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第28話 一人二役も楽じゃない。

 ラフィーナを見送ったあと、レオノールはベンチに腰を下ろし、果実水のカップを傾けた。

 甘酸っぱい風味が口の中に広がるが、さっきから続いている胸のざわつきは、どうにも収まらない。

(ラフィーナはレオフィアを褒めていた……いや、オレを?)

 彼女の言葉を思い返しても、それがどちらを指していたのか、判然としない。

 レオフィアとして振る舞ったのはオレだ。けれど、彼女が見ていたのは「レオノール」ではなく、「レオフィア」だった。

(まあ、あの場では完全にレオフィアだったしな)

 分かっているはずなのに、なんとなく引っかかる。

 称賛されるのは嫌じゃない。むしろ、嬉しくないこともない。

 けれど、それが「レオノール」としてではなく、「レオフィア」として向けられたものだと思うと、どうにも複雑な気分になる。

 ふと、噴水の水面に目を向ける。

 昼下がりの陽を受けた水は、キラキラと光を反射し、揺れる水面に映る自分の姿もまた、少し歪んでいた。

「……レオフィア様と一緒に、か」

 ぽつりと呟き、レオノールは軽く肩をすくめた。

 今さらながら、自分の立場のややこしさを実感する。

 ――と、そこで。

「ほう、お前がひとりで街を歩いているとは珍しいな」

 すぐ背後からかかった低い声に、レオノールは思わず背筋を伸ばした。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはひとりの青年が立っていた。

 端整な顔立ちに、鋭い眼差し。

 まるで探るような視線がこちらを射抜く。

「……カッシュ?」

 思わず名を呼ぶと、青年――カッシュ・グラードは静かに微笑んだ。

「何か考え事か?」

 じっと見つめられると、胸の内まで見透かされそうで落ち着かない。

「……別に。ただ、少し考えごとをしていただけだ」

 カップを弄びながら適当に返すと、カッシュは微かに口角を上げた。

「そうか。ちょうどいい、お前に話しておきたいことがある。だが――こんなところでは話せんな」

 そう言いながら、彼は街の喧騒を一瞥する。

 レオノールもそれに気づき、肩をすくめた。

「確かに、街中で話すことじゃなさそうだな」

「場所を変えよう」

 カッシュはそう言い、二人は飲み屋へ向かった。

 まだ開店前の薄暗い飲み屋に足を踏み入れる。

 店主がカウンターの奥で準備をしていたが、客の姿はない。

「すまないが、個室を借りたい」

 カッシュが店主に声をかけると、男は怪訝そうにこちらを見た。

「開店前なんだがな……」

「それでも構わない」

 カッシュが無言で金貨を一枚握らせると、店主は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐににやりと笑った。

「へぇ、お得意さんか。好きに使いな」

 店主はあっさりと金貨を懐に収め、奥の個室の扉を指さした。

「助かる」

 そう言って、レオノールとカッシュは店の奥へ進んだ。

 個室は簡素だが、静かで人目につかない。

 扉を閉めると、カッシュは椅子に腰掛け、軽く指を組んだ。

「さて――ここなら問題ないな」

 レオノールも向かいの席に腰を下ろし、テーブルの上に肘をついた。

「で、本題は?」

「……お前、今回の件でどこまで知ってる?」

「貴族の子供が狙われたってことくらいか。身代金目的だろ?」

「それだけじゃない。親の弱みを握るためのケースもある」

「弱みを?」

「ああ。権力があるほど、隠したい秘密も増えるものだ。たとえば――」

「……誘拐された子供の無事と引き換えに、不正を見逃せ、ってか」

「察しがいいな」

 レオノールは肩をすくめた。

「まあ、それくらいのことは想像がつく。でも、平民の子供まで狙われてたんだろ? そっちは何のために?」

「人身売買だ」

「……」

 レオノールは思わず息を詰めた。

「そっちは身代金なんかじゃなく、最初から商品扱いってことかよ」

「そういうことだ。そして、そういう連中を裏で庇護している貴族がいる」

「貴族が……?」

 カッシュは軽く肩をすくめ、冷めた目で続ける。

「珍しい話じゃないさ。表向きは平穏でも、裏では汚い取引が行われているものだ」

 レオノールは拳を握り、わずかに奥歯を噛みしめた。

 嫌な話だが、ありそうな話でもある。

 世の中、清廉潔白な貴族ばかりじゃないのは知っている。

「で、お前がこれをオレに話すってことは?」

「当然、お前に知っておいてほしいからだ。だが、レオフィアには言うな」

 カッシュはわざわざ念を押すように言った。

 レオノールは、すぐにその意図を察する。

「……なんでだ?」

「アイツは、きっと首を突っ込んでくる。無茶をしてな」

「……まあ、それは、うん、否定はしない」

 言われてみれば、レオフィアの性格的に何かしら動きそうではある。

「危なっかしいんだよ、あの性格は。だから、お前がしっかりと手綱を握っておけ」

「……馬じゃないんだから」

 思わず呆れたように返すと、カッシュは少し笑った。

「言い得て妙だろう? あの性格、放っておくとどこまでも突っ走る」

「それは……まぁ、確かに」

 納得せざるを得ない。

 我ながら、レオフィアとして動いているときの行動力は、自分でも驚くほどだ。

 そして、それが周囲から見れば「突っ走る危なっかしい妹」と映るのも、理解できる。

「レオフィアには知らせない。でも、だからって、このまま放置するつもりもない」

「ふむ」

 カッシュはレオノールを一瞥すると、満足そうに頷いた。

「なら、頼りにしてるぞ、兄上」

「……いちいち嫌味ったらしいな」

「お褒めに預かり光栄だ」

 どこかからかうようなカッシュに、レオノールは肩をすくめるしかなかった。

 とはいえ、彼の言うことは間違いではない。

 自分がすべきことは何か。

 それを考えなければならない。

 レオノールは、再びテーブルの上のカップに視線を落とした。

 自分が何をすべきか、少しずつ輪郭が見えてきた気がする。

(とりあえず、やられたらやり返すっていうのが『悪役令嬢』らしいよな)

 レオノールはゆっくりと口角を上げ、悪戯っぽく笑った。

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