## 第2章 歴史的背景と萌芽
百合文化の成立を論じるにあたり、まず不可欠なのはその歴史的背景の整理である。百合は突如現れたジャンルではなく、長い時間をかけて女性同士の情愛を描く文学的・視覚的表現の積み重ねの中から立ち上がってきた。その起点は、近代日本の少女文化、さらには大正期の女学生文化にまで遡ることができる。
### 2.1 少女文化と「エス」の系譜
大正時代、日本において女子教育が広まり、寄宿学校制度が整備される中で、「女学生」という存在が一つの文化的理想像として登場する。これに伴い、女子同士の精神的な親密さを描く「エス(S)関係」なる言葉が流通するようになる。これは、主に上級生と下級生の間で結ばれる尊敬と憧憬、時に嫉妬を含んだ関係性であり、恋愛というよりは「魂の絆」として描写された。
このような関係性は、雑誌『少女の友』や小説家・吉屋信子の作品群(例:『花物語』)に見られ、初期の百合文化の「精神的純愛主義」という基調を確立した。重要なのは、この関係があくまで「一過性」であり、卒業すれば解消されるものとして社会的に黙認されていたことである。ゆえに、この段階では「同性愛」としてではなく、「少女期特有の文化」として処理されていた。
### 2.2 戦後少女マンガと耽美主義の導入
戦後、高度経済成長期とともに少女漫画が商業的に成長する中、女性同士の親密な関係性を描く文脈は再び表象の場に現れる。1970年代に登場した「24年組」(萩尾望都、竹宮惠子ら)による作品群は、従来の少女マンガには見られなかった高度な物語構造と、耽美的で心理的に深いキャラクター関係を特徴とした。
萩尾望都の『トーマの心臓』や『ポーの一族』は、舞台をヨーロッパに設定し、少年同士の精神的・身体的関係を描くことで、読者にとって既存の性役割を越えた感情移入の対象を提供した。ここで興味深いのは、読者の多くが女性でありながら、男性(あるいは少年)同士の関係を媒介とすることで「女性同士の感情の代替表現」として読まれていた点である。この回路が後の「百合的読解」を可能にする基盤となった。
### 2.3 百合という言葉の登場と定着
「百合」という言葉自体が女性同性愛を意味する言葉として用いられるようになったのは、比較的最近である。1990年代後半から2000年代にかけて、『百合姫』誌(一迅社)の創刊や『マリア様がみてる』(今野緒雪)の大ヒットを契機に、ジャンルとしての百合が明確に言語化・可視化されていった。
『マリア様がみてる』では、学園を舞台とした先輩・後輩の間に結ばれる精神的な絆「スール制度」が描かれ、かつてのエス関係を現代に再構築した形となっていた。この作品は、直接的な性愛表現を排しながらも、女性同士の親密な結びつきに読者が没入するための「百合的想像空間」を提供した。こうした文脈により、「百合」は「女性同士の精神的な関係性を中心に描くジャンル」として市民権を得ていった。
### 2.4 同人誌文化との連携
同時期に、同人誌即売会(コミックマーケットなど)を中心に、商業ジャンルでは扱われない「カップリング」や「女の子×女の子」の自由な表現が活発化する。特に、男性向け・女性向けの枠を越えた柔軟なカップリング表現は、ファンによる百合ジャンルの独自発展を促進した。
この同人誌的文化が、「公式設定に存在しない百合関係を想像的に接続する」行為を一般化させ、後のファン活動(ファンアート、SNS上の二次創作、BLとの交差)とも繋がっていく。百合はこの時点で「公式/非公式を問わず構築される文化圏」として拡張された。
### 2.5 初期アニメ作品の試行
2000年代には、『ストロベリー・パニック』『神無月の巫女』といった「女性同士の恋愛」を前面に押し出したアニメ作品が登場する。これらはエロティックな演出や恋愛関係の明示的描写を含んでいたが、同時に「女性だけの世界」における理想的感情の美学という要素も色濃かった。
このような作品は、やがて商業的成功を収め、百合アニメというジャンルがメディアの中で確固たる位置を占める端緒となった。以後、百合は商業媒体においても定着し、特定のファンダムを持つジャンルとして成立するようになる。
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このようにして、百合文化は少女文学→少女漫画→同人誌→アニメといった複数の表現媒体を経て徐々に可視化され、一定の社会的承認と市場性を獲得していった。その過程には、日本社会に特有の性役割や恋愛観、美学の影響が色濃く反映されており、百合は単なる「同性愛表現」ではなく、極めて文化的かつ文脈依存的な存在であるといえる。