午前中は王宮でのダンスの稽古、午後は家に戻り領地経営の勉強。
いつも通りの一日だったが、今日は思ったより早く勉強が終わった。
そこでレオノールは稽古場へ向かい、剣の訓練をすることにした。
あの市場での出来事から一週間。
レオノールは通常の稽古に加え、密かに自主訓練をしていた。
護衛がいるとはいえ、いざという時に自分の力で身を守れるようになりたい。
木剣を握りしめながら、あの日のことを思い返す。
カッシュたちが来なければ、命の危険はなかったにせよ、怪我は避けられなかっただろう。
その思いが、木剣を振るう手に力を込めさせた。
剣を構えた瞬間、手が自然に動いた。
(竹刀と感覚は違うけど、基本は一緒だよな)
中学時代の剣道の記憶が、意識するまでもなく体に染みついているのを感じる。。
しばらくの間、型を確認しながら木剣を振っていたが―――。
「おや、稽古中ですか?」
不意にかけられた声に、レオノールは驚いて振り向いた。
そこにいたのは、まさかの人物。
カッシュだった。
(え!? こんなタイミングで!?)
驚くレオノールをよそに、カッシュはゆったりと歩み寄ってくる。
「音が聞こえたので気になってね。病弱だったと聞いていたが、ずいぶん元気そうじゃないか」
(まずい……! どっちで会うか決める前に、レオノールの姿で出くわしちまった!)
今さらレオフィアに変わるわけにもいかない。
つまり――選択の余地なく、レオノールのままでカッシュと対面することになった。
「まあな。当主教育の一環だから、やらないわけにはいかない」
そう言うと、カッシュは興味深げにレオノールの剣を眺めた。
「せっかくだ、手合わせしないか?」
突然の申し出に、レオノールは思わず言葉に詰まる。
「いや、最近は魔法の訓練が中心だったし、剣はそこまで得意じゃないから……」
「ふうん? それにしては、随分といい動きをしていたように見えたが?」
「いや、それは……」
「もしかして、怖いのか?」
(くそっ……煽りやがって)
カッシュは挑発するつもりではなく、純粋にレオノールの実力を知りたがっているのだろう。
だが、それが逆に負けず嫌いの気持ちを刺激する。
(……やってやろうじゃないか)
「……わかった」
「いい返事だ」
カッシュは木剣を構え、レオノールもそれに倣う。
互いに間合いを取り、静かな空気が流れる。
そして―――カッシュが動いた。
一瞬で距離を詰め、鋭い一撃を放つ。
(速い!)
レオノールは反射的に身を引き、受け流す。
カッシュの木剣は力強く、無駄な動きが一切ない。
(さすがだな……でも!)
レオノールは前世の剣道の感覚を思い出し、相手の動きを見極める。
カッシュが次の攻撃を繰り出した瞬間、レオノールはステップで横に回避し、相手の木剣の軌道を外す。
「はっ!」
思い切って木剣を突き出した。
バシッ!
レオノールの木剣がカッシュの脇腹に軽く触れる。
一瞬の沈黙。
カッシュが驚いたように目を見開き、次の瞬間、豪快に笑った。
「ははっ、やるじゃないか!」
レオノールは息を整えながら、木剣を下ろす。
「……まあ、たまたまだ」
「いや、そんなことはない。君、結構やるじゃないか」
「たまたまだって」
カッシュは納得したように微笑むと、木剣を肩に担ぎながら振り返る。
「今日は楽しかった。また機会があれば手合わせしよう」
「……ああ」
カッシュはそのまま歩き出し、稽古場の出口へ向かう。
しかし、足を止め、ふと振り返った。
「あ、そうだ。一つ言い忘れていた」
カッシュはニコッと笑い、何気ない口調で続けた。
「この間は帽子で分からなかったが……髪が長かったんだな。一瞬、レオフィア嬢かと思ったよ」
「っ!」
レオノールの心臓が跳ね上がる。
稽古の邪魔にならないように髪を結んでいたが、それでも似ていると気づかれてしまったのか?
誤魔化せなかったのだろうか?
ドキドキしながら、カッシュの言葉を待つ。
カッシュは少し考えるように視線を上げ――ふっと、微笑んだ。
「でも、レオフィア嬢なら、もっと可愛らしく微笑んでくれるだろうな」
そう言って、カッシュはニヤリと笑う。
「……なっ」
レオノールは思わず言葉を詰まらせた。
からかうような口調だったが、その奥にある本音を見抜くことはできない。
ただ、妙な視線の理由が少しだけ分かった気がした。
「……それはどうも」
皮肉混じりに返すと、カッシュは愉快そうに肩をすくめた。
「じゃあな、レオノール。また近いうちに」
そう言い残し、カッシュは軽やかに去っていった。
レオノールはその背中を見送りながら、ゆっくりと髪を撫でる。
(……誤魔化せたよな……)
僅かに残る動揺を抑えつつ、木剣を握り直す。
カッシュとの奇妙な縁が、今後どう転ぶのか――それはまだ、誰にも分からない。