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第2話 科学と魔法の交錯点



 薄暗い裏路地にひっそりと佇む古びた洋館。蔦に覆われ、廃墟寸前と見紛うばかりの外観とは裏腹に、そこはアメリア・フォン・アスタータの聖域――知的好奇心と創造性が凝縮された工房だった。一歩足を踏み入れれば、異様な金属音と薬品の匂いが鼻をつく。巨大な作業台には半完成品や部品が散乱し、壁にはびっしりと設計図が貼られ、天井からは試作段階の浮遊装置がぶら下がっている。魔法省支給の貴重な魔法触媒を平然と機械の燃料に使う彼女のせいで、当初ルナは工房に入るたびにむせていたものだ。


 アメリアの脳裏には、図書館で遭遇した奇妙な出来事――「光る眼」の残像と微弱な電磁波の痕跡が、繰り返し蘇っていた。ラフに一つに束ねられた金髪の下、琥珀色の瞳は探求心に満ち、キラキラと光を反射している。


 彼女は古地図と検出した電磁波の発生源を重ね合わせ、ある明確なパターンを見出した。それはまるで、不可視の存在が特定のルートを辿ったかのような軌跡だ。


「魔法ではない……しかし、不可視の存在がこれほどの痕跡を残すとは……魔力……そして電磁波……」


 アメリアの思考は、大胆な仮説へと辿り着く。もし、魔法使いが魔力を行使する際に生じるエネルギーが、未解明の「魔力電磁波」として物理空間に影響を与えているとしたら?だとすれば、あの「光る眼」も、通常の魔力とは異なる、特殊な魔力電磁波の顕現かもしれない。


「もし、魔力がある種の電磁波として検出できるのなら、あの『光る眼』も説明がつく……!」


 彼女の表情に、科学者特有の興奮が浮かび上がる。常識に囚われない発想こそが、アメリアの真骨頂だった。魔法の知識が一切ないからこそ、彼女は科学の視点から魔法を解体しようとする。


 その仮説を検証するため、アメリアは新たな装置の開発に着手することを決意した。その名も「魔力増幅電磁波発生器」。魔力を取り込み、増幅させて電磁波として出力する試作機だ。成功すれば、これまで不可視だった魔力の痕跡を、科学的に観測できるかもしれない。


 彼女は巨大な作業台に広げた設計図に、精密な線を引いていく。眉間に皺が寄り、集中力は極限に達している。工具を手に取り、各種の部品を組み合わせ始めるその姿は、まさに科学に憑かれた探求者そのものだった。その瞳は、新たな発見への期待に輝いている。


 アメリアの熱気に包まれた工房の片隅で、ルナ・シルバーンは困惑した表情で彼女の作業を見守っていた。肩にかかるくらいの茶色のくせ毛は、いつも少し内巻きにハネている。丸い童顔に、普段から困ったような表情を浮かべることが多い彼女だが、今は特にそれが顕著だった。


 アメリアの口から飛び出す「電磁波」「周波数」「量子力学」といった科学用語は、ルナにとってはまるで呪文のように難解で、頭を抱えてしまう。魔法学院でも落ちこぼれ扱いされてきたルナは、自分の魔法では、図書館の異常を何も感じ取れなかったことに改めて自信のなさを痛感する。


「私、本当に役に立てるのかな……」


 と、不安が胸をよぎる。しかし、アメリアの鋭い洞察力と、一度興味を持ったことには寝食を忘れて没頭する情熱的な姿には驚きを隠せない。アメリアの常識離れした行動に呆れることも多いが、彼女の天才的な閃きと、時折見せる意外な優しさに触れるうちにルナは次第に尊敬の念を抱くようになっていた。


「あ。ルナさん、ここの部品を締めてちょうだい。精度が重要だから慎重にね」


 アメリアの声に、ルナははっと我に返る。


「は、はい!」


 と元気よく返事をして、言われた通りに作業台に近づく。不器用ながらも、アメリアの指示に従って懸命に工具を握る。アメリアのような強烈な個性の持ち主のそばでは、いつも振り回されているルナだが、アナログな作業は意外にも得意だった。


 密かに、いつか誰かの役に立ちたいという強い願望を持つルナは、アメリアの助けとなることで、自分の存在価値を見出そうと献身的に協力しようと決意していた。


「あのアメリア様。私にできることなら、なんでも言ってください……!」


 と、控えめながらも意欲的に声をかけた。アメリアはそんなルナの真面目さに気づいているのかいないのか、夢中で作業を進めている。ルナは、アメリアが差し出す様々な部品を、言われるがままに組み立てていった。金属の部品がカチャカチャと音を立てる中、工房には独特の緊張感が漂っていた。



 その頃、魔法省の執務室では、エリート魔法探偵のセドリック・ノワールが苛立ちを募らせていた。セドリックは、図書館事件の報告書を再度読み返す。アメリアが提出した報告書には、彼の理解を超える「光る眼の残像」や「魔力とは異なる、何らかの異常なエネルギー波の痕跡」といった「科学」という概念が散りばめられていた。


「そんな非科学的な話、馬鹿げている!魔法こそが全てだ!」


 彼はアメリアの理論を一蹴する。彼女を「インチキ魔術師」と呼び、魔法での解決こそが唯一の道だと信じて疑わない。内心では、アメリアの常識外れの洞察力が、自身の魔法探偵としてのプライドを脅かす存在だと感じていた。


