カツ、カツ――。
遠ざかる軍靴の音が、風に乗って届いてくる。
窓辺に肘をつき、私はゆっくりと視線を落とした。
大通りを進んでいくのは、この国が誇る魔法騎士団。
その先頭には、紅蓮の外套を翻した団長がいて、金属製の槍に太陽の魔紋が光っていた。
「はぁー……すっごいなぁ……」
馬上の騎士たちはみんな真っ直ぐ前を見ていた。
誇り高く、強く、揺るがぬ意志をまとっている。
彼らがその身に宿しているのは“赤”の魔法。
火や雷といった自然魔法を操る、勇者の色。
あんな風になれたら――なんて、夢見たって仕方ないのよね。
口にして、ふっと笑った。
冷めた笑みだった。
「リシェル、また外を見ているの? 陽に焼けてしまうわよ」
振り返ると、母が立っていた。
今日も完璧な巻き髪に、花の刺繍が入った淡いドレス。
声も仕草も優雅だけど、その目は少しも笑っていない。
「ごめんなさい。すぐ下がります」
私は窓から離れて、手を組んだ。
母はそれだけで満足したように微笑み、小さく頷いた。
「お客様が来ているの。なるべく上品に、笑顔でね?」
「はい。分かっています」
これが貴族の娘としての私の日常だ。
上品に、穏やかに、美しく。
家の名誉を損なわぬように。
魔法騎士への憧れなんて、婚約話や社交の予定帳には載っていない。
それでも、希望は捨てられない
この国では、十五歳になると“魔法色”の判定を受ける。
どの色の魔法が自分に宿っているのか。
それは、その人の一生を決めると言っても過言じゃない。
もしも私が赤を得られたなら。
あるいは青や白でも、努力すれば騎士への道は残る。
貴族うんぬんの前に、そもそも女の私が……という問題はあるにしろ、望みはゼロじゃない……はず。
だから私は、今日まで夢を諦めなかった。
……でも。
その最後の望みすら、簡単に打ち砕かれるなんて。
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煌びやかな判定式の会場は、まるで舞踏会みたいだった。
ドレス姿の少女たちと、燕尾服の少年たちが順番に壇上へ上がっていく。
透明な魔法球に触れると、本人の魔力が色となって発現する。
「判定結果……赤色」
「やった、やったわ! 見て、リシェル!」
隣で飛び跳ねていたのは、幼なじみのレイラ。
彼女の手元には赤い光が踊っていた。
熱を帯びた輝き。
誰もが欲しがる、理想の魔法色。
「……すごいわ、レイラ」
心からそう思った。
そしてほんの少し、羨ましかった。
次は私の番だ。
壇上に上がり、透明な球体にそっと手を置く。
ぴたりと空気が止まるのを感じた。
「カルティ家令嬢、リシェル・カルティ。判定を始めます」
魔力を流す。
手のひらから、心臓の奥から。
何も起こらないような静寂ののち、淡く球体が色づいた。
けれどそれは――
「……黒、です」
一瞬、意味がわからなかった。
ざわと、空間全体が揺れたように感じた。
「黒……? いま、黒って……」
「まさか……あ、あれ、呪いの色じゃ……?」
「えっ、黒って本当にあるの? 初めて見た……」
「嘘でしょ。貴族の令嬢なのに!」
言葉が、視線が、まるで刃のように飛んできた。
会場にいた人たちは一様に、私を異物でも見るような目で見つめていた。
赤いドレスの令嬢が、数歩後ずさる。
見栄えのいい少年が、あからさまに顔をしかめて私を指差した。
「黒なんて……呪術師の色だろ。気味悪ぃ……」
「うちの子と関わらせたくないわね……!」
「カルティ家も落ちたものね」
耐えられなかった。
私は球体からそっと手を離した。
確かに、そこには黒があった。
深淵のような底なしの暗闇が、ゆらりと揺れていた。
これが私の中にある魔力の色。
足が震えた。
視界がにじむ。
「リシェル……!」
母の声だった。
でも、いつものような穏やかさは欠片もなくて、凍りついたような叫びだった。
その瞳はまるで化け物でも見るように、私を拒絶していた。
「どうして……どうしてなの……?」
ひとつひとつの言葉が、私の胸に突き刺さる。
「もういい! 帰らせてもらう!」
怒号と飛ばしたのは父だった。
いつも冷静で感情を出さない人なのに、明らかに眉が引きつっていた。
「こっちに来るんだ! ……失礼する!」
「いっ……!」
父の手が、容赦なく私の腕を掴んだ。
爪が食い込むほど強くて、私は思わず顔をしかめる。
「これ以上、無様な姿を見せるな……カルティ家の名を、貶めるつもりか」
何も言い返せなかった。
言葉が、喉に詰まって出てこなかった。
だって私、ほんの少しでも期待していたのに。
せめて、両親だけはって。
終わった。
夢は、終わったんだ。
私は、魔法騎士になんてなれない。
それどころか貴族の娘として、誇り高く生きることも。
結婚して、社交界を歩む未来も。
黒なんて。
この国では、最も忌まれる色。
呪い、死、災い。
そんなものが、この私に?
目の前が暗くなった。
それは錯覚じゃない。
ほんとうに、何かが……私を包み込むように、覆っていた。
暗い、重い、冷たい。
目の前が真っ暗になって、私は意識を手放した。
こうして、リシェル・カルティという令嬢の人生は幕を閉じた。
でも――私の物語は、まだ始まったばかりだった。