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第23話 これも淑女の嗜みの一つです。

 一方、その頃。

「奴らはまだこの辺りにいるはずだ」

 カッシュ・グラードは焦燥の色を隠しながら、警備隊と共に街の捜索を続けていた。

「貴族の子息令嬢を狙った誘拐事件が連続して起こっている。次のターゲットが出る前に」

 そう考えていた矢先、偶然にもレオフィアと遭遇したのだった。

(まさか、こんな時に彼女と出くわすとは……)

 しかし、レオフィアとはそこで別れた。今ごろはラフィーナを送った後、自宅に戻っているはずだ。

(……まあ、彼女のことだ。何かまた余計なことに首を突っ込んでなければいいが……)

 そんなことを考えながら通りを進んでいると、目の前を小さな影が駆け抜けた。

 小柄な少年。

 ボロボロの服を着た彼は、焦った様子で足早にどこかへ向かっている。

(……あの子、どこかで……)

 見覚えがあった。さっき、路地で見かけた少年だ。

 その時、少年がバランスを崩し、何かを地面に落とした。

 カラン……。

 金属が硬い石畳に当たる澄んだ音。

(……金貨?)

 カッシュは即座にそれを目に捉えた。

 少年は慌てて金貨を拾おうとする。しかし、その手よりも早く、カッシュが金貨を踏みとどめた。

「待て」

 少年の顔が青ざめる。

「……なんで、こんなものを持っている?」

「っ……」

 少年は答えず、顔を背ける。

 カッシュは金貨を拾い上げ、それをじっくりと見た。

(……この刻印、王都の商人ギルドのものか)

 この金貨がここまでボロボロの子供に渡るはずがない。

 しかも、少年の怯えた態度……何かがおかしい。

「すまないが、この金貨をどこで手に入れた?」

「……わかんない……」

 少年は小さな声で答えるが、その態度は明らかに不自然だった。

「どこで手に入れた?」

 カッシュは低い声で言った。

「君が持っているのは金貨だ。おいそれと落ちているものじゃない。誰かから渡されたんだろう?」

「……っ!」

 少年は肩を震わせ、唇を噛み締める。

「私は王都の警備隊だ。君を傷つけるつもりもない」

「……」

「だけど、君が何かを隠しているなら、それは別だ」

 カッシュの鋭い視線が少年を貫く。

「教えてくれ。何があった?」

「……っ……」

 少年は震えながら、ぎゅっと拳を握りしめる。

 そして次の瞬間、堰を切ったように泣き出しだ。

「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、しゃくりあげるように謝り始めた。

「脅されて……断れなくて……っ、こわくて……」

 小さな肩を震わせながら、少年は何度も「ごめんなさい」と繰り返す。

「……僕のせいで……お姉ちゃんたちが……!」

 その言葉に、カッシュの目が険しく細められる。

(……誰か、また連れ去られたのか……?)

「おい、どういうことだ?」

 少年はぐしゃぐしゃの顔で首を横に振る。

「……あの路地の奥……倉庫の中に……」

 カッシュの表情が一瞬で変わる。

「よし、行くぞ!」

 すぐさま警備隊に指示を出し、指定された場所へと駆け出した。

(……頼む、間に合え!)


◆      ◆      ◆


 倉庫の中は薄暗く、埃っぽい空気が漂っていた。

「おい、大人しくしてりゃ、痛い目見ねぇですむんだぜ?」

 男たちはレオノールたちを古びた椅子に座らせ、さらにロープをきつく縛る。

「痛っ……」

 ロープが食い込み、ラフィーナが小さく声を漏らした。

 怯えた表情を隠せず、レオノールをちらりと見つめる。

 その顔を見て、レオノールは静かに息を吐いた。

「大丈夫?」

 優しく声をかけると、ラフィーナは不安そうに小さく頷く。

 レオノールはできるだけ穏やかな笑みを浮かべ、そっと囁いた。

「何があっても、貴方だけは逃がすから」

 ラフィーナの手がぎゅっと握られるのがわかった。

(カッシュのヤツ、こいつらのこと調べてたんじゃないか? だったら一言、教えておいてくれればよかったのに……!)

