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第6話 後悔したが遅かった。

 食堂での食事を終えたレオノールは、リオンの言いつけどおり部屋に戻るため廊下を歩いていた。

(やっぱり、このまま女の子の格好を続けるしかないのか……)

 貴族らしい食事作法に気を使い、女装を続けることへのモヤモヤを抱えながらの朝食は、想像以上に疲れるものだった。

 とはいえ、食事自体は美味しかった。

 この食事が毎日食べれることだけは素直に嬉しいと思う。

(とりあえず、部屋に戻ってこれからのことを考えないとな……にしても、スカートって歩きずらい……)

 長いスカートを気にしながら足を進め、部屋に向かっていると角を曲がった先で見知らぬ少年と出くわした。

 黒髪に端正な顔立ち、鋭い知性を感じさせる青い瞳に、そして鼻梁にかけられた眼鏡が、彼の落ち着いた雰囲気をより際立たせている。

 手には革張りの小さな本を持っており、まるで書斎にでもいるかのような知的な佇まいだった。

(どこかで見たことがあるような……?)

 レオノールが戸惑っていると、少年は微笑みながら一歩前に進み、優雅に礼を取った。

「初めまして。僕はカッシュ・グラードと申します。父に付き添い、この公爵家にお邪魔しております」

 その仕草は貴族の礼儀作法を完璧にわきまえたものだった。

 レオノールは息を呑んだ。

(ま、まさか……こいつ……!)

 心当たりがあった。

 ゲームの攻略対象の一人、カッシュ・グラード。

 成績優秀で冷静沈着。

 氷の貴公子と呼ばれるほど厳しく冷たい性格。

 ゲームでは攻略難易度は高いものの好感度を上げていくと激甘なイベントがあり、それが人気である。

(でも、カッシュは十五歳じゃ……でも、この姿は……)

 目の前の少年は、ゲームの時よりも幼く、あどけなさが残る。

 けれど、どこか大人びた雰囲気と知性を感じさせるその姿は、まぎれもなく攻略対象の一人、カッシュ・グラードだった。

(ど、どうしよう!?)

 レオノールは焦った。

 まさかこんなところで偶然とはいえ、攻略対象の一人と鉢合わせしてしまうとは。

 ニコッと微笑みかけられ、ますます焦ってしまう。

(とりあえず、なんとかしなければっ!)

 挨拶されたのだから挨拶を返さなければと思ったところで、自分の姿を思い出す。

 淡い黄色のドレスにリボンで結ばれた髪。

(女の格好じゃねぇかぁぁっ!)

 叫びたいが出来るわけもなく、焦りは募るばかり。

 女の子の挨拶の仕方なんてどうしたらいいのかわからない。

 どうにかして誤魔化さなければ——そう思ったとき、脳裏に浮かんだのはゲームのレオフィアの姿だった。

「わ、わたくしは……」

 ゲームのレオフィアの優雅な所作を思い出し、ぎこちなくも令嬢らしく振る舞おうと試みた。

 スカートの裾を軽く持ち上げ、お辞儀をする。

「レオフィア・サヴィアと申します」

 言った瞬間、自分でも驚いた。

(しまったぁぁぁぁ!!)

 後悔したがもう遅い。

 ゲームのレオフィアを思い浮かべて、ついそのままゲームでのセリフを言ってしまった。

「レオフィア様、ですね。お会いできて光栄です」

 目の前のカッシュは特に怪しむ様子もなく、むしろ彼の青い瞳がふっと和らいだように見えた。

「サヴィア公爵家にレオフィア様のような可愛らしいご令嬢がいらっしゃるとは存じず、失礼いたしました」

 その言葉に背中を冷や汗が伝う。

(そうだった!病弱な息子が一人って、公爵が言ってたじゃんっ!)

 どうにかして誤魔化さなければと思うがこれと言った案が浮かばない。

 だが、ずっと黙っているのも気まずい。

「……そ、そうですの?わたくし、人見知りであまり外には出ませんので……」

 カッシュはレオノールを見つめたまま、ふと眼鏡を指で押し上げた。

「……可愛らしい方ですね」

「……!?」

 思いがけない言葉に、レオノールは完全に固まった。

(か、可愛いって、何!?!?)

 ただ必死にごまかそうとしただけなのに、なぜかそんなふうに言われてしまった。

(いや、待って!? これは単なる社交辞令!? ……でも、カッシュってこんなこと言うキャラだったっけ!?)

 頭の中でぐるぐると考えが巡る。

 必死に冷静を装おうとするが、カッシュの穏やかな視線が余計に焦りを煽る。

(どうしよう……このまま逃げたほうがいい!?)

 そんな思いが頭をよぎったが、屋敷の中で突然走り去るわけにもいかない。

「そ、そんなこと……!それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ!」

 思わず令嬢口調のままそう言い、レオノールはその場から立ち去ろうとした。

 背後で、カッシュの優雅な声が聞こえた。

「またお会いできるのを楽しみにしております」

 その言葉に、レオノールの足が思わず止まりそうになったが、気づかぬふりをして足早にその場を後にした。

(……もう、本当に勘弁してくれ……!)

 心臓がまだドキドキしているのを感じながら、レオノールは廊下を進んでいった。

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