 セドリックは、自室の壁一面に貼り巡らせた魔法陣の解析に夜通し取り組んでいた。図書館に残された微細な魔力の痕跡から、侵入者の手掛かりを得ようとしていたのだ。しかし、彼の高度な魔法解析能力をもってしても、一向に手掛かりは得られない。あらゆる魔法パターンを照合し、逆算し、理論を構築するがどれもピタリとははまらなかった。


「くそ……何が足りないというのだ……!」


 焦りと苛立ちが、彼の涼やかな表情を覆い隠す。普段は冷静沈着なセドリックが、珍しく苛立ちを露わに机を叩いた。彼にとって、魔法で解決できない事件など存在しないはずだった。アメリアの「科学」など、彼の魔法の前に無力なはずなのだ。しかし、その自信は、今、微かに揺らぎ始めていた。



 アメリアの工房では「魔力増幅電磁波発生器」の試作が佳境に入っていた。完成したばかりの複雑な装置を前に、アメリアは目を輝かせている。


「ルナさん、準備はいい?魔力を流し込んでちょうだい。最初は控えめにね」


 ルナは緊張した面持ちで、恐る恐る装置に手をかざし、弱いながらも懸命に魔力を送り込む。彼女の身体から、微かに淡い光が装置へと吸い込まれていく。


 すると、装置のメーターがゆっくりと動き始めた。アメリアはデータを取りながら、微調整を続ける。


「うん、いいわ。もう少しだけ、出力を上げてみて」


「はっはい!」


 ルナは言われるがまま、さらに魔力を送り込む。メーターの針がぐっと上がり、装置から微かな振動が伝わってきた。その瞬間、アメリアの琥珀色の瞳が突然大きく見開かれた。


「きゃあっ!ルナさん、もう少し出力調整をっ……!」


 アメリアは悲鳴とも歓声ともつかない声を上げた。彼女が調整を誤り、装置から予期せぬほどの強力な電磁波が放出されてしまったのだ。


「ひゃんっ!?」


 ルナが小さな悲鳴を上げる。工房内の光景は、まるで奇妙なダンスホールのようだった。まず、作業台に散らばっていたスプーンやフォーク、ネジなどの金属製品が、ガタガタと音を立てながら一斉に宙に浮き始めた。それらは磁石に引き寄せられる砂鉄のように、不規則な軌道を描いてふわふわと工房内を漂い始める。中にはルナの頭にぶつかりそうになるネジもあり、ルナは「きゃあああ!」と再び悲鳴を上げて飛び跳ねる。


「あわわわわ……!」


 ルナは慌てて魔力を止めようとするが、装置の制御が効かなくなっている。魔力が流れ込み続ける装置は、金属製品をさらに激しく宙に舞い上がらせる。壁に貼られた設計図が風でバタバタと音を立て、天井からぶら下がっていた試作段階の浮遊装置もガタガタと揺れ始めた。


 最終的には、アメリアが愛用する、インク染みがついたコーヒーカップまでが、ゆっくりと宙に浮き上がり、そのままフヨフヨと工房内を漂い始める。アメリアは、フリル付きのブラウスの白衣を汚すのも気にせず、飛び回るネジやスプーンをひょいひょいと避けながらどこか楽しそうに目を輝かせている。


「むむむ。これは面白いデータが取れそうね!ルナさん、もう少しだけ我慢して!」


「む、無理ですぅううう!助けてくださぁい!」


 ルナの叫び声が工房に響き渡り、大騒動に発展した。しばらくして、アメリアがなんとか装置の出力を安定させると、宙に舞っていた金属製品はカチャカチャと音を立てて落下し、工房は再び元の混沌とした静けさを取り戻した。ルナは床にへたり込み、息を荒げている。


「もう……心臓が止まるかと思いました……」


「大袈裟ねルナさんは」


 アメリアはそんなルナを気にする様子もなく、興奮した面持ちで装置から出力されたデータを熱心に解析している。


「なるほど……やっぱり魔力と電磁波には密接な関係がある……この仮説は、どうやら間違っていなかったわ!」


 彼女の瞳は、新たな発見の確信に満ちていた。


 夜が明け、エルドリアの空には朝焼けが広がり始めていた。アメリアの工房には、未だコーヒーの匂いと、微かな機械油の香りが混じり合っている。アメリアは徹夜で解析を続け、興奮した面持ちでルナにデータを示す。


「ルナさん、見て!」


「ふぇ?」


「これよ!やっぱり、魔力は電磁波として観測できるわ!」


 ルナは目を擦りながら飛び起きた。アメリアが示す解析データには、魔力の増減と電磁波の波形が明確に連動していることが示されていた。


「これがあれば、不可視の魔力反応を可視化できるかもしれない。図書館の『光る眼』の正体も、きっと……!」


 アメリアの瞳は新たな発見の可能性に輝いている。彼女にとって、この発見は、閉ざされていた魔法の世界に科学のメスを入れる、まさに「扉を開く」瞬間だった。


 科学と魔法。相容れないはずの二つの領域が、今、エルドリアの裏路地にひっそり佇む洋館の工房で密かに繋がり始めていた。

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