が心地よく、木漏れ日がちらちらと揺れる。

 玲華はその場に腰を下ろし、差し出された湯気の立つ茶碗を受け取った。

 剣を振るい続けた身体に、じんわりと染み渡る温もりが心地よい。

「……師匠、さっきの戦い、私のどこが甘かったんですか?」

 玲華が茶を啜りながら問うと、徐慧は横になったまま、腕枕で空を仰いだ。

「お前さんの剣は、速さが売りだな。だが、それだけじゃダメだ」

「……どういうことですか?」

 玲華は眉をひそめる。

 速さを活かした一撃、それが《風刃》。

 自分の最大の武器のはずなのに、まだ何かが足りないという。

「例えばだな――」

 徐慧は指で小石を拾い、それをぽいっと放った。

「――お前、軍を率いて戦うことになったとしよう。敵は倍の兵力、しかも堅陣を敷いている。さて、どうする?」

「え?」

 玲華は一瞬、戸惑った。

 戦いといっても、剣の修行の話ではない。軍略の話だ。

「……正面から突っ込んだら、まず勝ち目はないですね」

「ほう? ならどうする?」

 徐慧は興味深げに玲華を見た。

 もともと、剣の修行の合間に何気なく話していた軍略の話題だった。

 だが、玲華の考えや答えが意外と鋭く、話しているうちに徐慧もいつの間にか楽しんでしまっていた。

「敵の兵力が倍なら、まともに戦っても勝てません。なら、敵が陣を崩さざるを得ないように仕向けるべきです」

「ふむ、例えば?」

「……敵が兵を分散せざるを得ない状況を作るとか。奇襲を仕掛けて動揺させるとか……」

 玲華は腕を組み、さらに思考を巡らせる。

「敵の指揮官が慎重な性格なら、焦らせるために陽動をかける。逆に短気なら、罠を仕掛けて誘導する……」

「ほう?」

 徐慧の目が面白そうに細まる。

 玲華の発想は、実に柔軟だった。

 兵法の正式な教えを受けたわけでもないのに、まるで経験者のように考えている。

「なかなか筋がいいな。お前、本当に役人の娘か?」「うるさいです」

 玲華はむっとした表情を浮かべる。

 徐慧が話の流れでからかってくるのは、いつものことだ。

「まあ、実戦経験がない分、甘いところもあるが……発想は悪くねぇ」

 徐慧は起き上がり、湯飲みを手に取った。

「剣も同じだ。敵がどんな動きをしてくるのか、どう動けば敵が崩れるのかを考えながら戦うんだ」

「……!」

 玲華ははっとした。

 これまで自分は、ただ速く斬ることだけを考えていた。

 だが、敵の動きを読んで、一歩先を取る――

 まるで戦場の駆け引きのように、剣も使えるのではないか?

「師匠……」

「お前さんの風刃は、確かに速ぇ。だが、それを『ただの速い剣』で終わらせるか、『策』にするかは、お前次第だな」

 玲華は唇を引き結び、拳を握った。

 剣の修行だけではなく、知恵も磨くこと。

 それが、次の段階へ進む鍵なのかもしれない。

「……もう少し、考えながら戦ってみます」

「ははっ、いいぞ。その意気だ」

 徐慧は茶を飲み干し、満足げに笑った。

 この半年、玲華は剣だけでなく、考え方も成長している。

 それが、話していて楽しい理由だった。

「さて――休憩も終わりだな。次は、さらに速い攻撃を試してみるか?」

「はい!」

 玲華は立ち上がり、木剣を握った。

 心の中に、新たな目標が灯る。


 剣と知恵を磨くこと――それが、強くなるための道。

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