一週間後――。
今日は少し時間ができたので、街へ出ることにした。
ラフィーナのことが気になっていたからだ。
あの事件のあと、彼女は普段どおりに過ごせているだろうか、それとも、無理をして笑っているだろうか……。
そんなことを考えながら歩いていたら、気づけばラフィーナが手伝っている店の近くまで来ていた。
活気のある街の通りを歩きながら、屋台から漂う甘い菓子の香りや、行き交う人々のざわめきが耳に心地よく響く。
天気もよく、空は雲ひとつない青。
石畳の道を進むと、店先では店主たちが元気に声を張り上げ、笑顔で客を呼び込んでいた。
そんな賑やかな雰囲気のなか、ふと視線を上げると、ちょうど路地から出てきたラフィーナと鉢合わせた。
彼女はすぐに気づき、ぱっと表情を明るくすると、弾むような足取りで駆け寄ってきた。
栗色の髪が陽光を受けてきらめき、ふわりと揺れる。
「レオノール!」
軽やかな声が響く。
その屈託のない様子に、レオノールは安堵しつつも、少しだけ戸惑いを覚えた。
事件のことを気にしている様子はないが、それが本心なのかは分からない。
「久しぶりね! どうしたの、街に用事?」
「少し時間ができたからね」
「そっか! じゃあちょうどよかった。今、休憩中なの。一緒にお茶しない?」
ラフィーナは何の躊躇もなくそう誘い、楽しそうに微笑む。
まるで、以前と何も変わらないかのような自然な態度に、レオノールは思わず肩の力を抜いた。
事件のことを気にしていたのは、どうやら自分のほうだったらしい。
「いいよ」
そう返すと、ラフィーナは嬉しそうに頷き、先に歩き出した。
近くの売店で冷たい果実水を買い、噴水の近くにあるベンチに腰を下ろす。
噴水の水が陽光を反射しながら涼しげに揺れ、ささやかな水音が響いていた。
そよぐ風が、ラフィーナの髪を優しく揺らす。
彼女は手で押さえながら、ふと視線を落とした。
「ねえ、この間の事件のことなんだけど……」
彼女が言い出しづらそうにしているのが分かった。
ならば、先に話してしまったほうがいいだろう。
「……妹のせいで巻き込んでしまって、ごめん」
レオノールがそう言うと、ラフィーナは一瞬驚いたように目を丸くし、それからふわりと笑った。
「何で謝るの? 悪いのは誘拐してきたアイツらよ。それに、私は助けてもらった側なんだから、むしろお礼を言わなきゃ」
迷いのない声。
そこには、わだかまりや嫌悪の気配すらなかった。
普通ならば、事件に巻き込まれたこと自体を責められてもおかしくはない。
だが、彼女は一切の恨み言を口にしなかった。
まるで、すでに過去の出来事として整理がついているかのようだ。
「それよりも、レオフィア様は大丈夫だったの?」
ラフィーナは手元のカップを指でなぞりながら、少し不安げに問いかけた。
その仕草が、彼女の気持ちを物語っているようだった。
レオノールが「大丈夫だ」と短く答えると、彼女の表情はぱっと明るくなり、安心したように息をついた。
「よかった……。でも、本当にすごかったわ!」
ラフィーナの瞳がぱっと輝く。
期待に満ちた視線が向けられ、レオノールは思わず視線を逸らした。
「レオフィア様、すっごくかっこよかったわ! 凛としていて、強くて、本当に素敵だった!」
その言葉に、レオノールは思わず息を呑んだ。
(……それ、オレのことなんだが)
目の前で妹が絶賛される。それが自分のことだと思うと、妙にこそばゆい気持ちになる。
褒められることには慣れているはずなのに、この状況ではどう反応していいのか分からない。
そんな戸惑いをよそに、ラフィーナはさらに熱を込めて語る。
「もう、あの場にいたら誰だってそう思うわよ!レオフィア様が毅然として戦ってくれたから、私たちは助かったんだから!」
楽しそうに語るラフィーナを見ながら、レオノールは複雑な気持ちを抱えていた。
確かに、あの場では毅然と振る舞った。
けれど、それは『レオノール』としてではなく、『レオフィア』としてのものだった。
(オレは、オレを褒められているのか?)
それとも『レオフィア』としての行動を称賛されているのか?
分かっているはずなのに、何とも言えない感情が胸に広がる。
「ラフィーナ、そろそろ時間よ!」
売店のほうから、店員が呼びかける。
どうやら、休憩時間が終わるらしい。
「あっ、ごめんなさい。そろそろ戻らなきゃ」
慌てて立ち上がり、スカートの裾を軽く整えるラフィーナ。
そして最後に、にっこりと微笑んだ。
「今日は楽しかったわ。今度は、よかったらレオフィア様と一緒に来てね!」
その言葉に、レオノールは一瞬だけ固まる。
ラフィーナの無邪気な言葉に、何と返せばいいのか分からなかった。
「……ああ」
結局、曖昧に頷くしかない。
ラフィーナを見送りながら、小さくため息をついた。
(……レオフィアと一緒に、ね)
そう言われることは予想していたはずなのに、実際に言われると妙に落ち着かない。
肩の力を抜いて、手元の果実水を一口すする。
ほんのり甘酸っぱい風味が口の中に広がり、冷たさが喉を滑り落ちていった。
気がつけば、噴水の水面がきらきらと陽の光を反射している。
風が吹き、通りを行き交う人々の笑い声が遠くに響く。
賑やかな街の風景は変わらない。
けれど、自分の中に芽生えたざわつきは、すぐには消えそうになかった。