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第六話 涙の理由 ※海璃視点



 白兎はくとと久々に一緒に帰ることになったある日の夕方。なんとなく寄った近くの公園で、ふたり。白いベンチに座って他愛のない話をしていた。あの一件以来、あいつらは大人しくしているようだった。白兎にも雅にも特になにかする様子もなく、もちろん俺に対してなにか言ってくることもなかった。


「······海璃かいりは····どうして俺なんかと一緒にいてくれるの?」


「なんで急にそんなこと訊くんだ?」


 質問の意味がわからず、俺は隣で俯いている白兎に訊ねる。


「だって、海璃はなんでもできて。みんなの人気者で、友だちもたくさんいて。俺なんかと一緒にいる必要ないでしょ? 」


「白兎は俺と一緒にいるの、嫌になったのか?」


 まあ、確かに幼稚園の頃からずっと一緒で、それぞれの友だちもいる。それはあくまでも白兎以外に関わることで、その執着心を抑えるため。ただ、白兎が俺といるのが嫌だっていうなら、俺は。


「雅と一緒にいる方がいい? 俺はいらない?」


「····あ、······そうじゃ、なくて」


 じゃあなんでそんなこと言うの?


「俺、海璃に助けられてばかりで····自分でなんとかしたいって思っても上手くできなくて。迷惑ばかりかけてる自分が、嫌いになる」


 迷惑だなんて思ったことないのに。

 守らなきゃって思う俺の気持ちは、そういう風に受け取られてたってこと?


「別に、そのままでいいと思うけど? 変わる必要なんてある?」


「······え、」


 あれ?

 俺、なにか間違った?


 白兎の表情が一瞬だけ強張った。俺はそんな一瞬だって見逃さないくらい好きなのに。白兎は違うって知ってる。それでも、今のままでいい。白兎は自分が思っているほど弱くないし、なんにもできないわけじゃない。


 勉強だってそれなりにできる。運動だって。ただ、自信がないだけ。柔らかい笑顔も優しいところも穏やかな話し方も。嫌われる要素なんてひとつもない。顔が可愛いのを気にしてるけど、それって悪いことなのか?


「·····ごめん、先に帰るね」


 白兎は急に立ち上がり鞄を掴むと、目も合わせずに逃げるように俺の前から去って行った。俺は呆然としたまま、白兎の姿が見えなくなっても動けずにいた。


「なんで····?」


 なんで泣くんだ?

 俺、なにかした?


 わからない。全然わからない、けど。

 間違いなく、原因は俺だ。

 俺が白兎を泣かせた。


「······最低だ」


 泣かせてしまったことより、その零れ落ちそうな涙を湛えた表情に心を奪われた。あの黒い感情がまた俺の中に駆け巡っていること。ずっと抑えていた"それ"が、耳元で囁く。


『あんな顔、誰にも見せたくないだろ?』


 そうだよ。見せたくない。俺だけのものにしたい。でもそんなの白兎は望まないし、いけないことだから。


 閉じ込めないと。

 こんな感情はおかしい。

 また、離れないと。


 気付いたら家に着いていた。どうやって帰って来たのか不思議だった。ぐるぐると馬鹿みたいに同じことを考えながら、その日はそのまま寝た。


 翌日。


 白兎は分厚い黒縁の眼鏡をかけてきた。俺はその行動に対して正直よくわからなかったが、雅の俺に対する態度がさらに悪化した。可愛い顔はその眼鏡によって印象ががらりと変わり、白兎は今まで以上に物静かになった。


(もしかしなくても、俺のせい? いや、眼鏡ってすぐには用意できないよな····たまたま? 変わりたいってそういうこと?)


 印象は確かに変わったが、別にそれで本来の容姿がどうなるわけでもないし、なんならこれはこれで可愛いんだが?


 その後の白兎と俺の関係が変わることは特になかったが、クラスが別になったりして今までよりは一緒にいる時間は減った。それでも、連絡の取りようはいくらでもあるので、いつも俺の方から定期的に電話したりメールしたり。



 あの涙の理由は、両思いになった今でもわからないままだ。知りたいけど知りたくない。ずっと気になってはいたけど、訊けずにいたこと。


 あの時のこと、いつか話してくれるかな?



