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第8話 闇猫からの挑戦状、再び


 エルドリアの夜は、いつもより長く重く感じられた。「忘れられた劇場」での一件から数日が経ち、魔法都市は再び日常を取り戻しつつあった。魔法省の警備も強化され、市民の間にはわずかながら安堵の空気が漂い始めていた。アメリアの工房では、ルナが実験の補助をするなど、穏やかな時間が流れていた。



 しかし、その平穏は長くは続かなかった。



 その日の午後、魔法省から緊急の報が街中に響き渡る。新たな予告状の出現したのだ。魔法省の巨大な掲示板に、再び漆黒の便箋が張り出された。そこには、前回と同じく「闇猫のオペラ」の名が記されている。


 今度の標的は、魔法都市エルドリアの象徴であり、街のあらゆる時間を司るランドマークである「大時計台」。便箋には、挑発的で謎めいた言葉が添えられていた。


『時を刻む歯車が止まる時、真の夜が訪れる』


 そして、便箋の隅には、アメリアが羅針盤から検出したものと全く同じ「奇妙な紋様」の一部が鮮明に印刷されていた。誰もがその便箋に怯えていると、エルドリアの大時計台から、異様な音が響き渡り始めた。巨大な歯車が不規則に軋み、時を刻む音は完全に乱れてしまった。秒針が突然飛んだり、分針が急に進んだり、あるいは信じられないことに逆戻りしたりと、時間の進みが狂う現象が発生する。


 街全体が混乱に陥った。市民は自分の持つ携帯時計や、街の小さな時計台を確認するが、全てがバラバラの時間を指し示している。時間感覚がおかしくなり、人々は奇妙な疲労感や倦怠感に襲われ始めた。まるで、時間が彼らの生命力そのものを吸い取っているかのようだ。「今何時だ?」「私の時計がおかしいのか?」「頭がぼーっとする…」といった不安の声が街中に響き渡る。


 魔法省でも、ガウス警部とセドリックは、大時計台の異常に即座に反応した。魔法使いを派遣して魔力の波動を調べさせるが原因は全く特定できない。時間の流れそのものが歪んでいるかのような現象に魔法使いの常識は通用しなかった


「これは一体どういうことだ!?いかなる魔法をもってしても、時間の流れをこれほどまでに歪めるなど!」


 セドリックは苛立ちを隠せない。彼の完璧なはずの「幻影追跡の魔法」をもってしても、この現象を理解できないことに焦りを覚える。魔法使いとしての彼のプライドが、目の前の未知の事態によって、再び揺さぶられていた。


 アメリアの工房では、『音波逆探知機』やその他の装置が、大時計台から発せられる異常な電磁波と音波を検出していた。それは単なる魔力の乱れではない、極めて複雑な波動だった。


「オペラは、時間に関する魔導具である羅針盤と、この大時計台の異常な現象を関連付けているようね。彼女が、時間そのものに何かを訴えようとしている……あるいは、時間に関する『何か』を企んでいる……」


 アメリアはモニターを見つめながら、真剣な表情で呟いた。彼女の思考は既に、オペラの真の意図へと深く潜り込んでいる。

 彼女は、羅針盤の紋様が大時計台の異常を引き起こしている重要な要素であり、すべてがオペラの壮大な計画の一環であると確信を深める。


「羅針盤の紋様と、この大時計台の異常……全てが繋がっているはずよ!」


 その時、魔法省からアメリアの工房へ緊急の通信が入った。通信の向こうからは、セドリックの困惑と、わずかながらも藁にもすがるような声が聞こえてくる。


「はい。アメリアです」


 《……アメリア殿、大時計台の時間が異常をきたしているのは知っているか?》


「ええ。今こちらの測定器にも反応があったわ」


 《……我々の魔法では、原因特定も対処も困難らしい。貴女の科学の知識が……どうしても必要となる……》


 彼の口調には、まだ科学への不信感が残っているものの、アメリアの科学的アプローチの有効性を認めざるを得ない状況に、内心の葛藤が見て取れる。


 アメリアは、この異常現象の原因を突き止めるため、暴走する大時計台の巨大な魔導具から直接データを収集する必要があると判断した。しかし、大時計台の内部は高く危険な場所であった。


