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第16話 同時進行はむちゃぶりです。

 翌朝、レオノールは自室の大きなベッドの上でぐったりと伸びていた。

(はぁ……疲れた……)

 昨日の顔合わせと庭園での会話は、精神的にかなりの負担だった。

 ヴァンツァーの視線は鋭いし、妙に話しかけてくるし、ボロを出さないようにするだけで精一杯だった。

 正直、これが今後も続くと思うと気が重い。

(もう少し適当に流せる相手だったらよかったのに……)

 そんなことを考えながら、もう少しベッドの上でぐだぐだしていたかったのだが、コンコンと音が響いた。

「レオノール様、お目覚めでしょうか?」

 控えめにノックされた扉の向こうから、侍女の声が聞こえた。

 レオノールは渋々起き上がり、乱れた髪を整えながら返事をする。

「今起きたよ」

「旦那様が応接室でお待ちです」

 その言葉に、レオノールは思わず眉をひそめた。

(なんでわざわざ朝一で呼び出されるんだ?)

 何か嫌な予感がしながらも、レオノールは支度を整え、応接室へと向かった。

 応接室に入ると、すでにリオンが椅子に座って待っていた。

 いつもの落ち着いた態度で、紅茶を一口飲んでいる。

 レオノールが入ると、彼はゆっくりとカップを置き、静かに口を開いた。

「昨日は、大変だったな……レオノール」

「……はい。正直、疲れました」

 椅子に座りながら適当に流すが、リオンの顔はどこか険しい。

 それが、これから話される内容の嫌な予感を倍増させる。

「本題に入ろう。お前には、来週から妃教育が正式に始まる」

「……は?」

 レオノールは思わず耳を疑った。

「いや、待って。昨日の顔合わせが終わったばかりなのに、もう?」

「当然だろう。第一王子の婚約者なのだから、王族に相応しい教育を受けるのは避けられない」

 リオンの口調は淡々としているが、レオノールにとってはまるで死刑宣告のようだった。

「……いや、でももう基礎は習ってるし、改めてやる必要ないのでは?」

「確かに、お前はすでに貴族教育を受けている。しかし、妃教育は別だ」

「……」

「礼儀作法、宮廷での立ち振る舞い、舞踏会でのエチケット、王妃としての気品……これらを徹底的に叩き込まれることになる」

 妃教育―――つまり、王族としての完璧な振る舞いを身につけるための教育。

 第一王子の妃となるのなら受けなければならない。

(いや、第一王子の婚約者なんだから、受けなければならないのは分かる……でも、だけどさぁ)

「あの、お父様……オレ、男ですよ」

「……分かっている」

 リオンの表情が僅かに曇った。

「分かっているが……婚約者となってしまったからには、逃げられんのだ」

 深くため息をつき、苦々しい表情を浮かべる。

「……お前には、本当に申し訳ないと思っている」

 レオノールは思わず沈黙した。

 リオンはこの状況を強要している立場なのに、ただの公爵としての判断ではなく、一人の父親として申し訳なさを感じているのが伝わる。

 だが、それでどうにかなる話ではない。

「仕方ないとはいえ、無茶ぶりもいいとこですよ……」

 小さく呟くと、リオンはさらに重い表情になった。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

「……それと、もう一つ」

 レオノールは嫌な予感がして、じりじりと椅子の背もたれに寄りかかった。

「お前には、公爵家の嫡男としての教育も、本格的に開始する」

「……は?」

 先ほどよりもさらに驚き、レオノールは目を瞬かせた。

 妃教育だけでも嫌なのに、さらに公爵家の嫡男としての教育!?

「ちょっと待って、なんで嫡男の教育まで?」

「お前はサヴィア公爵家の次期当主だからな。当然のことだろう」

 リオンは淡々と説明を続ける。

「むしろ少し遅いくらいなのだ。グラード伯爵家のカッシュは、半年以上前から当主教育を始めている」

 その名前を聞いて、レオノールは思わず顔をしかめた。

 カッシュ・グラード――グラード伯爵家の嫡男で、サヴィア公爵家とも縁のある家の後継ぎだ。

 当主教育の一環として、父親であるグラード伯爵と共に公爵家へと出入りしていた。

(えっ、じゃあ……あいつ、オレより半年も先に始めてるってこと!?)

 レオノールは頭を抱えたくなった。

 妃教育も嫌だが、当主教育も十分に厳しい。

 特に剣術と魔法の訓練は、公爵家の者として当然のように求められるものだ。

 そして、貴族の中でもサヴィア公爵家の戦闘技術は優れていることで有名。

 必然的に、レオノールにもかなりのレベルが求められることになる。

(妃教育がなければ、まだ当主教育の方がマシなんだけどな……!)

「歴史や他国の文化などの教養は、妃教育と重なる部分が多いから、そこは省略してもいい」

「それだけじゃ負担が減るとは言えないんだけど……」

 レオノールは不満げに呟くが、リオンは苦笑しながら肩をすくめた。

「すまない、レオノール……。できることなら、こんなことはさせたくなかった」

 そう言いながらも、リオンは目を伏せることはなかった。

 公爵として、父親として、どちらの立場でも、これは避けられない現実なのだと、彼自身も理解しているから。

 本当に申し訳なさそうな父の姿に、レオノールは再び沈黙する。

(逃げられない……!)

 今後、レオフィアとして淑女の振る舞いを学びながら、公爵家の嫡男として剣と魔法を極める――そんな無茶な生活が待ち受けている。

「……分かったよ」

 レオノールは、もはや覚悟を決めるしかなかった。

 一人二役。

 逃げたくても逃げられないのなら、少しでも負担を減らせるように立ち回るしかない。

(昼は王宮で淑やかにお茶の淹れ方を習い、夜は剣を振るって戦闘訓練……こんなにハードモードだなんて聞いてないんだけど!?)

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