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第18話 はじめての街歩きは波乱の予感です。

 レオノールは、広い鏡の前で帽子を被りながら、キュッと長い髪を結び、それを帽子の中へとしまい込んだ。

(よし、これで完璧)

 今日の服装は、男の子用のシャツにベスト、パンツスタイル。

 普段の淑女のドレスとは違い、動きやすくて快適だった。

「レオノール様、帽子の角度が少し傾いていますわ」

 メイドのアリーがすかさず帽子を直す。

「もうちょっと適当でいいって」

「いけませんわ。貴族の方は、どこで誰が見ているかわかりませんよ」

 アリーの厳しい言葉に、レオノールは小さくため息をついた。

「じゃあ、これでいい?」

「ええ、完璧ですわ」

 メイドのシェラが微笑みながら頷く。

 そして、護衛騎士のルシードが静かに扉の前に立っていた。

「準備は整いましたか?」

「ああ、行こう」

 初めて行く街に心を躍らせながら、レオノールは玄関へ向かう。

 その途中で、乳母のミリーがふっと微笑みながら近づいてきた。

「レオノール様、今日は初めての街歩きですが、お一人になってはいけませんよ」

「わかってるって」

「本当に、ですか?」

 ミリーはじっとレオノールの目を見つめる。

 レオノールは思わず視線を逸らしそうになった。

「街は楽しい場所も多いですが、それ以上に危ない場所もございます。特に、貴族だと知られれば、狙われることもありますから」

「……そんな危ない目に遭ったことなんてないんだけど?」

「それは、今までしっかり守られていたからです」

 ミリーの穏やかな口調には、どこか含みがあった。

「護衛のルシード様、アリーとシェラの言うことをしっかり聞いてくださいね。決してお一人になってはいけません」

「はいはい、わかってるってば」

 適当に流そうとしたが、ミリーの視線は変わらず鋭い。

「本当に、ですか?」

「……努力はする」

「……まあ、それなら良しとしましょう」

 ミリーは呆れたように微笑んだ。

(まぁ、大丈夫っしょ)

 軽く考えながら、レオノールは護衛たちとともに玄関を出た。

 こうして、転生してから初めて、城や公爵家の敷地を離れ、実際に街へ足を踏み入れることになった。

 最初に訪れたのは、貴族向けの商店街だった。

 アリーとシェラに連れられ、貴金属店や文房具店などを巡る。

「こちらのペンダント、とてもお似合いですよ、レオノール様」

「……うん、そうだね」

(うん、まぁ綺麗だけど……なんか違う)

 どれもこれも高級品ばかりで、普段の公爵家の生活と大差ない。

 本当はもっと庶民的な場所を見て回りたい。

 だって、ここはゲームの世界なんだから。

 もっと色々なところを見て周りたいではないか。

 しかし、アリーとシェラはレオノールを貴族として扱い、定番の店ばかり案内する。

(……違う、オレが見たいのは、こんな上品な店じゃないんだよ!)

 レオノールは、ちらりと市場の方へ視線を向けた。賑やかな屋台が並び、楽しそうに歩く人々の姿が見える。

(……やっぱり、あっちに行きたい!)

 しかし、アリーとシェラはきっちりと自分を貴族向けの店へと誘導し、ルシードは黙って後ろで見守っている。

(うーん……このままじゃ絶対に抜け出せない)

 どうにかして、彼らの目を盗むしかない。

「……ちょっと、お手洗いに行ってくるよ」

 何気ない素振りでそう告げると、アリーとシェラはすぐに反応した。

「では、ご案内いたしますわ」

「お手洗いはあちらにございます」

(うーん、やっぱりついてくるよなぁ)

 レオノールは、わざと面倒くさそうな顔を作り、少しむっとした表情を見せた。

「いや、さすがにお手洗いまでついてこられるのは、ちょっと……」

 二人は少し戸惑ったが、すぐにルシードを見た。

「ルシード様、レオノール様を見守っていてくださいね」

「承知しました」

 ルシードが頷いた瞬間、レオノールはひらめいた。

(そうだ、ルシードは護衛だから、危険がない限り積極的に動かないはず……)

「あ、ついでに飲み物買ってきてくれない?」

 何気なく、ルシードにそう頼む。

「喉乾いちゃったし、お茶か水がほしいな。あそこにお店があるよね?」

 ルシードはちらりと指定された方向を見る。そこにはが飲料を売る路面店があった。

「……わかりました。すぐ戻ります」

 そう言って、ルシードがそちらへ歩き出す。

(よし、計画通り!)

 背を向けた瞬間、レオノールはお手洗いへ向かうフリをしつつ、脇の細い路地へとサッと身を滑らせた。

 ルシードは路面店へ向かいながら、チラッと後ろを窺った。

(……はて、どこへ行かれたのでしょうか)

 彼は足を止めるとじっと市場の方を見つめたあと、レオノールの後を追わずに路面店へと足を向けた。

(レオノール様の足ならそんなに遠くにはすぐにはいけないはずだ。飲み物を買ったあとでも十分に追いつける)

 ルシードは薄く微笑みながら店に入った。

(街に来てからずっと市場の方を気にされていましたからね。シェラやアリーは市場に連れていくつもりはなかったようですし……折角の散策です。少しくらい好きなところ見させてあげたいですからね)

 注文をし、飲み物が準備されるのを待つ間、視線を市場の方へ向けた。

(……まぁ、すぐに見つかるでしょう)

