部屋の中が騒がしい。
明日から始まる雪原遠征任務を前に、寮の一室では私たち四人がそれぞれ荷造りに追われていた。
「ふんぬぬぬぬ……ッ!」
レオン先輩のうめき声が、静かな夜を突き破る。
「くそっ、なんで寝袋がカバーに入らねぇんだよ!? 絶対前より縮んでる! なあ、これ湿気とかで縮んだんだろ!?」
「詰め方が雑なだけです。角を揃えて、空気抜きながら。はい、ここ持っててください」
「はっ、べ、ベレトさん!? あっ、ちょ、引っ張――ってぇええぇええ!! 俺の指挟んだぁああ!!」
「大丈夫ですか?」
「だいじょばないっす!」
床に転がって悶絶するレオン先輩を横目に、私は自分の荷物と格闘していた。
寝袋、毛布、衣類。
薬草ポーチに防寒具。
積み上げた荷物がいっこうに収まらない。
私は手を止めてため息をつき、ノクスに小声で話しかける。
「ねぇノクス、重力魔法で圧縮できないかな? こう、ぎゅーっと」
「ムリだ。そんなちゃちな使い方するための魔法じゃねえ」
ベッドにもたれて腕を組んでいたノクスが、めんどくさそうに答える。
「ていうかお前、それ着替え何枚詰めてんだよ。お嬢様か?」
お嬢様よ! 元は!
と内心でツッコミを入れつつ、私は努めて冷静に返事をする。
「そりゃあひと月もあるんだから、替えは必要でしょ」
「いやまあ、それはそうなんだが……この量は合理性を超えてるな」
「少なめにする努力はしてるんだけどなー」
けれど実際に詰めてみると、旅支度ってこんなに大変なんだなって痛感する。
「はぁ……」
私はひと息ついて、背負い袋の上にどさっと腰を下ろした。
「何か手伝うことはありますか? リシェドくん」
静かな声が背後からかけられた。
振り向けば、ベレトが丁寧に折り畳まれた防寒具を脇に抱えながら、背負い袋の紐をきっちり結んでいた。
相変わらず、どこまでも几帳面な人だ。
「ううう、ありがとうね」
「北方の天気は不安定ですから、念のため予備の手袋も持っておくといいですよ」
「そうなんだ……でももう何も入らないかも」
そう言いながら、私は自分の荷物に目を落とす。
うん、ぐちゃぐちゃだった。
恥ずかしい。
なのにベレトは何も言わず、にこりと微笑んでくれた。
明日から、本当に旅が始まるんだ。
緊張はたしかにある。
でもそれ以上に、心の奥がほんのり熱を帯びていた。
選ばれたことへの誇らしさと、仲間たちと一緒に行けることへの安堵。
そして、まだ名前のつかない、微かな胸のざわめき。
城門前では荷車に木箱を積み込む音と、兵士たちの掛け声が飛び交っていた。
寒空の下、馬車の荷詰め作業が慌ただしく進んでいる。
そのとき、空気が変わった。
誰かが息を呑んだ気配がして、私もつられるように振り返る。
アストレイ殿下が、ひとり静かに歩いてきていた。
深くかぶったフードの下から、黄金の髪がちらりと揺れる。
その歩みは静かで、なのにどこか人を惹きつける。
自然と、場にいた者全員の背筋が伸びていた。
殿下は私たちを一瞥し、小さく微笑む。
「皆、準備はいいかい?」
「問題なしです!」
誰よりも早く、レオン先輩が元気よく敬礼した。
それに続いて、私たちも次々と頷く。
「よし、では出発しよう。馬車へ」
殿下の短い号令に応じ、荷積みを終えた一同が馬車へと向かっていく。
並んだ二台の木製馬車には、すでに装備と物資が積み込まれていた。
私はその一つに乗り込み、空いた座席に腰を下ろす。
思ったより、あたたかかった。
座面にはふかふかの毛皮が敷かれ、体を預けると自然と肩の力が抜けた。
「へぇ、中々快適じゃねーか。王族パワーってやつ?」
さっそくノクスがどっかりと座席に寝転び、足まで伸ばす。
「こらノクス、殿下の御前だぞ……!」
先輩が慌てて注意しようとした、そのとき――
「構わないよ」
殿下が穏やかに言った。
車内の視線が一瞬、彼に集まる。
「君たちの役目は、いざという時に私を守ること。
だからこそ、こういう時くらいは気を抜いてくれて構わない」
その言葉に、ノクスが口の端を上げる。
「ほらな? 体力温存も任務のうちってやつだ」
「そうは言っても、寝そべるのは違う気がしますね」
ベレトが小さく苦笑を浮かべながら反論する。
その横で、レオン先輩が「まあまあ、行儀がいいだけじゃ戦場は乗りきれないからな!」とノクスに続いて深く腰掛けた。
にぎやかな声が飛び交う中で、私はふと気づく。
ついさっきまで胸の奥に張り詰めていた糸が、少しだけゆるんでいる。
こうして皆と話していると、不思議と気が楽になる。
「緊張は解けたかい?」
静かな声に、ふと顔を上げる。
隣に座っていたアストレイ殿下が、こちらを見ていた。
「無理はしないでね。初めての任務だろう」
「……はい。ありがとうございます」
私は思わず視線を逸らした。
「少しだけ、緊張しています。でも……皆がいるので、なんとか」
そう言うと、殿下は小さく頷いた。
「いい仲間たちだ」
その言葉が、少しだけくすぐったくて。
私はそっと目を伏せた。
騒がしい車内の中で、私の鼓動だけが静かに高鳴っていた。
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旅を続けて一週間が経った。
馬車の扉を開けた瞬間、凍てつく風が顔に突き刺さる。
外は、一面の白だった。
雪原。
見渡す限り広がる銀の大地。
空も音も、何もかもが遠い。
冷たいというより、痛い。
そんな空気が、肌を斬っていく。
「ふむ、ここに設営することにしよう」
先頭を歩いていたガリンダ団長が、地図を開いたまま振り返った。
「殿下の滞在予定は十日間。ここを拠点に、周辺の調査と状況把握を行う。
移動式の野営地として、まずはテントの設置から始めるぞ」
殿下の今回の訪問は、冷戦状態が続く青の国との国境地帯を、王族自らの目で確かめる意味があるのだと聞いた。
私たち護衛五名は、その随行者として同行を命じられた。
つまりこの雪の世界が、これからの任務の舞台になる。
「う~っ、こんな寒いの生まれて初めてだ」
レオン先輩が荷物を下ろしながら言う。
ベレトは無言で地形と風向きを確認しながら、すでに周囲の視線を巡らせていた。
ノクスは寒さなどどこ吹く風といった顔で、ふわりと息を吐いている。
私は荷車からテントなどの備品を下ろしながら、銀世界を見回した。
風の音、雪の匂い、ぴんと張り詰めた空気。
ここで、私は騎士として試される。