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第2話 楠木百合子

 私の名前は おい、とか ちょっと、ではない。けれど勤務先の広告代理店ではそう呼ばれている。


 私の名前は楠木百合子くすのきゆりこ。百合の花のように美しく育ってほしいと願い、そう名付けたのだと父親は真面目な顔で言った。が。そもそも両親が極々平凡な顔面偏差値であるからして、無理な話だ。二十四歳になっても、彼氏いない歴二十四年という悲惨な現状。


 大学で夢見たクリエイティブな仕事は、書類と上司の無茶振りに埋もれていた。早朝出勤は当たり前。昼休憩はデスクの上で、パソコンを恨めしく睨みながらコンビニエンスストアのサンドイッチと牛乳を啜る日々。当然、残業代なしの残業は続くよどこまでも。それもこれも、マルチタスクが苦手な自分にも原因がある。だが、解せぬ。なぜこのような安月給で、社畜のように働かなければならないのか。


(どこか遠くに行きたいな・・・どこでもいい)


 賑わう金沢駅構内の鏡には、黒髪ボブヘアーに黒縁眼鏡の疲れ果てた自分が猫背で映っていた。化粧っ気もなく、肌は荒れ放題。このままの人生で良いのか。大きな溜め息をつきながら階段を上っていた。


 そこへ、大きなキャリーバッグを転がしたサラリーマンが駆け下りてきた。あぁ、彼も社畜なのかと憐んで見たまでは良かった。そのキャリーバッグが私の足をすくい取った。バランスが崩れ、階段を滑り落ちる瞬間、眩しいLEDライトと色鮮やかな垂れ幕が視界を埋めた。誰かの悲鳴が耳をつんざき、後頭部に激しい衝撃が走った。頭の中で鈍い音がした。背中に激しい痛みが走った。まるで鋭い刃が突き刺さったかのように。


 遠くで電車の発車のベルが鳴った。百合子の意識は深い闇に落ち、どこからか湿り気を帯びた森の香りが漂ってきた。



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