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第6話 恋の終わり

 月夜の晩以来、睡蓮の態度が豹変した。手習いの時間には、わざと木蓮の振袖に墨汁を落としたり、下男に頼んで母屋から木蓮の部屋に渡る廊下に泥を撒いたりした。侍女を脅して木蓮の味噌汁に虫やネズミを入れた。味噌汁にネズミを入れた侍女は、睡蓮の鋭い視線に震え、木蓮に謝ることもできなかった。


 百合子は小学生の時、クラスの女子に虐められた経験があった。(こんなもの、なんでもないわ!)睡蓮の分かりやすい虐めなど気にはならなかった。睡蓮にしてみれば、なにをしても平然と構える木蓮に腹が立った。


 そこで睡蓮は大野孝信の父親、村長に木蓮の”治癒の力”が使えないことを密かに伝えた。睡蓮は村長に密告する際、涙を浮かべながらも冷たく微笑んだ。睡蓮の冷たい微笑みには、天祥様の力を呼び覚ます古の儀式が浮かんでいた。木蓮を村から追放するには、それが必要だった。


「お義父様!木蓮はもう”治癒の力”を使うことが出来ません!」

「それは本当か!」

「先日、馬から落ちた時に・・・」


 村長は睡蓮の涙に心を動かされ、また木蓮の”治癒の力”の喪失が村の未来を脅かすと恐れた。息子の孝信からは、木蓮との婚約は破棄しないで欲しいと言われたが、”力”のない木蓮よりも睡蓮との結婚が望ましいと決断した。


「孝信、木蓮さんとの婚約はなかったことにしてくれ」

「嫌です!僕は木蓮さんと未来を誓い合ったんです!」


 村長は冷たく言い放った。


「同じ顔じゃないか、睡蓮さんでも良いだろう。睡蓮さんの”治癒の力”は、クスノキの森に潜む闇を封じるために必要だ。木蓮さんではそれができない」


 孝信はその言葉に激しい怒りを感じたが、振り上げた拳は父親を殴ることはなかった。孝信は父親を睨んだが、村長の跡継ぎとしての重圧に言葉を飲み込んだ。



リーリー リーリー


 新月の夜、孝信は木蓮を訪ねた。手には月見草を一輪持っていた。縁側で二人は虫の音を聞きながら月のない夜空を見上げていた。言葉はなかった。百合子は木蓮の悲しみを感じた。(睡蓮のせいでこんなことに!)と怒りが込み上げたが、木蓮の恋心に百合子の心は締め付けられた。


 薄暗闇は孝信の表情を隠した。どれだけ時間が経っただろうか、彼は無言で立ち上がると玉砂利の音を残して屋敷を後にした。木蓮は空を見上げたまま微動だにしなかった。やがて頬を熱いものが伝い、こぼれ落ちた。百合子は木蓮の恋の終わりを知り、深い悲しみに涙した。


 孝信が去った後、木蓮は新月の空に黒い翼の影を一瞬だけ見た気がした。天祥様が、彼女の運命を見ているようだった。

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