「ルナさん、この『データ収集装置』を、大時計台の最も高い場所にある歯車の近くに設置してきてほしいのよ。この装置は、時間と電磁波の歪みを高精度で計測できるわ」


「えぇ……私ですか?そんな危険なこと……」


「私はここでデータを一早く解析しないとならないわ」


 アメリアは小型の精密な装置をルナに手渡す。その装置からは、微かに淡い光が放たれている。ルナはそのひんやりとした金属の感触が、手のひらから全身に不安を伝えてくるようだった。


「ルナさん。危険なことだとは私も理解しているわ。でも今それができるのはあなただけ。期待してるわ」


 高所への恐怖が、胃の奥から込み上げてくる。大時計台の途方もない高さを想像しただけで、足がすくみそうになった。けれど、同時に、アメリアの真剣な眼差し、そして、時計の狂いで疲弊し、困惑する街の人々の顔が脳裏に浮かんだ。


 自分にできることは少ないけれど、今、アメリアが自分を必要としてくれている。その信頼がルナの臆病な心を奮い立たせた。


「分かりましたアメリア様!私、やります!」


 震える声だったが、その瞳には確かに決意の光が宿っていた。

 ルナは小型の『データ収集装置』を手に、大時計台へ向かった。街はパニック状態だが、ガウス警部とセドリック、そして警備兵たちが最低限の安全を確保する。


「ここを登るんだよね……」


 ルナは、崩れかけた足場や軋む金属の階段を果敢にも登っていく。一歩踏み出すたびに、古い鉄骨が軋み、足元が不安定に揺れる。心臓が激しく鼓動し呼吸が乱れる。風が吹き荒れ、体が何度も押し戻されそうになる。


 それでも、彼女はアメリアの言葉を思い出した。


「期待してるわ」


 その言葉が、彼女の足を前へ前へと進ませた。ようやく、高所に設置された巨大な魔導具の近くまで辿り着いた。目的の場所は、今にも崩れ落ちそうな足場の先にある。ルナは、震える手で、しかし正確な手つきで小さな装置を魔導具にしっかりと設置した。


 装置からはデータの収集を示す、かすかな電子音が聞こえる。ルナは、装置が正常に稼働していることを確認し、ホッと息をついた。安堵と達成感が疲労困憊の体にしみわたる。




 アメリアは、工房のモニター越しにルナの作業をリアルタイムで見守っていた。その勇気ある行動と、寸分の狂いもない正確な作業に彼女の成長を実感する。


「ルナさん、立派よ!」


 アメリアはモニターに向かって、静かに確かな喜びと信頼を込めて呟いた。その言葉には、これまでルナをただの助手として見ていたアメリアの温かい感情が込められていた。



 その頃、魔法都市から遠く離れた隠れ家で、闇猫のオペラは、魔法都市を映し出す巨大なモニターを眺めていた。大時計台の異常と、それによって引き起こされる街の混乱、そしてルナが危険な作業を遂行する様子を、すべて彼女は把握している。その顔には微かな笑みが浮かんでいる。


「さあ、この世界は、いつまで目を閉ざしていられるかしら……」


 彼女は、この「時間の歪み」を通して、単なる混乱を引き起こすだけでなく、魔法社会全体に「真実」への問いかけを行っているかのよう。それは、人類がこれまで目を背けてきた、あるいは気づかなかった、世界の根本的な歪みを突きつける試みなのかもしれない。


 オペラの工房では、盗まれた「古い羅針盤」が神秘的な光を放ち、その光が新たな大規模な装置の中央へと収束していく。装置は完成に近づいており、その複雑な機構からは、ただならぬ魔力と電磁波が放出されている。


「時が満ちれば、全てが明らかになる。この世界に、新たな夜を……」


 オペラは羅針盤を優しく撫でながら、冷たくも決意に満ちた声で呟いた。彼女の言葉は、単なる暗闇ではなく、既存の秩序が崩壊し、新しい何かが生まれる予兆のようにも聞こえる。彼女の瞳は、確かにその先の未来を見据えていた。

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