 レオノールは内心で毒づきながら、ふと冷静になる。

(……まあ、きっとアイツなら、ここを突き止めてくれるはず)

 そう考えると、不思議と少しだけ心が落ち着いた。

「お静かにしてもらおうかねえ、お嬢様方。もうすぐ取引相手が来るんでな」

(取引相手……?)

 レオノールはその言葉に僅かに眉をひそめた。

「おい、そろそろ時間だぞ……」

「チッ、取引相手が来るまでに余計な手間は増やしたくねぇんだがな」

「下手なことして機嫌損ねたら、こっちがどうなるかわかんねぇんだぞ」

「……ったく、こんなガキどもを渡すだけで、俺たちが危ねぇ目に合うのは割に合わねえ」

(……こいつら、ただの金目当てじゃない。『取引相手』が誰か分からないけど、あまり関わりたくない連中みたいね)

 レオノールは男たちの会話を聞きながら、冷静に観察する。

 誘拐目的なら身代金か。それとも―――。

「……さて、どうしたものかしら」

 レオノールは冷静に思考を巡らせながら、密かに指を動かし、ロープの結び目を探る。

 今はまだ抵抗するべき時ではない。

 しかし、何かが起こる前に、準備はしておかなくてはならない。

(少しでも時間を稼がないと……)

