「うぅ……」
体へ戻ると疲労感がひどい。指を一本ずつ動かして体になじませていく。毎度ながらこの時間が好きじゃない。でも徐々に慣らしていかないと、あとから筋肉痛に似たことへなるので慎重に少しずつ動かしていく。
「大丈夫? 起きられる?」
ズミがペットボトルの水を持って来てくれた。
「ありがとう……」
なんとか起き上がって、受け取ったペットボトルの水を飲む。ゴクゴクと一気に飲み干す。空になったペットボトルをテーブルへ置いて、は――っと息を吐く。
「ルルちゃん、いたぞ」
下を向いて低い声でズミに言う。ちょっと長い間、体から離れていたので疲れた。決して年のせいではない。
「えっ! ほんと!? どこに?」
ズミは俺の側まできてソファーへ座った。顔を片手で拭い、ズミを見る。
「たぶん旦那の……、部屋の奥だ」
あの監視部屋の主は、奥さんの夫の部屋だと思う。奥様から聞いた話がなければわからなかっただろう。
「旦那って、まさか……!」
ズミは事務所へ戻って資料を持ってきた。俺の部屋の
「おい! ズミ! おまえはいつの間に、俺のパソコンのパスワードを……!」
「これ見て!」
問い詰めようとしたが、目に前へ出された資料を見て驚いた。資料には俺がガラスの花瓶を落とされた時刻の、どこかの監視カメラの映像をプリントしたものだった。
そのプリントには前後の時間と、花瓶を持っている人物が俺の側へ花瓶を落とす前と落とした後の行動がはっきりと写っていた。
「そして、この人物!」
ズミが俺のパソコン画面を指さした。
「あ」
そこには奥様のご主人が経営する会社の、社長の写真が掲載されていた。俺にガラスの花瓶を落とした人物だった。
「殺人未遂じゃない! どうして!?」
「まあ、待て」
俺は怒り狂っているズミをなだめた。証拠はそろっているが、なぜこんなことをしたのか突き詰めないといけない。なぜならば。他の人物、あるいはモノをまた同じように狙うだろう。
「奥様へ、ご主人と一緒にお話ししたいと連絡してくれないか? ズミ」
後日、ご主人の休みの日へ訪ねることになった。ズミは山のような資料を持って行った。俺はまたキチンとした服装に着替えさせられた。窮屈だ。
俺が車を運転して、ズミは助手席へ。この間のように門でチェックされた。
「はい。中川さんの所のお客様ですね? お聞きしています。どうぞ」
相変わらず別世界のエリアだ。長い道を車で走っていく。
「ようこそ。稲住さん、狗鷲さん」
奥様が迎えてくれた。変わらず豪華なお屋敷だ。
「主人が待っています。どうぞ中へ」
吹き抜けの広い玄関からリビングへ移動した。奥様はこちらをチラチラと見ていた。
「あの……。ルルちゃんが見つかったって」
「はい」
俺は素っ気なく言った。ズミも黙っていた。俺達の雰囲気を察したのか、奥様は黙ってリビングへ案内した。
「あなた。探偵さんがいらっしゃったわ」
リビングの扉を開けると、背の高い三十代の奥様より年上のご主人が渋い顔をして立っていた。
「どうも。狗鷲探偵事務所の狗鷲です」
礼儀として俺から名乗った。続いてズミも名前を言った。
「……中川 誠一郎です」
中川氏は胡散臭い目で俺達を見ていた。美人の奥さんが気になるのだろう。
「あなたも、狗鷲さん達もとりあえずお座りになって」
奥様が座るように勧めてくれたのでソファーへ座った。中川氏は俺にしたことなんて知らないような態度だった。
「……ズミ、資料をテーブルの上へ」
「はい」
早くケリをつけたい。俺は続けて中川氏と奥様へ話しかけた。
「実はですね……。命を狙われるようなことが、ありましてね」
ピクリと中川氏の指が動いた。俺は見逃さなかった。
「上からガラスの花瓶が落ちてきたのですよ」
