砂煙が収まると、そこにいたのはうさぎだった。
「うさぎ!」
そう、真っ白なうさぎ! ふわふわもっふもっふで丸っこい体に耳の長い、あのうさぎ! ああ、丸いしっぽも愛らしい!
ただ、体の大きさは馬ほど大きいけどな。背中に鞍もついているけどな。
「ん? 初めて見るか? まあ、王都では砂うさぎは見ないからな」
ラグはうさぎの鼻の上を撫でると、腰のポシェットからニンジンを出してやった。
やばい、口をモゴモゴしている。『キャワいすぎる!』と心の中で絶叫してしまった。
「ね? このうさぎ、ラグの?」
「ああ、砂漠はこいつに乗って移動してるよ」
うさぎに乗ってだと!? 私は鼻血を出して倒れた。これが萌え死にってやつか!
ダウンしたボクサーのように震えながらなんとか立ち上がり、両手でグーを作るとファイティングポーズのように顎に寄せて、上目遣いでラグに向かって全力のおねだりポーズをした。
「あ、あのぉ……お願いがあるんですけどぉ」
「えっ……なに?」
ラグの顔が不信感丸出しになる。
「このうさぎ、モフっていい?」
「え? モフ? いいけど」
やった! 許可を得たからにはこっちのものよ。『やっぱりダメです』は聞かないよ。
私はニンジンを食べてるうさぎの腰に思いっきり抱きついて体を埋めた。
ふわふわで暖かい。ああ、枯れ草のような匂いがする。私はうさぎをモフるためにこの世界に来たんだ、きっとそうだ。
うさぎの腰に顔を埋めている私を見たラグが呆れてボソリと言った。
「こいつ、本当に貴族か?」
10分くらいモフっていただろうか。痺れを切らせたラグに引き離された。
「ほら、もう行くぞ!」
「もう少しモフらせて……」
「俺らのところに来たら、もっとたくさんの砂うさぎがいるから」
「ホント!?」
バッと顔を上げて満面の笑みでラグを見た。
「行く!」
ラグは苦笑いをしながら、砂うさぎの手綱を握ると、鞍に跨った。
「後ろに乗って」
私も跨ろうとして、ハッと気がついて降りた。
ラグが不思議そうな顔をして振り向く。
「どうした?」
私はスカートを押さえた。声を出そうとしたけど、小さな声しか出せなかった。
「見えちゃう……」
ラグも気づいたようだ。右手を額に当てると天を仰いだ。
「あー! そっか。そりゃまずいか」
砂うさぎから降りると、私をひょいとお姫様抱っこした。
「触るのはまずいかもしれないけど、見えるよりましだろ?」
「えっ、ちょ!」
慌てる私に構わず、お姫様抱っこをしたまま、さっと砂うさぎに跨ってしまった。
「これなら見えないだろ?」
ラグに抱っこされる形でうさぎに横乗りしてしまった。
えっ、ちょっと待って、どこの恋愛映画だよこれ。照れるじゃないか! やめろよ!
「じゃ、いくぜ!」
ラグが手綱を引っ張ると、砂うさぎが後ろ足で砂を蹴った。背中が大きく揺れる。
「キャ!」
素でラグの首にしがみついてしまったじゃないか。うっ、肩に回した腕にラグの体温を感じる。
『待って、私、一日砂漠にいて臭くないよね?』そんな私の気持ちを気にしないかのように、ラグは砂うさぎを走らせた。
砂うさぎは速度を上げてビュンビュン走る。砂山の急斜面も、ものともせずに登っていった。
最初はラグに必死にしがみついていたけど、だんだん慣れてきて、余裕が出てきた。
なんか、乗っているうちに楽しくなってきたぞ。
頬に当たる風が気持ちいい!
「ふふ、うふふふふ!」
思わず、口元が緩んで笑ってしまう。
「ははっ!」
ラグも笑った。
疾走する砂うさぎの背中で、二人の笑い声が響き合った。
私は今、ときめいているのか? それとも一時の安心感なのか? わからない。でも今は、ラグの腕の中が、ちょっとだけ心地よかった。
砂丘の稜線に沈む夕陽が、青い空をオレンジから茜色へと染め直していく。黒いシルエットと茜色のコントラストが奏でる砂漠の美しい風景は、木更津杏奈のままでは見ることができなかっただろうな……私はこの風景を忘れないだろう。
「もうすぐ着くぜ!」
ラグの声で現実に引き戻された。
地面が砂から砂利になり、岩が転がり赤い土が覗くあたりから、踏み固められた道が出来ていた。
道の途中で杖を持った爺さんに出会い、ラグが砂うさぎを止めた。
「やあ、ハム爺! 久しぶり!」
ハム爺と言われたお爺さんは、白くて長い髭にツルツル頭で、いかにも「ここはナンタラの村じゃ」とか言いそうな、村外れの案内役みたいな爺さんだった。
「お前、えらいべっぴんさんを乗せてるのう。どこで捕まえて来たんじゃ?」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。砂漠で迷っている所を保護したんだ」
「そうかいそうかい。お嬢ちゃん、ここはいい所だから、ゆっくりしてきな」
ハム爺は私を見ると、歯のない口でニカッと笑った。
「はじめまして、お爺さん。お世話になります」
100点満点の営業スマイルでお爺さんにご挨拶をした。
「じゃあな、ハム爺。また後でな!」
ラグは砂うさぎを走らせた。後ろでハム爺が手を振ってるのが見える。
前を見ると、谷のような所で岩山をくり抜いた集落が見えてきた。
あそこが、ラグたちの住処! 一体どんな所なんだろう。
どこからともなく晩御飯を作る匂いが漂ってきた。人が住んで生活している証拠だ。
私は砂うさぎの上でラグの腕の中、期待に胸を膨らませながら集落に入っていく。
もう物語のお姫さまにでもなった高揚感に包まれていた。周りの風景全てが輝いて見える。なんなら、小鳥や子鹿とでも会話が出来そうなつもりですらいた。
広場に入ると人影が見えた。
大きな男がこちらに向かって手を振っている。
スキンヘッドが太陽にキラリと反射して、私を歓迎しているように見えた。