砂漠のど真ん中、しかも岩山の洞窟内に天然の温泉が湧いているなんて、にわかには信じがたかった。
松明の灯りが揺れる洞窟の奥には、テニスコートほどの広大な空間が広がっていた。そこには、湯気を立てる透明な湯が満ちた、まさに天然のお風呂があった。
はやる気持ちを抑え、まずは掛け湯。そして、ゆっくりと湯に身を沈めた。
「ぶっひゆううん」
全身を包み込む柔らかな湯の温かさに、思わず声が漏れた。体中の緊張がふわりと解けていく。湯煙が立ち上り、ひそやかに硫黄の香りが漂う。
全身の疲れがお湯に浸み出して行く感じが心地よい。生き返ったわあ。
湯船の横の壁にピカピカに磨かれた大きな黒曜石が立てかけてあるのを見つけた。どうやら姿見代わりに置かれているようだ。
どれどれ。黒曜石の鏡の前に立ってみた。鏡に映る姿は木更津杏奈ではなく、あの悪役令嬢のアリシアだ。
やっぱりスタイルいいなあ! シミひとつない白い肌! 長い手足、均整がとれてくびれた腰、小さな頭、適度な大きさの胸。
これ、モデルとして世界で戦えるクラスのスタイルじゃないか? 黄金比完璧じゃん!
この体で杏奈として生まれていたら、私の人生変わっていたろうなあ。
鏡の前で髪の毛をかき揚げ、挑発的なポーズを取ってみた。
うお! カッケェ! ポーズが決まるよ!
腰を横に突き出してみたり、ジョジョ立ちしたり、鏡の前で様々なポーズを決めてみる。
これは楽しい! スマホがあったら自撮りしたい!
前屈みになり、両腕で胸を押し出して腰を後ろに突き出す古のポーズを取った時だ。
「あんた新顔かい?」
突然、奥から声がした。
「ウヒョン!」
私は声にならない声を上げると、反射的に後ろに飛び上がって『ザブーン』と湯船に落ちた。
本気で心臓が喉から飛び出すかと思った。
声をかけてきたのは、褐色の肌をした中学生くらいの小柄な女の子だった。
長い黒髪で前髪に白いメッシュが入っていて、とても綺麗なくりくりしたエメラルドグリーンの瞳が印象的な子だ。小さいけど、どこか威厳があって年相応には見えない。
「せ、せせせ先客がいたんですね」
まだ心臓がバックンバックン言ってる。恥ずかしさでキョドってしまった。
「あんた今日きた人だね。確かアリシアと言ったかな?」
「はい、アリシアですよろしくおねがいします」
「よろしくな。あたいはアミーラって言うんだ!」
集落のどこかの家の子かな?
「砂漠で大変だったらしいね」
「え、いやー。3日ほど彷徨っていただけです」
嘘は言ってない。でも、目が泳ぐ。心臓のドキドキが止まらない。お湯に入ってるのに冷たい汗が吹き出てきた。
「砂漠は命を吸い取るよ。体力が尽きたら命も尽きる場所だ。何も持たずに砂漠で3日も生き抜くとは。……あんた、何か訓練でも受けたのかい?」
アミーラの、エメラルドグリーンの瞳が、私の表情を見透かすように鋭く突き刺さる。
「あ、えーと……前に魔石を取り来たことがあってえ、その時に色々教えてもらったのが役に立ったかなあ……」
汗が吹き出るのが分かった。湯の中にいるのに、背筋に冷たいものが走る。強張った笑顔でなんとか答える。嘘は言ってない。言ってないってば、ほんと。
「ふーん、変わった貴族さんだねえ……」
アミーラはそう言いながら、次の瞬間、ギョッとしたように目を見開いた。
「アリシア、あんた体が光ってるよ!」
ん?
お湯の中でヒカリイカのように私の体が光ってる!
いや、紫色の光のもやがお湯の中から湧く様に出てきては、染み込むように私の体にはいってきている。
それはもう容赦なくどんどん入ってきた。
あれか?温泉の成分に魔力が入ってる?
魔力温泉か! 効能は血行促進と疲労緩和か! いやいや、そんなこと言ってる場合じゃない!
コブトリドラゴンに魔法を使った時とおなじだ。
体の奥が熱くなって、心臓の鼓動に合わせてどくんどくんと何かの力が入ってくるのに抗えない。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
アミーラが心配して声を掛けた。
体が熱い! 目の前がチカチカする。
あ、ダメだ何かが体から溢れる! でも、ここで溢れさせるわけにはいかない! あー!
やっぱダメ。
頭のてっぺんから何か大きな力が抜けるう!
『ズッドオオオオオオオン!』
激しい爆発音が居住地を揺るがした。部屋にいたラグたちが慌てて外に出たらしく、声が聞こえる。
「げ! 温泉山が吹っ飛んでる!」
「噴火ちゃいますのん!?」
そこにはさっきまであった岩山が影も形も無くなって、夜空が見えていた。
「露天風呂ニナッチャッタネ……」
風情のある洞窟の隠れ湯的な温泉の天井が見事に吹っ飛んで、満天の星空が望める展望露天風呂にビフォーアフターしてしまったよ。
全く隠す気ゼロのオープンな温泉になっちゃった。
私は湯船の中で固まり、お湯に口をつけてぶくぶくさせていた。
「ワタシハクラムボン……、ワタシハクラムボン……」
湯の中で呆然と星空を眺めていたアミーラが、ハッと我に帰って私の肩を叩いた。
「お前すごいなあ、何やったの?」
ビクッとして首をギギギギと軋むように回してアミーラに向かう。
「ワタシハクラムボンデスヨ?」
「なんなんだよ、お前!」
アミーラは呆れながらも、満面の笑顔で私の頭を叩いた。パシーンと良い音が響く。
「おーい大丈夫かぁ」
「こりゃまたゴッツい事になってますなぁ」
残骸の向こうからラグとヤシマの声がする。
クレーターのようになってしまった岩の上からラグがヒョイと顔を出した、後からヤシマも付いてきた。
「見んな! ゴラァ!」
私の放った極太ファイアボールが轟音と共にラグとヤシマの頭上スレスレを物凄い勢いで飛んでいった。オレンジ色の炎が夜空を切り裂くような光の線を描いている。近くを通り過ぎた熱波が、肌をチリチリと焼いた。
あと数センチ上に頭を出していたら二人とも焼け焦げていただろう。
「あぶねえ!」
ラグが慌てて岩影に隠れた。
「しかし、アリシアはん、ええのんブッ放しはりますなあ!」
ヤシマが妙な感心をしてる。
「こっちくんな!」
前にラグにはお尻を見られている、これ以上見せてたまるか!
「おーい!温泉山がなくなってるぞう!」
「えらいこった!」
何事かと集まってきた集落の人たちも、ビビって遠巻きにしか近寄ってこない。
怒りでフーフー言ってる私の後ろで、アミーラが手を叩いて喜んでいた。
「いいねえ! あんた気に入ったよ!」
私の背中をバンバン叩いてくる。
背中にもみじマークがつくからやめて欲しいなあ。と思いながら、叩くに任していた。
湯気が立ち上る中、頭上には吸い込まれるような満天の星が瞬いている。澄み切った夜空の冷たさが肌に妙に心地よく感じた。