俺が中川氏の顔を見ながら言った。しかし、顔色一つ変えなかった。テーブルに置いたズミが集めた資料を、奥様と中川氏に見てもらった。
「これは……!」
奥様が手で口を塞いで、プリントした写真を食い入るように見た。
「あなた、……これは!?」
高架道路から俺にめがけてガラスの花瓶を落とす、中川氏がはっきり写っていた。
「こんなの、誰でもフェイク写真を作れる! だいたい私がそこにいた、証拠なんてあるのか!」
逆切れか……。決定的な証拠を見せてやろう。
「ズミ、映像を」
「はい」
それは近所の人、個人の映像を借りたものだった。車が好きで高架道路に向けて定点カメラを設置していた。バッチリと本人と所有の車が映っていた。
「……」
「あなた……! なぜそんなことを!?」
中川氏はこぶしを握り締めて下を向いた。奥様は中川氏に駆け寄って膝をついて顔を覗き込んだ。
「……だ」
小さい声が中川氏から聞こえた。奥様は顔を近づけて「なんと言ったの?」と聞いた。
「お前が! 俺から離れるのが、怖かったんだ!」
「きゃ!」
それは隣にいた奥様が驚いて、尻もちをつくぐらいの大声だった。立ち上がって俺とズミを指さした。
「こんな胡散臭い男を家に招き入れて! 浮気でもするつもりだったか!?」
「そんな! 違います!」
いきなりここが修羅場になった。中川氏は俺達につかみかかろうと、こちらへ向かってきた。
「ズミ」
「はいよ!」
「きゃあ!」
奥様の悲鳴が聞こえた。しかしズミが、すばやく中川氏を取り押さえた。中川氏の脚がテーブルに当たって、ガタガタと揺れた。飲み物はこぼれて、飾られていた花瓶と花がテーブルから落ちた。
「取り押さえているから、保さんはルルちゃんを助けてあげて」
ズミが中川氏を力強く、動かないように床へ押さえていた。意外にもズミは、格闘系が得意な女装趣味の男の
「そのまま抑えとけ」
片手で中川氏を床へ押さえて、片手をあげて答えた。
「奥様、ご主人の部屋へ。暗証番号はわかりますか?」
顔色を悪くしている奥様にはもし分けないが、案内してもらう。
「は、はい。番号は知っています……。初めて、この部屋へ入りますが」
思わぬ邪魔が入ったが、依頼の【飼い猫 ルルちゃん】を見つけることを優先する。
猫部屋を通り過ぎて、ご主人の部屋へ。
「……入ります。ひっ!」
ドアを開けて中へ入ると、奥様は息をのんだ。監視カメラの、たくさんのモニターと映像を観たからだ。
「そんな……。こんな監視カメラが……」
まさか自分の寝室まで、監視カメラがあったとは気が付いてなかったようだ。
「奥様。とりあえず、奥の部屋へ」
ごくっと奥様の喉が鳴った。頷き、奥様の案内で奥の部屋へ進む。
「にゃん!」
ドアを開けると、ルルちゃんがいた。
「ルルちゃん!」
奥様は久しぶりに再会したルルちゃんを、抱きしめた。
その後……。
中川氏は奥様とルルちゃんの仲の良さに嫉妬して、軟禁したそうだ。
「猫なのにな……」
「猫、だからじゃない?」
俺には理解できなかった。
本来ならば殺人未遂……なのだが、奥様の必死のお願いで多額の示談金で手を打つことにした。これを断ったら、こちらが消されそうなので了承した。
「ルルちゃんはみつかったし、多額の示談金が手に入ったし良かったね☆」
「俺は殺されそうになったけどな、ズミ。いくら大金が入ったからとはいえ……買い物は、ほどほどにな」
は――い! とご機嫌なズミの声がキッチンから聞こえた。
夫の嫉妬から起こった、飼い猫失踪事件。――とりあえず、見つかって良かった。
■最終報告書■
飼い猫失踪事件
旦那の嫉妬による、飼い猫の軟禁。無事見つかる。
・多額の依頼料&示談金が払われた為、旦那と示談で解決。
END