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第7話 結納の儀式

カコーン


 庭の月見草は小雨に濡れ、涙のような雫を落としていた。その日、睡蓮と孝信の結納の儀式が行われることとなった。当然、木蓮も同席するはずだったが、侍女の一人が急病で厨に入れず人手が足りなくなった。この急病も睡蓮が仕組んだことで、脅かされた侍女は厨の隅で震えていた。


 そこで急遽、木蓮が厨に入ることになった。振袖から簡素な着物に着替えたその姿は、普段の木蓮とは似ても似つかなかった。侍女の手解きを受けながら、たすき掛けをした木蓮は、茶碗に赤飯を盛り付けた。(こんなの朝飯前よ!)社畜の底力を発揮して、百合子は配膳を手際良くこなしていった。


「木蓮様にこんなことをさせるなんて、お館様はなにを考えていらっしゃるのでしょう」

「良いの、いいの。慣れてるから!」

「なれ・・・ていらっしゃる?」


 百合子は思わず地が出そうになり、慌てて口を噤んだ。百合子は自分が置かれた状況に甘んじたが、木蓮はその屈辱に心震わせた。その辛さが手に取るようにわかる百合子は思わず目を伏せた。


「木蓮さま、大丈夫ですか?お顔の色が優れませんが」

「少し、疲れたかもしれません」

「やはり、あのことが原因でしょうか?」


 侍女は木蓮にあたたかい緑茶を手渡しながら、彼女の顔を見た。


「あのこと?」


 木蓮が落馬した際、侍女は桶に水を汲み手拭いを準備していた。そこで睡蓮が木蓮の額に”治癒の力”を施している場面を目にした。ところがそれはいい加減なもので、光を一瞬当てただけだった。睡蓮と廊下ですれ違った侍女は、彼女の口元が歪んでいるのを見たと言った。


「それって、手を抜いたってこと?」

「分かりませんが、それで木蓮さまの”治癒の力”が消えてしまわれたのではないかと・・・・」


 百合子の奥深くで嘆き悲しむ木蓮がいた。もし、睡蓮が木蓮を陥れようとそのような行為に走っていたとしたら、(・・・・許せない!あのガキ!)百合子は手渡された湯呑み茶碗を手に、下駄を脱ぐと厨から座敷へと向かった。その足は渡り廊下を蹴り上げ、木蓮の顔は怒りで赤らんでいた。手に持った湯呑み茶碗の中で緑茶がチャプチャプと音を立てた。


「失礼します!」


 木蓮は仁王立ちのまま、虎の絵が描かれた襖を開けた。逆光に浮かび上がった目は鬼のように吊り上がり、唇を強く噛み締めていた。孝信は、見窄らしい着物をたすき掛けにした木蓮に驚き、思わず座布団から立ち上がった。


「木蓮さん、なんて格好をしているんですか」

「孝信さんは黙っていて下さい!」


 木蓮は低い声で一喝すると、睡蓮へと向き直った。睡蓮は木蓮の惨めな格好に優越感を感じ、扇子でほくそ笑みを隠した。木蓮は力強く畳を踏み締めると、睡蓮を見下ろしその顔に温くなった緑茶をぶちまけた。


「木蓮!なんてことを!」


 母親が慌てて立ちあがろうとすると、睡蓮は、お母様は黙っていて、とその動きを制した。睡蓮は扇子を閉じゆっくり立ち上がると、木蓮と同じ琥珀色の瞳で睨み合った。繊細な細工が施された光り輝くかんざしから水滴が滴り、睡蓮の豪華な振袖に緑茶のシミを作った。


「お姉様、とうとうおかしくなられたのね」


 睡蓮は顔を拭くこともなく木蓮を鼻で笑った。木蓮はきつく手を握ると、侍女から聞いた”治癒の力”について睡蓮を問いただした。


「あなたが”治癒の力”で私の傷を治していれば、私の”力”は消えなかった!」

「あら、ちゃんと治して差し上げたわよ?」

「適当にね!見た人がいるの。睡蓮はわざと私の怪我を治さなかった!」


 木蓮の言葉に、結納の儀式の場は騒然となった。睡蓮はチッ、と舌打ちをすると木蓮へと向き直った。


「だからなに?」

「睡蓮、やっぱりそうなのね」


 百合子の中の木蓮が悲痛な叫び声をあげた。もし”治癒の力”で傷が癒え、”力”が戻っていれば、結納の儀式でこの席に座っていたのは自分だった。


「”力”のないお姉様は、この村にはもう要らないのよ」

「そんな・・・要らないだなんて・・・」

「けれど、”力”の消えたお姉様でも役に立てることがあるんですって、ねぇお義父様?」


 睡蓮は村長を見下ろして、いやらしく微笑んだ。村長は気まずそうに目を逸らし、消えいるような声で木蓮の名前を口にした。木蓮さん・・・実は・・、木蓮は落馬した時よりも激しい衝撃を受けた。


 木蓮は、村長の言葉と、目を伏せたまま袴の裾を握る孝信を信じられないと見下ろした。彼女は、迎えに来ると約束した孝信の裏切りに、崖から突き落とされたような絶望を感じた。振り向くと、両親も表情をこわばらせ、無言で俯いているだけだった。


「私を・・・天祥様の・・嫁に?」


 ここの所、村では疫病が流行り作物も枯れ始めていた。村の住民たちは口を揃え、天祥様のお怒りに触れたのだと言った。村長は呟いた。クスノキの森の闇が疫病を呼び、作物を枯らす。天祥様の生贄がなければ、村は滅びる、と。


 そこで十七歳の生娘を生贄として差し出すことにした。その娘こそが”治癒の力”が乏しい睡蓮だった。睡蓮はそれを拒み、タイミングよく落馬した木蓮の”力”をこれ幸いにと封じた。これで天祥様への嫁入りを免れた。


「そうよ、お姉様は天祥様のお嫁様になるの。良かったわね」

「・・・・そんな!」


 睡蓮は髪を掻き上げると高らかに笑った。木蓮は天祥様の黒い翼を思い出し、(あの叫び声が私の運命を呼んでる?)と恐怖に震えた。クスノキの森の闇が、彼女を待っている気がした。木蓮は屋敷から飛び出し、(社畜の勘!睡蓮の言う古の儀式を暴くにはクスノキの森に行くしかない!)と恐怖を押し殺して森へ向かった。

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