事件の日の夜。
レオノールが屋敷の玄関をくぐった瞬間、待ち構えていた家族の怒号が飛んできた。
「レオフィア! なんということをしてくれたのですか!」
「お嬢様、心配いたしました!」
「まったく、無茶をしすぎです!」
次々と浴びせられる叱責に、レオノールはげんなりした表情を浮かべながら、両手を上げて降参のポーズを取る。
「ごめんなさい、もうしないから……多分……」
だが、そんな言い訳が通るはずもなく、父と母、そして執事にこってりと絞られた。
特にミリーは涙目で「お嬢様が無事で本当に良かったです……っ!」と泣きながら抱きついてきて、その後ろではシェラたち侍女が「怖かったです~!」と次々に涙を流し、屋敷の中はまるで大騒動だった。
ようやく解放されたころには、すでに夜も更けていた。
「はぁ……疲れた……」
ベッドに倒れ込むように寝転がり、天井をぼんやりと見つめる。
(……カッシュ、カッコよかったなぁ……)
事件の終盤、颯爽と現れ、誘拐犯たちを一蹴する彼の姿を思い返す。
鋭い眼光、迷いのない剣捌き、冷静な判断力……流石、攻略対象キャラだと再認識する。
(自分もああいう風になりたいなぁ……)
カッシュのように強く、頼れる人間になれたら、きっと今よりももっと堂々と生きられるのかもしれない。
そんなことを考えていると、自然とラフィーナのことが頭に浮かんだ。
レオノールとしてはたまに街で会う友人。
でも、今日はレオフィアとしても会ってしまった。
街で困っているところ流石に無視はできなかった。
(それに……あの時のラフィーナ、本当に必死だったしな)
彼女の瞳には、不安と戸惑いが浮かんでいた。
道に迷ってしまったことが、彼女にとってどれほど心細かったかは想像に難くない。
だが、彼女は誰かに助けを求めることもなく、ただじっと立ち尽くしていた。
(迷子になったことくらいで、貴族に頼るのは嫌だったのかもしれない)
ラフィーナは下町で育ち、誰かに甘えることなく生きてきたはずだ。
だからこそ、困っていても誰にも頼らずに何とかしようとしていたのだろう。
けれど、そんな彼女の様子を見て見ぬふりをすることはできなかった。
(あれを見たら、声を掛けずにはいられないだろ……)
だからこそ、ラフィーナに話しかけたのは自然な流れだった。
そして、そのせいで彼女を事件に巻き込んでしまったのも事実だ。
もしあの時、声を掛けずにそのまま通り過ぎていれば、彼女は無事に帰れたのかもしれない。
(……でも、そんなこと、できるわけないじゃないか)
困っている彼女を無視するなんて、最初から選択肢になかった。
だから、結果がどうであれ、それ自体は後悔していない。
(……それに、楽しかったんだよな)
彼女を助けて、一緒に行動して、気づけば事件に巻き込まれていた。
危機的な状況だったはずなのに、不思議と嫌な気持ちはなかった。
むしろ、スリルがあって、協力して何かを成し遂げたような高揚感さえあった。
(あの時、あの場所にいたのがラフィーナじゃなかったら、こんなふうに思わなかったのかもしれない)
知らない貴族の子女だったら、ただ助けるだけで終わっていた。
でもラフィーナは違った。
彼女は、どこか芯の強さを感じさせる子だった。
事件の最中もただ助けられるだけではなく、自分なりに状況を理解しようとしていた。
ただの「守られる存在」ではなく、「自分で考えて動く」子だった。
(だから、彼女と一緒にいる時間が、ただの救助劇じゃなくて……なんか、こう、すごくいい経験になったんだよな)
――楽しかった。
それを認めた瞬間、レオノールは思わずゴロンと転がり、顔を枕に埋めた。
けれど、じわじわと実感が込み上げてくる。
彼女を助けたことが、ただの義務や偶然ではなく、自分にとっても意味のある時間だったことを。
(これって……結構マズいんじゃないか?)
自分は数年後、ラフィーナをイジメる悪役令嬢になるはずなのに。
今こうして楽しかったなんて思っていること自体、おかしくないか?
(でも、見捨てるなんてできなかったし……)
目の前で困っているのに、助けないなんて選択肢は最初からなかった。
それに、もしあの時無視していたら、彼女は誘拐事件に巻き込まれることもなかったかもしれない。
(……いやいや、でも、もう会っちゃったし……)
数年後、ラフィーナは『聖女』として学園に入学し、レオフィアは『悪役令嬢』として彼女を苦しめる立場になる。
そういうシナリオが決まっている。
たぶん、ヴァンツァーと婚約破棄
でも――。
(今更、ラフィーナをイジメるなんて想像できない……)
レオノールとして何度か会っていた時から、ラフィーナは普通にいい子だと思っていたし、今日の出来事でますますその思いが強くなった。
それなのに、いずれ彼女に嫌がらせをしないといけない?
そんなの無理に決まってる。
あんないい子に嫌がらせなんて出来るわけがない。
でも、レオフィアは婚約破棄をしなければならない。
だって、本当は『レオフィア・サヴィア公爵令嬢』はこの世に存在しないのだから。
今まで婚約破棄できるように色々試してみた。
現にヴァンツァーとは仲良くはない。
前に一度、「私のことが気に入らないのでしたら、どうぞ婚約破棄してくださって結構よ」と告げたら怒気を孕んだ目で睨みつけられた。
あんな目で睨むくらいだったら、婚約破棄してくれればいいのに、何故か拒むのだ。
(アイツの考えてることがマジでわからん!嫌いなら破棄すればいいのに、なんていうか、手放す気がないみたいな……いやいやいや、何考えてんだオレ。そんなわけあるわけないだろ。あ~~クソっ、ゲームが始まるまでに婚約破棄できれば、こんなに悩まなくていいのにっ!!)
ベッドの上で思わずゴロゴロと転がる。
婚約破棄さえすれば、『悪役令嬢』としてヒロインをイジメる未来なんて吹き飛ぶはず。
なのに、ヴァンツァーは婚約破棄を拒否し続けているし、王家の問題も絡んでいてこっちからは出来ないし、そう簡単にはいかない。
(はぁ……どうにかならないかな……)
ため息をつきながら、再びゴロンと寝返りを打つ。
けれど、そんな悩みとは裏腹に、ふと脳裏に浮かんだのは――
「……レオフィア様」
事件の最後に、ラフィーナが小さく呟いたあの声。
レオノールではなく、レオフィアとして助けた彼女の、小さな、でも確かに尊敬を滲ませたような言葉が、どうしても頭から離れない。
(……やっぱり、マズい気がする)
またゴロンと転がる。
(でも、もうどうしようもない……)
そんなことを考えているうちに、徐々にまぶたが重くなっていく。
悩みは尽きないけれど、今日の疲労には抗えず、レオノールはそのまま深い眠りへと落ちていった。