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第19話 遠征が始まります

 部屋の中が騒がしい。

 明日から始まる雪原遠征任務を前に、寮の一室では私たち四人がそれぞれ荷造りに追われていた。


「ふんぬぬぬぬ……ッ!」


 レオン先輩のうめき声が、静かな夜を突き破る。


「くそっ、なんで寝袋がカバーに入らねぇんだよ!? 絶対前より縮んでる! なあ、これ湿気とかで縮んだんだろ!?」


「詰め方が雑なだけです。角を揃えて、空気抜きながら。はい、ここ持っててください」


「はっ、べ、ベレトさん!? あっ、ちょ、引っ張――ってぇええぇええ!! 俺の指挟んだぁああ!!」


「大丈夫ですか?」


「だいじょばないっす!」


 床に転がって悶絶するレオン先輩を横目に、私は自分の荷物と格闘していた。

 寝袋、毛布、衣類。

 薬草ポーチに防寒具。

 積み上げた荷物がいっこうに収まらない。

 私は手を止めてため息をつき、ノクスに小声で話しかける。


「ねぇノクス、重力魔法で圧縮できないかな? こう、ぎゅーっと」


「ムリだ。そんなちゃちな使い方するための魔法じゃねえ」


 ベッドにもたれて腕を組んでいたノクスが、めんどくさそうに答える。


「ていうかお前、それ着替え何枚詰めてんだよ。お嬢様か?」


 お嬢様よ! 元は!

 と内心でツッコミを入れつつ、私は努めて冷静に返事をする。


「そりゃあひと月もあるんだから、替えは必要でしょ」


「いやまあ、それはそうなんだが……この量は合理性を超えてるな」


「少なめにする努力はしてるんだけどなー」


 けれど実際に詰めてみると、旅支度ってこんなに大変なんだなって痛感する。


「はぁ……」


 私はひと息ついて、背負い袋の上にどさっと腰を下ろした。 


「何か手伝うことはありますか? リシェドくん」


 静かな声が背後からかけられた。

 振り向けば、ベレトが丁寧に折り畳まれた防寒具を脇に抱えながら、背負い袋の紐をきっちり結んでいた。

 相変わらず、どこまでも几帳面な人だ。


「ううう、ありがとうね」


「北方の天気は不安定ですから、念のため予備の手袋も持っておくといいですよ」


「そうなんだ……でももう何も入らないかも」


 そう言いながら、私は自分の荷物に目を落とす。

 うん、ぐちゃぐちゃだった。

 恥ずかしい。

 なのにベレトは何も言わず、にこりと微笑んでくれた。


 明日から、本当に旅が始まるんだ。

 緊張はたしかにある。

 でもそれ以上に、心の奥がほんのり熱を帯びていた。

 選ばれたことへの誇らしさと、仲間たちと一緒に行けることへの安堵。

 そして、まだ名前のつかない、微かな胸のざわめき。


 城門前では荷車に木箱を積み込む音と、兵士たちの掛け声が飛び交っていた。

 寒空の下、馬車の荷詰め作業が慌ただしく進んでいる。

 そのとき、空気が変わった。

 誰かが息を呑んだ気配がして、私もつられるように振り返る。

 アストレイ殿下が、ひとり静かに歩いてきていた。

 深くかぶったフードの下から、黄金の髪がちらりと揺れる。

 その歩みは静かで、なのにどこか人を惹きつける。

 自然と、場にいた者全員の背筋が伸びていた。

 殿下は私たちを一瞥し、小さく微笑む。


「皆、準備はいいかい?」


「問題なしです!」


 誰よりも早く、レオン先輩が元気よく敬礼した。

 それに続いて、私たちも次々と頷く。


「よし、では出発しよう。馬車へ」


 殿下の短い号令に応じ、荷積みを終えた一同が馬車へと向かっていく。

 並んだ二台の木製馬車には、すでに装備と物資が積み込まれていた。

 私はその一つに乗り込み、空いた座席に腰を下ろす。

 思ったより、あたたかかった。

 座面にはふかふかの毛皮が敷かれ、体を預けると自然と肩の力が抜けた。


「へぇ、中々快適じゃねーか。王族パワーってやつ?」


 さっそくノクスがどっかりと座席に寝転び、足まで伸ばす。


「こらノクス、殿下の御前だぞ……!」


 先輩が慌てて注意しようとした、そのとき――


「構わないよ」


 殿下が穏やかに言った。

 車内の視線が一瞬、彼に集まる。


「君たちの役目は、いざという時に私を守ること。

 だからこそ、こういう時くらいは気を抜いてくれて構わない」


 その言葉に、ノクスが口の端を上げる。


「ほらな? 体力温存も任務のうちってやつだ」


「そうは言っても、寝そべるのは違う気がしますね」


 ベレトが小さく苦笑を浮かべながら反論する。

 その横で、レオン先輩が「まあまあ、行儀がいいだけじゃ戦場は乗りきれないからな!」とノクスに続いて深く腰掛けた。

 にぎやかな声が飛び交う中で、私はふと気づく。

 ついさっきまで胸の奥に張り詰めていた糸が、少しだけゆるんでいる。

 こうして皆と話していると、不思議と気が楽になる。


「緊張は解けたかい?」


 静かな声に、ふと顔を上げる。

 隣に座っていたアストレイ殿下が、こちらを見ていた。


「無理はしないでね。初めての任務だろう」


「……はい。ありがとうございます」


 私は思わず視線を逸らした。


「少しだけ、緊張しています。でも……皆がいるので、なんとか」


 そう言うと、殿下は小さく頷いた。


「いい仲間たちだ」


 その言葉が、少しだけくすぐったくて。

 私はそっと目を伏せた。

 騒がしい車内の中で、私の鼓動だけが静かに高鳴っていた。




------




 旅を続けて一週間が経った。

 馬車の扉を開けた瞬間、凍てつく風が顔に突き刺さる。

 外は、一面の白だった。


 雪原。

 見渡す限り広がる銀の大地。

 空も音も、何もかもが遠い。

 冷たいというより、痛い。

 そんな空気が、肌を斬っていく。


「ふむ、ここに設営することにしよう」


 先頭を歩いていたガリンダ団長が、地図を開いたまま振り返った。


「殿下の滞在予定は十日間。ここを拠点に、周辺の調査と状況把握を行う。

 移動式の野営地として、まずはテントの設置から始めるぞ」


 殿下の今回の訪問は、冷戦状態が続く青の国との国境地帯を、王族自らの目で確かめる意味があるのだと聞いた。

 私たち護衛五名は、その随行者として同行を命じられた。

 つまりこの雪の世界が、これからの任務の舞台になる。


「う~っ、こんな寒いの生まれて初めてだ」


 レオン先輩が荷物を下ろしながら言う。

 ベレトは無言で地形と風向きを確認しながら、すでに周囲の視線を巡らせていた。

 ノクスは寒さなどどこ吹く風といった顔で、ふわりと息を吐いている。

 私は荷車からテントなどの備品を下ろしながら、銀世界を見回した。


 風の音、雪の匂い、ぴんと張り詰めた空気。


 ここで、私は騎士として試される。


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