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第18話 殿下の護衛に選抜されました


 雲ひとつない、抜けるような空だった。

 けれど騎士団の朝礼場には、冷えた緊張が張り詰めていた。

 ガリンダ団長が一歩前に出る。

 堂々たる体格。

 鋼のように通る声が、沈黙の空間を切り裂いた。


「来週、アストレイ殿下が雪原地帯へ公務に赴かれる。

 これに伴い、殿下直属の護衛任務に就く五名の選抜が行われた。

 人選は、殿下ご自身の指名によるものだ」


 ざわっ、と空気が揺れた。

 視線が交錯し、ざわめきが喉の奥でくすぶる。

 雪原地帯、青の国との国境。

 戦火こそ交わされてはいないが、緊張が続く場所。

 下手をすれば、命を落とすような任務もある。

 そんな場所に殿下が向かうのだ。


「護衛任務、か……俺たちにはあんまり関係ないだろうな」


 私の隣で、レオン先輩がぽつりと漏らす。

 腕を組み、やや神妙な面持ち。


「そうなんですか?」


「うん。殿下の命を預かる任務だよ? たった五人って話なら、信頼と実績のあるベテランで固めるのが普通だろ。

 新人のお前たちはもちろん、俺ですらその枠にゃ入らないさ」


 もっともな話だった。

 言われてみれば、納得しかない。

 でもなぜだろう。

 胸の奥に、引っかかるものがあった。

 そして、その嫌な予感は現実になる。

 ひときわ透き通る声が、整列する騎士たちの前に響いた。


「――今回、私が選出した五名を発表する」


 アストレイ殿下が、凛とした足取りで壇上に立つ。

 その佇まいだけで、全員の背筋がぴんと伸びた。


「ホーテン・カイゼル。セルマ・ヴァレンツ。ザムエル・トゥーレ。ドラン・シュタイン――」


 次々に呼ばれる名。

 誰もが一目置く実力者たち。

 周囲から小さな感嘆の声が漏れる。

 そして。


「――リシェド。君だ」


 時間が止まったように、空気が固まる。

 それは私の名だった。

 いや、偽名だけれど。


「……え?」


 ぽろりと、口から音が漏れる。

 静まり返った朝礼場に、視線が集まった。


「リシェドって……あの新人か?」


「何かの間違いじゃ……」


「いや、でも……この間のあれか? 演習での?」


 混乱と困惑、驚きと動揺がごちゃまぜになって、空気が一気にざわめき立つ。

 私は、声のする方を振り返ることができなかった。

 殿下の青い瞳が、まっすぐこちらを見ていたから。

 そのまなざしが、温かくも鋭くて。

 だから、逃げ出すこともできなくて。

 私はひとつ息を吸って、震える足を前に出した。


「……は、はい」


 声は裏返り、口はカラカラに乾いていた。

 殿下は微笑んだ。

 あの、すべてを受け入れるような眩しすぎる笑顔で。


「……何考えてんだよ、王子サマ?」


 柔らかな殿下の微笑に割り込むように、鋭い声が場を裂いた。

 ノクスが、前に出ていた。

 普段の飄々とした態度とは違う。

 その目にははっきりと苛立ちが宿っていた。


「まだ入団して日も浅い奴を、王族の護衛に使う?

 ふざけてんのか。正気でやってるなら、相応の理由を聞かせろよ」


「おい貴様、殿下に対して――!」


 殿下の側に控える近衛兵が、剣の柄に手をかけながら一歩前へ。

 ざわっ、と周囲が騒めく。

 空気が一気に緊張に包まれる中、アストレイ殿下はそれを片手で制した。


「下がってくれ」


 その言葉だけで、近衛は一歩退いた。

 そして殿下は、ほんの一瞬だけ目を細めてノクスに視線を向ける。


「君と打ち合ったあの日を、思い出したよ」


 ノクスの眉がぴくりと動いた。

 殿下は静かに続ける。


「あの時から分かっていた。君の実力は、騎士団でもトップクラスだろう。

 彼を君が支えたいと願うなら、同行を認めよう」


 含みのある微笑。

 その言葉の端々に、真意を見透かしているような鋭さがあった。


「……結局、質問には答えねぇんだな」


 ノクスは鼻で笑って言った。


「けどまあ、同行していいならオレ様も乗ってやるよ。

 ほっといたらすぐ無茶するからな、コイツ」


 そう言ってノクスはくるりと踵を返し、私の隣に戻ってくる。

 そのまま、こそっと身体を寄せてくるようにして囁いた。


「感謝しろよ」


「ふふっ……心配してくれてありがと、ノクス」


 私は小さく笑って、彼の肩を肘で軽くつついた。


「心配? 眷属に死なれると面倒なだけだ」


 視線を逸らしてそっぽを向くその姿が、少しだけ赤く見えた気がして。

 私はさらにこっそりと、もう一度笑った。


「それでは、先に発表した五名に彼を加え――」


「――ちょ、ちょっと待ってください……!」


 殿下の言葉を遮るように、切羽詰まった声が響いた。

 驚いて振り返ると、声の主はベレトだった。


 ベレトが?

