カメリアの自室の扉の外で、聞き耳を立てる人物がいた。白い髭を蓄え、痩せ細った男性は黒いローブを着ていた。ヴォーグループ国のロバ宰相だった。カメリアの”先見の明”を欲しがるのは貴族だけではない。次期国王の座を狙う第二王子(王太子)もその力を手に入れたいと強く望んでいた。
(あの娘を、殿下の側室に迎え入れれば良いのだ)
ロバ宰相は唇を歪め、第二王子の玉座を己の手中に収める日を夢見た。
「あー!疲れた!」
カメリアは窮屈なコルセットの紐を解かれ、晴々とした表情でベッドに転がった。ゆったりと寛ぐ姿に、サラは目を細めた。サラはカメリアの乳母の娘で、二人は姉妹のように育った。
「カメリア様、私にお願いしたいこととはなんでしょうか?」
「うふふ」
サラはドレスを手に持つと、ベッドの傍に立った。カメリアは目を輝かせて飛び起き、サラに耳を貸してちょうだい、と手招きをした。そして、サラの耳元で、とんでもないことを言い出した。
「おっ、お屋敷を・・・!」
「しっ、静かにして」
カメリアは唇の前で指を一本立てると片目を瞑った。カメリアは屋敷を抜け出して大事な人を探しに行くの、と周囲を見回しながら小声で話した。大事な人が誰かと聞かれ、カメリアは顔を赤らめた。赤いネックレスが光り、藤 剣士の目を細めた柔らかな笑顔が浮かんだ。
「好きな人がいるの」
「どなたですか!?」
「んーと、舞踏会で見かけた方よ」
カメリアは藤 剣士のことを、舞踏会で見かけた相手だと、適当に答えた。それを聞いたサラは、思わずベッドへと身を乗り出した。
「その方は、どっ、どちらにいらっしゃるのですか!?」
「分からないの、だから探しに行くのよ」
サラは、そうですね、と納得しかけたが、いいえ!駄目です!、と声を大にした。カメリアは彼女の手のドレスを取り上げると両手を掴み、首を傾げて微笑んでみせた。
「そんなお顔をされても、困ります!」
「お願い!サラもついて来て!」
彼女は目を白黒させた。カメリアもサラも屋敷の外に出たことはほとんどない。ピクニックは屋敷の裏に広がる草原でサンドイッチを食べた。乗馬が楽しめる馬場もある。家庭教師がいるので学校に通う必要もない。いわゆる、深窓の令嬢だった。
それがいきなり屋敷を抜け出し、人探しの旅に出ようと言うのだ。到底、はいそうですかと頷く訳にはいかなかった。サラは髪の毛を掻きむしり、命がいくつあっても足りません!とカメリアの肩を揺すった。それに旅となれば、馬車や馬が必要になる。ましてや魔物が棲む森もある。
「カメリア様!馬や護衛の者はどうするんですか!?屋敷のどこから出るおつもりですか!?」
「夜中なら裏口から出られるわ」
「衛兵がいますよ?」
カメリアは時計を見た。
「午後十時に衛兵の交代の時間があるわ」
「馬はどうするんですか?」
カメリアは腕組みをすると首を傾げて、ううんと唸った。
「馬は・・・そうね。下男のアランに頼んでみて!」
「アラン、ですか」
アランは粗雑だが腕力には定評がある。馬の捌きも格段に長けている。サラは、なるほどと納得しかけたが、首を横に振ってその考えを払い除けた。
「護衛の者はどうするんですか!」
カメリアは目を閉じ、ネックレスの赤い貴石が熱を持つ感覚に耐えた。頭痛が走り、酒場の喧騒が視界に浮かんだ。額に手を添え、しばらくすると目を見開いた。
「カメリア様、”先見の明”ですか?」
「ええ、アレキサンドの村にある酒場に男の人がいるわ、すごく背が高い人」
「そんな・・・酒場だなんて、危険です!」
酒場には、騎士団のヘンリーという男がいるとカメリアは言った。彼女は、その男が下男のアランと殴り合いをしている場面を視た。酒場の木のカウンターがひっくり返り、ヘンリーがアランの襟を掴んで怒鳴っていた。ヘンリーの腰には、騎士団の紋章が入った剣が光っていた・・・護衛に最適な男だ。それを聞いたサラは、思い切り頭を掻いた。
「結局、喧嘩しちゃってるじゃないですか!」
「喧嘩するほど仲が良いってね!」
「カメリア様!なにを呑気なことを!」
その時、扉の向こうで物音がした。物音がした瞬間、赤い貴石が一瞬熱を帯びた。カメリアは、何か・・変な感じ、と呟き、ベッドに潜り込んだ。サラが扉の隙間から覗き見た時、廊下の影が一瞬揺れた気がした。
「なんでしょう、風の音でしょうか?」
「びっくりさせないでよ、もう!」
カメリアはベッドから這い出した。
「カメリア様、本当に、行くんですか?」
「もちろん!」
サラは乳母の娘としてカメリアを守る義務を感じつつ、未知の世界への恐怖と憧れに心が揺れた。
「・・・分かりました」
「いいの!?」
カメリアは飛び起きて、サラの温かい手を握った。
「サラはカメリア様のお側で仕えることが一番の幸せです!お供いたします!」
「ありがとう!」
サラは護衛や馬の手配をしなければ、と下男のアランを探し出しカメリアの部屋に連れて来た。
「お嬢様、俺がお嬢様の部屋に入るなんて、旦那様に知れたら鞭打ちですぜ」
「大丈夫!今日は、お父様もお母様も大忙しよ!」
「俺みたいな下男にこんな大役、大丈夫ですかね」
アランはこの旅で、カメリアの役に立てるのかと不安を漏らした。
「アランだからいいのよ!お願いね!」
今夜はカメリアとドミニク侯爵の婚約披露の晩餐会が開かれる予定だった。晩餐会に招かれた、ヴォーグループの貴族たちは困惑した。カメリアの両親たちは、婚約破棄の対応で奔走していた。カメリアはその慌ただしさに乗じ、屋敷を抜け出そうと考えた。
彼女はアランに馬を四頭、見繕うようにと金貨を渡した。アランは金貨を握りながら、初めて見るカメリアの真剣な眼差しに心を動かされた。そしてアランは、馬小屋の退屈から抜け出せる興奮を感じた。サラは、外の世界は怖いけど、ちょっと楽しみかも、と呟いて目を輝かせた。アランは、お嬢様、俺でいいなら命賭けますぜ!と豪快に笑った。
「午後の十時ですね?」
「そうよ、見つからないように裏口の外、シイノキの下で待っていて」
「分かりやした」
そうと決まれば荷物をまとめなければならない。カメリアは豪華なドレスを脱ぎ捨てて、サラのワンピースを着た。カメリアは食料と水筒を小さな鞄に詰め、動きやすさ優先でブーツを選んだ。
(でも・・・藤くんに会えた時のために)
カメリアは鏡の前で、深紅のワンピースをあてて見た。そのワンピースは、藤 剣士から贈られた傘と同じ色をしていた。深紅のワンピースを手に、カメリアは赤い貴石に触れた。輝きが一瞬強まり、藤 剣士の、赤が似合うよ、という声が心に響いた。彼女はワンピースを丁寧に畳むとトランクに詰め込んだ。カメリアは美しい夕焼けの西の空を見上げた。
(藤くん、藤くんに会いたい!)
カメリアの心は、ヴォーグループ国のどこかに居る、藤 剣士の元へと羽ばたいていた。