四月の後半。
入園式も終わり、新しい子どもたちの名前をやっと憶えられた頃。
「東雲くん、良かったらこの後一緒に食事でもどうかな?」
基本的にいつもカジュアルで、今日は単色の紺のジャケットに白いルーズニット、紺のテーパードパンツ姿だった。シンプルなのにすごくお洒落に見えるのは、スタイルが良いからだろう。
しかもいつも優しくて余裕があって大人のひとって感じ。まだ二十代後半なのに、かなり落ち着いている雰囲気もなんだか尊敬してしまう。
海璃が爽やかイケメン俳優っぽい顔だとしたら、水瀬さんは仕事ができる上にみんなに好かれる、イケメン上司という感じ。とにかく色んな層にモテそうなイメージ。そんなひとがどうして幼稚園で相談員兼事務? というギャップ。
前職は大手イベント会社の社員だったらしい。イベント会社繋がりでもしかしたら海璃も会ったことがあるかも? そう考えると少し親近感も····。
「食事、ですか? えっと、ふたりきりでってことですか?」
「確かにふたりきりは抵抗あるよね。まだそんなにお互いのことを知らないし。だからこそ同じ職場の同僚として、交流を深めたいというか。軽い気持ちでいいんだけど。そんなに長い時間拘束する気もないし。ふたりきりでの食事がハードル高いなら、カフェとかファミレスなら安心? どうかな?」
同じ職場の同僚として話をしたいというのは、俺も同様で。男性職員が少ないというのもあるけど、相談できるひとが増えるのは良いとことだよね?
でも仕事が終わったらまっすぐ帰る、が海璃との約束で。急な約束は基本的にNG。遅くなると海璃が心配するし、俺も海璃と一緒にいる時間を優先したい。けれども、水瀬さんは新しい職場に来たばかりで考えることもあると思う。こういう時はどうしたらいいんだろう。
「都合が悪いなら別の日でもいいよ、」
「あ、ええっと、少し連絡してもいいですか?」
もちろん、と水瀬さんはにっこりと了承してくれた。俺は背を向けてスマホを取り出し、通話履歴から海璃の番号を選んでかけてみる。数回コールしても出ないので、まだ仕事中なのかも。俺は考えた末、とりあえずメッセージを打つことにした。
『仕事中に電話してごめんね。新しく入った職員さんにご飯に誘われたから、少しだけ寄り道して帰るね。職場の同性は実質俺しかいないから、色々と話を聞きたいんだって。お酒は飲まないから八時前には帰れると思う』
うーん。こんな感じでいいかな?
当たり障りのない文字を並べてみたが、これならたぶん大丈夫だよね?
『電話、出られなくてごめんな。俺ももうちょっとかかりそう。来月のイベントの件で担当者と打ち合わせ中。食事の件は了解。終わったら教えて?』
数秒後に既読マークがつき、そのすぐ後に海璃からの返信が届いた。そういえば来月に大手と合同のイベント企画があるって、楽しそうに話してたっけ。担当者さんと打ち合わせ中ってことは、一緒に仕事をするイベント会社のひとかな?
