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第四話 これって俺のせい? ※海璃視点 



 五月の第四日曜日に、大手イベント会社であるGPC(Genuine Provide Company)と合同で大型のイベントを行うことになっていて、うちの会社は少人数ということもあり入社二年目の俺も役割を与えられている。


 もちろんひとりで、というわけではなく····。


「七瀬くん、あそこの資料取ってくれるかな?」


 なんであんな背の高い棚の上にわざわざ資料を置いたんだろう····。


 近くに置いてある脚立を使わないと絶対に取れない場所に置かれた資料ファイルを指さして、GPCの社員である吉野ひよりさんが露骨な上目遣いで俺を見上げてきた。正直、俺はこのひとが苦手である。


 この数日一緒に仕事をしてみて思ったのだが、やけにボディタッチが多く、偶然とは思えないようなあり得ない状況が続きすぎていた。


 今のこれもきっとそうなのだろうと思いつつ、俺は作り笑顔で「わかりました」と頷いた。彼女は入社四年目で、会社は違うが立場的には先輩である。


 今回のイベント企画は合同だが、大手であるGPCの方がいくらか発言が有利だったり、こちらの案が通らないことも少なくなかった。あくまでもメインはこちらで、俺たちはサブという立場だから仕方ないと言えばそれまでなんだけど。


 なぜか棚の上に一冊だけ不自然に置かれた資料ファイルをさっさと取り、俺は吉野さんに手渡した。


「ありがとう、七瀬くん。あ、それ、めちゃくちゃお洒落なブレスレットだね~」


 手渡した際に見えたのだろう、左手首に飾られた青いレザーのブレスレットに視線を落としたかと思えば、資料ファイルを片腕に抱き、もう片方の手で俺の左手に触れようとしてきた。


「ああ、これですか? 同棲している恋人とお揃いなんですよ」


 遠回し、というかそう言い切って、触れられそうになったその手から逃れるように、俺は左手を引っ込めた。これは白兎はくとの誕生日プレゼントとしてお揃いで買ったもので、俺にとっては他人には触れられたくない大切なものだった。そんな大切なものを付けてきたのにも理由があって····。


「そうなんだぁ。七瀬くんみたいなイケメンに愛されてて、その恋人さんが羨ましい。お付き合いしてる子って同じ会社の子?」


 この吉野ひよりさんというひとが、仕事と恋愛を分けていないひとという印象が俺にはあったからだ。ここに来る前、自社に出勤してから来たわけだが、彼女の"よくない噂"を主任である中村さんが教えてくれた。


「七瀬くんにちょっとだけ気を付けてもらいたいことがあってね。あんまり他人の悪口とか私も好きじゃないんだけど····ちょっと放っておけない事情もあって、ね?」


「なんのことですか?」


「君が一緒に仕事してる吉野さんのことなんだけど、彼女、ちょっと"悪い癖"があるらしくてね····あっちの知り合いから気を付けた方がいいかもって連絡があったものだから、」


「はい、で、なんのことですか?」


 中村さんが珍しく口ごもっている。悪い癖、ねぇ····まあ、なんとなく言いたいことはわかるけど、とりあえず話の続きを聞くことにした。


「彼女の周りでは恋愛トラブルが多いって噂なの。そのトラブルの内容っていうのが、三角関係とか不倫とか、そいういう良くない方のやつで。そんな子なんだけど社長に気に入られていたり、仕事はなんだかんだでちゃんとできちゃうもんだから、誰も何も言えないらしくて、」


「ああ、はい。言いたいことはすごくよくわかりました」


「うん、つまりはそういうことで。あくまでも・・・・・噂だけど、七瀬くんも気を付けてねってお話」


 あくまでも、と強調したのは、吉野さんに対する配慮だろうか。ぜんぶ言っちゃってるけども。あくまでも、そういう噂があるらしいという注意喚起というやつだ。それに関しては初日からなんとなく感じていたことだったので、中村さんの話を聞いて腑に落ちた。


 吉野さんは確かに見た目も声も可愛らしく、男性受けしそうなしぐさや言動が多い。自分のことを好きにならないひとはいないという自信もあるみたい。初日のそういう態度があったことで、俺も改めたことがある。


「そんなことより、早くこの資料の山を整理しましょう。お昼までには終わらせないと、二時からの会議に間に合わなくなるかもですし」


 彼女に対して、いつものように優しく接したり笑顔を向けるのは危険だと。さっきは仕方なくそうしたが、あくまでも仕事上の営業スマイル程度に映ったはずだ。


 吉野さんに言われるがままに並べた資料は、本当に必要な物のかそうではない物のか、俺にはわからないだろうと思われている気がする。こっちだってそれなりに場数は踏んできているつもりだ。明らかに不要なものが混じっているのに気付かないほど、馬鹿じゃないわけで。


「さすが、七瀬くん。この数日ずっと思ってたんだけど、ホントに要領良いよね。入社二年目とは思えないよ~。私も見習わないとなぁ」


 資料を整理しつつ、吉野さんの動きを把握しながら。ふたりきりの空間を警戒しつつ作業を進める。広い机の上の資料を分類して本当に必要なものだけ手元に残し、必要ないものは寄せた。この意図は、明らかに時間稼ぎというか、少しでもふたりきりになる時間を伸ばしているようにしか思えない。


「あの、ひとつだけ吉野さんに言っておきたいことがあって、」


「え? なになに? すごく気になるんだけどっ」


 急にテンションが上がった吉野さんは勢いそのままに俺の横にやって来て、きらきらした表情で顔を覗き込んできた。そんなところ悪いんだけど、ここははっきりと言わせてもらうことにする。


 彼女はどうみても俺に好意があるようにわかりやすく、それこそ故意にこういうことをしているのだと感じている。それが好きなひとももちろんいると思うんだけど、俺は白兎以外に興味がない。


「生意気かもしれないんですけど、この仕事に集中したいっていうか。俺、合同イベントを成功させることだけを考えたいんです」


「うんうん、わかる! 私もそうだよ」


 え? ここで同調する?


「スマイルファクトリーさんって会社の規模は小さいけど、今まで手掛けてるすべてのイベントが高評価だし、GPCとしても価値のある取り組みになるって社長から聞いているわ。お互いに良いところを盗めるしね」


 って、めちゃくちゃまともな返し方!

 さっきまでとまったく別人なんですけど!


「あ、······はい。なら、良かったです」


 ここでこの話は完全に終了。

 このひと、俺が思ってる以上にやり手なのかも。


「会議の準備も完璧。資料も片付いたことだし、ちょっと早いけどランチに行こっ」


 いつの間にか別の机の上に会議に必要な書類がコピーされ、しかも人数分綺麗に綴られていた。俺が資料を整理している間に、会話しながらひとりでこれをやってたってこと?


(そういえば中村さんが言ってたっけ、)


 仕事はなんだかんだでできる子、と······って、これ、彼女のペースになってないか? 動揺して隙だらけだった俺は、彼女が腕を組んできても対処できなかった。


「お昼休みは仕事の話はなしだよ? 私、七瀬くんのこともっと知りたいなぁ」


 くすり。


 吉野さんは小悪魔みたいに悪戯っぽく笑みを浮かべ、俺を見上げてきた。




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