 そう考えていた矢先、大きな音が外から聞こえた。

「おい、なんだ!? 何の騒ぎだ!」

 さらに外が慌ただしくなる。

 荒々しい声に怒号、何かが壊れる音、激しくてぶつかり合う金属音が聞こえてきた。

「……来たわね」

 レオノールは小さく笑みを浮かべた。

 次の瞬間、倉庫の扉が勢いよく開かれた。

 そこに立っていたのは、剣を構えたカッシュ・グラードと警備隊の姿だった。

「……はぁ、まったく……やはりこうなったか」

 カッシュはレオノールとラフィーナの姿を一瞥し、男たちへ鋭い視線を向ける。

「貴族誘拐なんて、随分と大胆な真似をしてくれるじゃないか」

「チッ……! くそ、もう見つかったか!」

「抵抗すれば、容赦はしない!」

 カッシュが冷たく言い放つと、男たちは一斉に武器を抜いた。

 だが、警備隊の数を見た途端、男たちの表情がみるみる青ざめていく。

「……冗談じゃねえ! 撤退だ、逃げろ!」

 誘拐犯たちは混乱しながら出口へと駆け出す。

「逃がすな!」

 カッシュの号令が響き、警備隊が一斉に動き出した。

 倉庫の中は一瞬にして戦場と化した。

 カッシュの号令とともに、警備隊は誘拐犯たちを取り囲み、次々に制圧していく。

「チッ……! こんなはずじゃ……!」

 リーダー格の男が舌打ちしながら、倉庫の奥へと逃げようとする。

「おっと、逃がさないわよ」

 レオノールは素早く足を踏み出し、椅子ごと後ろへ倒れ込んだ。

 ゴトンッと大きな音を立てながら、床に転がる。

「お、おい、何やってんだ!」

 見張りの男が慌てて近寄ろうとした。

「はぁっ!!」

 レオノールは脚を振り上げ、そのまま男の膝裏に強烈な蹴りを叩き込んだ。

「ぐあっ!?」

 バランスを崩して倒れ込む男。

「よしっ……!」

 レオノールは背後に隠し持っていた髪飾りの装飾部分を指に絡め、ロープの結び目を切り裂く。

 そして起き上がると、ラフィーナに駆け寄った。

「ラフィーナ、大丈夫?」

 ラフィーナを縛っていたロープを髪飾りで切る。

「……え、ええ!」

 ラフィーナは驚いた表情を浮かべながらも、頷いた。

「立てる? 急いで」

「は、はい!」

 二人は身をかがめながら、倉庫の出口へと向かった。

「待てっ!逃がすかっ!」

 男が短剣を抜き、飛びかかる。

 咄嗟にレオノールはラフィーナの前に出て庇った。

 その瞬間、閃光のように剣が振り抜かれた。

 男の動きがピタッと止まる。

 カッシュの剣が男の首元へと突きつけられていた。

「動くな」

 その冷え冷えとした声に、男は凍りついた。

「カッシュ!」

「……無事か?」

 カッシュは剣を構えたまま、レオノールを鋭い目で見やる。

「当然よ。この程度でやられる私じゃないわ」

 レオノールは軽く肩をすくめてみせた。

「強がるのは後にしろ。ラフィーナを連れて、早く出ろ」

「……分かったわ」

 レオノールはラフィーナの手を引き、出口へと向かう。

 しかし、リーダー格の男がそれを見逃すはずがなかった。

「クソッ、こうなったら……!」

 男は短剣を構えるとレオノールに向かって切りかかった。

「危ない!」

 カッシュが咄嗟に動いた。

 カッシュの剣が稲妻のように閃く。鋭い刃が男の短剣の側面を叩き、金属音を響かせながら弾き飛ばした。

「ぐっ……!」

 男がバランスを崩す。

「……ナイス、カッシュ!」

 レオノールは素早く男の足を払う。

「がはっ……!」

 床に叩きつけられる男を見下ろし、レオノールは微笑んだ。

「ごめんあそばせ」

 男の腹を思いっきり踏み込んだ。

「ぐおっ!!」

 男は呻き声を上げると動きを止めた。

「……思ったより、やるじゃないか」

 カッシュが少し驚いたように言う。

「決まってるでしょ、これが淑女の嗜みってやつよ」

 レオノールは自慢げに笑う。

「淑女、ね」

 カッシュも釣られて笑った。

「さて……」

 カッシュは倒れた誘拐犯を見下ろしながら、ふと呟く。

「……妙だな」

「貴族の子供を狙うにしては、動きが雑すぎる。それに、取引相手ってやつ……普通の犯罪組織のやり口じゃない」

 レオノールがカッシュの方を見た。

「つまり?」

「……まだ全容は分からないが、こいつらは単なる実行犯に過ぎない。裏にいる奴らが、もっと面倒な連中だとしたら……」

 カッシュはそう言うと、すぐに警備隊に指示を出した。

「捕らえた奴らをしっかり尋問しろ。『取引相手』が誰なのか、吐かせるんだ」

 カッシュの周りが慌ただしくなる。

「行くわよ、ラフィーナ。お仕事の邪魔をしちゃいけないわ」

「は、はい!」

 二人は倉庫の外へと歩き出した。


◆      ◆      ◆


 警備隊が誘拐犯をすべて制圧し、倉庫の騒動は終息を迎えた。

 レオノールとラフィーナは無事に保護され、カッシュが彼女たちを見送る。

「まったく……どこへ行っても厄介事に巻き込まれるな」

「そんなつもりはないわ」

 レオノールは肩をすくめる。

「とにかく、二人とも無事でよかった」

 カッシュは大きく息を吐き、剣を収める。

 ラフィーナはほっとしたように微笑んだ。

「カッシュ様……本当に、ありがとうございました」

「礼を言うのは私じゃなく、レオフィアだ」

 カッシュはレオノールの方を見る。

「まあ、確かに。私が頑張ったものね」

 レオノールは誇らしげに微笑む。

「お前な……」

 カッシュは呆れながらも、どこか安心したように表情を緩めた。

「カッシュ、これ以上ここいても邪魔になるから行くわね」

「ああ、次はもう少し大人しくしてくれ、頼むから」

 そう言うカッシュの声には、ほんの少しだけ優しさが滲んでいた。

 レオノールはその言葉に小さく笑う。

「じゃあ、私はこれで。ラフィーナ、気をつけて帰りなさいよ」

「はい、レオフィア様も!」

 ラフィーナは深く頭を下げる。

 そして、レオノールが背を向けて歩き出した瞬間、ラフィーナはふと、その背中をじっと見つめた。

(……すごく、かっこよかった)

 冷静で、強くて、でも優しくて。

 レオフィア様と一緒にいると、不思議と安心できる。

 それに――。

「……レオフィア様」

 小さく呟いたその声は、誰の耳にも届かなかった。

 けれど、ラフィーナの胸の奥には、確かに何かが芽生え始めていた。


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