(ゴールデンウイーク明けには親睦会もあるって言ってたし、色々と忙しいのかも····)
子会社同士の親睦会で、小規模なパーティ会場で行われるとか。雅ちゃんや詩音さんも参加予定で、久々にみんなで集まれるので楽しみでもある。海璃の職場の人たちの雰囲気を知ることができる良い機会かもしれない。
「連絡相手って、もしかして恋人?」
「え⁉ ど、どうしてですか?」
「いや、親にじゃなかったら恋人一択じゃない?」
えーと····確かに海璃は幼馴染で恋人で同棲相手。水瀬さんが言っている"恋人"は当然女の子のことだよね。これはどう答えるのが正解なんだろう。
俺は真剣に考えた末、
「あ、えっと、一緒に住んでる幼馴染に連絡してたんです」
一緒に住んでいる幼馴染で押し通すことにした。
「ああ、ルームシェア? 最近流行ってるよね、」
「そ、そうなんです!」
どうやら納得してもらえたようだ。
「彼も仕事がまだ終わらないようで、寄り道しても問題ないそうです」
「そう? じゃあ行こうか。希望はある?」
「じゃあ、駅前のカフェはどうですか?」
あそこなら常に人が出入りするし、安心して話せる気がする。まだよく知らない水瀬さんとふたりきりでお話しをするのは、ちょっと勇気が必要だった。職場の同僚とはいえ、日常的な会話をする機会は少ない。
「いいよ。じゃあ決まりだね」
幼稚園から駅前のカフェまでは徒歩だと二十分くらいはかかるが、水瀬さんが車を出してくれたので近くの駐車場まで五分程度で到着した。
車内で気まずくなるかと思ったけど、全然そんなことはなくて。水瀬さんが気を遣って会話が途切れないように質問してくれたおかげで、緊張もほぐれた気がする。
春とはいえ日が暮れるとまだ肌寒い。寄り道せずに真っすぐ帰るのが日課だったので、この時間に外にいることは珍しかった。カフェに入ると、室内のあたたかさとコーヒーの香りにほっとした。
「軽食もありますけど頼みますか?」
総菜パン、マフィン、スコーン、ワッフル、クッキー、ケーキ類。軽食と呼べるのは総菜パンくらいだけど、フランスパンにレタスとハムとチーズが挟まったサンドイッチやカンパーニュもおススメだ。
そんな中、俺はいつものように大量の生クリームの上にチョコレートソースがかかっているワッフルを頼んだんだけど、横にいた水瀬さんが「甘いの好きなんだ?」となんだか嬉しそうだった。
「じゃあ俺は紅茶のシフォンケーキとイチゴのタルトにしようかな」
「水瀬さんも甘いもの好きなんですか?」
なんだか親近感がわいて思わず訊ねる。
「顔に似合わずって感じでしょ? いつも驚かれるか引かれちゃうんだよね。東雲くんは印象通りでなんだかほっとしたかも」
「そんなことないですよ。一緒なの、嬉しいです」
他にホットカフェラテをふたつ頼み、空いていた窓際のカウンター席に向かう。どうぞと促されて、水瀬さんの右側に座った。トレイを置いて椅子に座ると、見慣れた光景に安堵する。窓の外は駅に向かうひと、駅から出てくるひとたちで賑やかしい。外はもう薄暗くなっており、街灯の明かりが映える。
園のこと、他の職員さんのこと、子どもたちのこと、甘いものの話。水瀬さんは本当に話が上手だなと思う。聞き上手でもあり話し上手でもあるなんて、本当にすごいなって思った。一時間ほど過ぎた頃、そろそろ帰ろうという雰囲気になり、ふと顔を上げたその時だった。
(あれ? あそこにいるのって、)
大勢のひとが行き交う中、視界に映ったのは····。
「どうかした?」
「········海璃?」
少し離れた場所。駅の方から歩いてきたのは海璃と····女のひと?
「あれ? あの子·····一緒にいる彼、もしかして東雲くんの知り合い?」
呆然としていた俺は、水瀬さんの問いにただ頷くことしかできなかった。
「奇遇だね。隣にいる子、俺の知り合いなんだ。前の会社で一緒だったんだけど、色々と癖の強い子で······って、大丈夫⁉」
海璃と腕を組んで歩いている女性は、どうやら水瀬さんの知り合いらしい。俺たちと同い年くらいの可愛らしい女性で、白いブラウスにクリーム色のジャケット、紺色のフレアスカートというフェミニンなスタイル。明るい茶色の髪の毛は肩くらいまでの長さで、ふわふわした印象を受ける。
(海璃が浮気? 仕事って嘘だったの? 仮に仕事だったとして、腕を組む理由は?)
ずーんと感情が沈む中、水瀬さんが俺の腕を掴んでにっこりと笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
········って、····え? どこへ?
水瀬さんに連れられる形で、俺たちはカフェを後にした。