 人前に立つのすら苦手そうな彼が、自分から声を?

 驚く私の前で、ベレトは一歩、壇の方へと踏み出した。

 制服の袖がかすかに揺れ、彼の指先がほんの少し震えているのが見えた。

 でも、その目はまっすぐに殿下を見据えていた。


「ぼ、僕も……同行させてください」


 声は震えていたけれど、濁りのない意志がそこにはあった。


「雪原地帯は、僕の故郷なんです。

 気温、風の動き、装備の扱い。地形も含め、熟知しています。

 何かとお役に立てるはずです」


 会場が静まり返る。

 その中でアストレイ殿下は静かに目を細め、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……なるほど。一理ある」


 殿下の声が響くと同時に、場の空気が少しだけ緩むのを感じた。


「戦術訓練での働きは、教官たちから聞いている。

 未知の脅威と向き合う場において、君のように冷静に先を読む者は貴重だ。許可しよう」


 ベレトはふっと息を吐いて、深々と頭を下げた。

 その背中が、いつもよりずっと大きく見えた。


「ベレト……すごいな」


 思わず、私の口から呟きが漏れた。


「おいおいおいおい……!」


 頭を抱えて前に出てきたのは、やっぱりレオン先輩だった。

 足取りは軽やかでも、その眉間には深いしわ。


「あーもうっ! 放っとけるかよ!

 部屋のやつ全員連れてかれて、俺だけ留守番とか、冗談じゃないです!

 ……ってことで、俺も行きます!」


 威勢のいい声に、朝礼場が一瞬だけ和む。

 くすっと笑いが起き、場の緊張が少しだけほぐれた。

 殿下もその様子を見て、やわらかな笑みを浮かべた。

 そして、ゆっくりとガリンダ団長に視線を向ける。


「彼の評価は?」


 問われた団長は、腕を組んだまま短くうなずいた。


「新人三名の世話役です。精神的支柱と言っても差し支えない。

 腕の方も、先に選ばれた五名に劣らぬだけの力はある。

 ……経験は少ないが、悪くない選択かと」


「なるほど。ならキミも許可しよう」


「了解しましたっ!」


 レオン先輩がびしっと敬礼し、いつもの軽さのない真顔を見せた瞬間、少しだけ胸が熱くなった。

 気づけば、名前を呼ばれた者たちは八名になっていた。

 殿下は軽く息を吐き、整列する騎士たちを見渡しながら静かに口を開く。


「本来、護衛は五名の予定だった。だが志を持ち、自ら名乗り出た者がいたことで八名へと増えた。

 それはとても喜ばしく思う」


 そこに、ふっと表情が引き締まる。


「しかし青の国との情勢は今のところ落ち着いており、雪原地帯への遠征では物資・輸送面の負担も大きい。

 よって予定通り、最少人数での編成に戻す」


 場が静まり返る。


「選抜を改めて告げる。リシェド、ノクス、ベレト、レオン。以上の四名を、正式な随行者とする」


 一拍置いて、殿下はガリンダ団長を見た。


「そして彼らを導く存在として、ガリンダ・アーマード団長。あなたに同行を願いたい」


 静寂を破る、騎士たちの驚きの声。


「団長……!」


「そ、それなら納得……!」


 ガリンダ団長は、大きな溜息をついた。


「殿下のご命令とあらば、断る理由はありません」


 その姿に、場の空気が再び落ち着きを取り戻す。

 殿下がにっこりと笑って言う。


「急な申し出ですまないね。受けてくれたことを感謝する。

 予定ではひと月の遠征になる。出発前に、奥方と娘さんに行ってきますの――」 


「だあああああっ!! 殿下ァァァァ!!」


 団長の顔が見る間に真っ赤になり、豪快な叫び声をあげた。

 思わず笑いがこぼれる騎士たち。

 私もつられて、笑ってしまった。

 こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。


 不安はある。

 怖くないわけがない。

 でも選ばれた、選んでくれた。

 ノクスも、ベレトも、レオン先輩も。

 きっと、私のことを気遣って志願してくれた。

 その想いが、私の背中を押してくれる。


 だから――


「……やれる」


 こっそりと、小さく口の中で呟いた。

 その言葉は、凍える雪原よりもずっと遠くに向かって、静かに燃えていた。


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