□■□■□■□



 吉野さんの話は右から入って左に出て行くように、まったく頭に入って来ない。降りる駅が一緒だとかで帰り道まで同行されているのだが、正直、しんどい。彼女の話は俺への質問が半分、残りは脈絡のない会話ばかり。


 目に入ったものに対して「あれ可愛い!」とか、「あのお店すごく雰囲気良いんだよ~」とか、とにかくずっとひとりで喋っている状態だ。


 いつの間にか腕を組まれていたが、この数日でこの程度のスキンシップには慣れてしまっていて、途中から注意するのも面倒になっていた。されるがまま、脳内はいつも通り白兎のことしか考えていなかった。


(にしても、あの時のことを思い出すなんて····なんだか不吉な予感)


 そういえば、あの時どうして白兎は泣いたんだろう。本当にわからなくて、でもたぶん俺が原因なんだろうとは思っている。今でも訊けずにいるのは、怖いから? 


 俺が泣かせたっていう事実は変わらない。雅との関係が悪化したのもあの後からだし。つまりは白兎があいつに相談した結果ってことだよな? まあ、今はあの頃とは違ってお互いに大人になったし、普通の友だちってレベルまでは修復しているけど。


(あの時みたいに、俺が理由で白兎が泣くのは嫌だな····ってか、他の誰かでも絶対に嫌だけど!)


 会社を出る前に送られてきたメッセージ。いつも寄り道せずにまっすぐ帰って来る白兎。あの約束を律義に守ってくれる恋人だからこそ、今回はさすがに仕方ないと思った。


 同性の同僚でも心配だったが、まだ知り合ってそんなに経っていないだろうし、変に勘ぐるのも信用していないみたいで嫌だった。


 がちがちに縛りすぎるのも駄目だよな?

 俺は俺と白兎だけでいいけど、白兎には白兎の付き合いがあるわけだし。

 なにも言わないけど本当は窮屈に思ってるかもしれないし。


 駅前のカフェを通り過ぎて、賑やかしい通りを歩いていた時だった。吉野さんが急に立ち止まり、俺の右腕をぐいと引いて見上げてきた。


「七瀬くん、聞いてる?」


「えっと、なんでしたっけ?」


 全然聞いてなかった。

 なんなら白兎のことしか考えてなかった。


「あそこ、行こ?」


「あそこって······、」


 いや、無理。

 マジで無理。

 ただの仕事上のパートナー(期間限定)の俺たちが『あそこ』に行く必要はない。


「最近のラブホってめちゃくちゃ綺麗で楽しいんだよ? カラオケもできるし、食事も種類が豊富でお酒も飲めるし、女子会とかもできちゃうんだから! ね? ふたりきりで話をするにはもってこいの場所じゃない?」


 んなわけないだろ····。


 駅前から少し裏道に入ると急に景色が変わる。ホテル街というやつだ。男女でそんなとこに行ったら確実に間違いが起きるだろうし、勘違いされるに決まっている。


(どう考えても既成事実を作ろうとしているようにしか思えないんだけど!)


 やっぱりこのひと、相当ヤバい。

 こうやって色んな男性が彼女に誘われ、道を踏み外してきたのだろう。


「ちょっと待ってください。言いましたよね? 俺には恋人がいて、その恋人を大切に想ってるって。それでどうしてこう・・なるんです?」


「うん、知ってるよ。でも別に私は気にしないよ? むしろそうでないと私のへきを満たせないというか」


 いや、知らんし。

 訊いてないし。


「私、七瀬くんのこと好きになっちゃったんだ。いつも優しくて、真面目で、仕事もできて、一緒にいると楽しいし。君の恋人に負けないくらい、君のことを夢中にさせる自信があるよ?」


 言って、吉野さんは俺に抱きついてきた。このひと、本当にどういうつもりでこんなことをしているんだ? ただの遊び? ゲームのキャラを攻略をしているような感覚なのか? 全然理解できない。


 しかし俺はこの時に気付くべきだった。


 吉野さんの視線が目の前にいるにではなく、俺の後ろ・・に向けられていたことに。


「········海璃かいり?」


 その声はひどく震えていて。

 吉野さんはその反応をいち早く察して、回していた腕を俺の背に這わせて身体を寄せてきた。


「······打ち合わせって、嘘だったの?」


 泣き出しそうな声。

 絶対に間違うことなんてあり得ない、俺の大切な子の声。


「····海璃のばか······水瀬さん、行きましょう!」


「え? ちょ······っ⁉」


 俺を放さまいと、がっつりホールドしていた吉野さんを引き剝がして振り向いた時には、数秒前までそこにいたはずの白兎の姿は見えなくなっていた。




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