 店員から飲料を受け取り店を出ると、急ぐそぶりもなく、レオノールが向かったであろう方向を歩き出した。


◆      ◆      ◆



「ごめん、ミリー! でも、ちょっとくらい自由に歩かせてくれ!」

 狭い路地を駆け抜け、大通りへと飛び出した瞬間、視界が一気に開ける。

 屋台がずらりと並び、焼きたてのパンの香ばしい香り、新鮮な果物の甘酸っぱい匂い、スパイスの効いた肉料理の湯気が入り混じる。

 商人たちの威勢のいい掛け声、人々の楽しげな笑い声が溢れ、賑やかに市場を満たしていた。

「やった……! なんとか抜け出せた!」

 市場の入口で息を整え、軽く肩をすくめる。

 緊張と興奮が入り混じるこの瞬間。

 心の中でガッツポーズをしながら、改めて辺りを見渡した。

「これだよ、これ! こういうのを見たかったんだ!」

 思わず小さく拳を握りしめる。

 貴族街の整然とした雰囲気とはまるで違う、活気に満ちた市場。

 ただ歩いているだけで、新しい発見に胸が躍る。

「さてと……どこから見て回るかな」

 一呼吸置いて、周囲を見渡す。

 焼きたてのパンが並ぶ屋台、新鮮な果物を山積みにした店、スパイスの香りが漂う肉料理の屋台。

 どれも美味しそうで、どこから回るか迷ってしまうほどだった。

(ゲームで何度も見たけど、実際に歩くと全然違うな……!)

 レオノールはワクワクしながら市場の中へと足を踏み入れた。「いらっしゃい! 焼きたてのパンはいかが?」

「新鮮な果物だよ!」

 店主たちの威勢のいい声が響き渡る。

 活気あふれる市場には、さまざまなものがあふれている。

 美味しそうな食べ物や可愛いアクセサリー、布地の屋台など、見どころがたくさんあった。

(すごい……本当にゲームの世界だ!)

 レオノールはゲームの中でアイテムなどを買っていた市場に目を奪われていた。

(これ、ゲームの世界でよく見たアイテムだ!体力回復に使ったっけ)

「坊ちゃん、おいしい焼きリンゴはどうだい?一個、三十ディラーだよ」

 近くの屋台の店主が、大きなリンゴにシナモンをまぶして焼き上げたものを見せる。

(美味しそう……三十ディラー……高いのか安いのか、リアルの相場がわからん!……今は我慢だ)

 思わず口を開きかけたが、お金の価値がまだわからない。

「ごめん、おっちゃん!また今度」

 そんな中、ふと足を止めたのは、果物屋だった。

 甘酸っぱい香りが漂う店先には、カゴいっぱいに果物が並べられていた。

(へぇ、いい匂い……)

 そう思っていたその時だった。

「おい、ガキ! こんな値段で売れると思ってんのか?」

 突然、荒っぽい声が響いた。

 視線を向けると、店の前で6歳くらいの男の子が怯えた表情をしていた。

 彼の前には、ガラの悪い男が数人。

(……あれは、マズい奴だ)

 レオノールは眉をひそめる。

 男たちは、明らかに絡んでいる。

「うちの果物は新鮮だから、この値段なんです……」

 男の子は必死に訴えていたが、男たちは笑っている。

「へぇ、でもオレたちには高すぎるなぁ。半額にしろよ」

「それはできません!」

「ほぉ? じゃあ――」

 男の一人が、男の子の腕を掴んだ、その時だった。

「やめなさい!」

 透き通った声が市場に響き渡る。

 鐘の音のように澄んでいて、それでいて確かな力を感じさせる声だった。 

 レオノールが驚いて振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

 栗色の髪が陽光を受けてふわりと揺れる。

 年相応の可愛らしさの中に、強い意志が光っている。

「この子に手を出すのは許さないから!」

 彼女は小さな体で男たちの前に立ちはだかった。

 その姿は、まるで小さな騎士のようだった。

(え……もしかして……)

「ラフィーナっ!」

 店の男の子が、その少女に駆け寄り、抱きついた。

(……ラフィーナ!?)

 その名前に、レオノールはハッとした。

 ――この世界の『ヒロイン』。

(うそだろっ!?マジかよっ……!!)

 ラフィーナ・エヴァレット。

 乙女ゲーム『シェインレーラの乙女』のヒロイン。

 何度も操作し、何度も選択肢を選び、何度も彼女の成長を見てきた。

 正義感が強くて優しい女の子。

 見間違えるはずがない。

(あの子はラフィーナだ)

 驚くレオノールをよそに、男たちは不機嫌そうに顔を歪めた。

「生意気なガキが……」

 男の一人が、ラフィーナに向かって拳を振り上げる。

(まずい!)

 反射的に、レオノールは飛び出した。

 考えるよりも先に体が動いていた。

 ラフィーナの前に立ちはだかるように両手を広げ、男を睨みつける。

「なんだ、コイツ?」

「おい、オッサン!子供に手を上げるなんてみっともねぇぞ」

 ゲラゲラと男たちは笑い声を上げる。

(くそっ……! こういう時、剣の一本でも持ってたら……!)

「うるせぇ!いいからとっとと失せろっ!」

「チッ!」

 男の目に怒気が宿る。

「うるせぇのはお前だっ! ガキがっ!!」

 そして――。

 「やめろっ!」

 鋭い声が響き、男の動きが止まる。

(……?)

 レオノールは驚いて声の主を見た。

 そこに立っていたのは、カッシュだった。

(カッシュ……!?)

 カッシュの護衛たちがバッと囲んだ瞬間、男たちが一歩引いた。

 状況が一気に混乱する中、レオノールの前でカッシュの護衛たちが男たちを取り押さえた。

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