食堂への道すがら、レオノールは淡い黄色のドレスの裾を気にしながら歩いていた。
柔らかな生地が肌を撫でる感触に、まだ違和感が拭えない。
鏡に映った姿が、どう見てもゲームのレオフィアと瓜二つだったことが、心に引っかかっている。
(まさか、レオノールとレオフィアが同一人物……?いや、そんなはずはないよな。兄妹でよく似てるだけ……)
そう思い込もうとするが、モヤモヤとした違和感は晴れない。
そんな思考を振り払うように、足を速める。
考え込んでいるうちに、食堂の扉の前に到着した。
ミリーが恭しく扉を開く。
「レオ、こちらへおいで」
公爵である父——リオンが席に座りながら、優しく手を招いた。
母のミーシャも隣で微笑んでいる。
食堂は広く、天井には豪華なシャンデリアが輝き、白を基調とした壁には繊細な装飾が施されている。
長いテーブルには、色とりどりの料理が並んでいた。
(うわぁ……これが貴族の朝食か)
執事らしき男性が椅子を引いて、座るよう促してくれる。
「ありがとう、えっと……」
「サイモンです。レオ様」
「あ、ありがとう。サイモン」
お礼を言いなおしながら、ぎこちなく着席した。
目の前には美しく盛り付けられた料理が並び、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「レオ、食べられそうか?」
「うん……」
ナイフとフォークを手に取るものの、ふと不安がよぎった。
(やばい、貴族の食事のマナーとか全然わからない……)
目の前に並ぶ料理はどれも美味しそうだが、貴族の食事作法を知らない。
(やるしかない……!)
そう覚悟を決め、前世の知識を総動員する。
貴族としての正式なマナーは知らないが、最低限の作法はわかる。
フォークとナイフの使い方、スープの飲み方、パンの食べ方……完璧にはほど遠いが、ぎこちなくとも慎重に手を動かし、なんとか食事を進める。
「レオ、あまり無理をしなくてもいいのよ?」
母であるミーシャが優しく微笑みかけた。
「うん、大丈夫。美味しいよ」
「それならよかったわ」
少しぎこちなくも、なんとか食事を進めていると、向かいに座るリオンが静かに口を開いた。
「レオ、体調のほうはどうだ?」
「……うん、問題ないよ」
記憶は戻らないが、体調は悪くない。
むしろ、朝よりも落ち着いてきていた。
リオンは少し考え込むように視線を落としたあと、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「レオノール、お前がこうして女の子の格好をして育った理由を話しておこう」
レオノールはスプーンの動きを止め、リオンを見つめる。
「お前が生まれたとき、身体がとても弱かった。何度も高熱を出し、命の危険すらあった。医者たちは様々な治療を施したが、決定的な解決策はなかった」
リオンは静かにスープを口にし、続ける。
「そのとき、ある占星術師がこう言ったのだ——『この子は女性の姿で生きることで、穏やかな運命を得るだろう』と」
レオノールは息をのんだ。
「そんな理由で……?」
「それだけではない。もともと、お前の身体の負担を減らすために、争いや対立とはできるだけ無縁に育てる必要があった。そこで、世間にはお前が先代公爵邸で療養していることにし、家の中では女の子として過ごすことで余計な注目を集めずに済むようにしたんだ」
「……それが、ずっと続いてきたんだね」
リオンはゆっくりと頷く。
「しかし、お前の体調は随分良くなってきていた。だから、そろそろ元の姿に戻し、正式に公の場に出すことを考えていた。だが、お前が記憶を失ってしまった」
その言葉に、レオノールは思わず眉をひそめた。
「……じゃあ、どうするの?」
「しばらくは今のままだ」
リオンの言葉に、レオノールは息を呑む。
「記憶を失った状態で、公の場に出るのは危険だ。まずはゆっくりと、この屋敷で過ごしながら様子を見よう。そして、お前が元の自分を取り戻すことができたなら、そのときこそ、本来の姿に戻ることを考えよう」
リオンの言葉は優しかったが、それが決定事項であることも伝わってきた。
正直、女の子の格好を続けるのは嫌だ。
スカートのひらひらした感じも、繊細な刺繍の入った服も、長い髪も、本当はすぐにでもやめたい。
というか元男子高校生にはかなりキツイ。
でも、この状況で無理を言っても仕方がない。
(それに、記憶喪失ってことになってるんだから、変に反発するよりは従ったほうがいいよな……まあ、記憶は戻らないんだが)
「……わかった」」
「ありがとう、レオ」
リオンの表情が少しだけ和らぐ。
「お前には窮屈な思いをさせるかもしれないが、もう少しだけ我慢してほしい」
レオノールは視線を落としながら、ゆっくりと頷いた。
(でも、レオノールとして育てられてきたのに……『レオフィア』っていう名前は一体どこから来たんだ?)
ふと、疑問が頭をよぎる。
しかし、それを考えようとしたところで、食堂の扉の向こうが騒がしくなった。
リオンがふと視線をテーブルから外し、扉を見た。
「そういえば、そろそろ客人が来るころか……」
サイモンがリオンの傍に寄った。
「公爵様、グラード伯爵様とご子息様がお見えです」
サイモンの報告に、リオンは食事を終えたばかりのナプキンを静かに置いた。
「そうか、通してくれ」
リオンは軽く息をつき、椅子を引いた。
「私は彼らを応接室で迎える。レオノール、お前は食事が終わったら自室に戻るように」
その言葉に、レオノールは少し驚いた。
「え?」
「世間では、お前は先代公爵邸で療養していることになっているからな」
要するにここに今、自分はいないということなのだ。
まあ、この女装した姿で人に会うのは正直、嫌なので大人しく従うことにした。
「……わかった」
「いい子だ」
リオンは微笑み、立ち上がると執事の後を追って食堂を後にした。
(はぁ~~なんか、いろいろ気になることが増えてきたな……)
レオノールは小さく溜息を吐くと、再びスープを口に運んだ。