エルドリアの街は大時計台からの異様な音が街全体に響き渡り、時間の狂いに伴う混乱は最高潮に達していた。人々は疲弊し、不安と苛立ちが募る。
魔法省の警備兵がパニックを防ごうと奔走しているが、時間の歪みは彼らの感覚すら狂わせ、統制が取れなくなりつつあった。街のあちこちで、時間が正確に刻まれなくなったことで、商店は閉まり、通勤する人々は立ち往生し、まさに機能不全に陥っていた。
アメリアの工房では、ルナが危険を顧みず回収した『データ収集装置』のデータが、高速で解析されていた。モニターには、大時計台から発せられる電磁波の波形が鮮明に表示されている。その周波数が、羅針盤の紋様が光る周波数と完全に一致することを確認し、アメリアは小さく息を呑んだ。オペラの狙いは、羅針盤の紋様から発せられる「時間操作の力」を試すことだと確信したからだ。
「これだわ!やはり、オペラは大時計台の時間を、あの羅針盤の紋様から読み取った周波数で歪めているのよ!まさか、こんな形で羅針盤の力が使われるとは……」
アメリアの顔に、驚きと、そして確かな理解の色が浮かんだ。彼女の脳裏に、先日喫茶店「時の砂時計」でエレノアから聞いた「古き封印」と「封印の番人」という言葉がよぎる。この紋様は、その「封印」とどう関係しているのだろうか。
アメリアは即座に魔法省のセドリックに連絡を取る。通信回線も時間の歪みで不安定だが、アメリアの緊急性がなんとか伝わった。
「もしもしアメリアよ」
《アメリア殿、街の状況はさらに悪化している。街の機能が麻痺寸前だ。一体、何が起こっているんだ!?説明しろ!》
セドリックの声は、焦りと戸惑いを色濃く滲ませていた。彼の普段の冷静さは、もはや見る影もない。
「データは取れたわ!オペラは羅針盤の紋様と同じ周波数の電磁波を使って、大時計台を狂わせているわ。まだ止められるはず!ガウス警部と共に、すぐに大時計台へ急行して!」
アメリアは、簡潔かつ的確に状況を伝えた。セドリックは、科学の力で原因が特定されたことに驚きを隠せない。彼の魔法では全く歯が立たなかった現象の原因が、アメリアの解析によって明らかになったのだ。
状況の深刻さに背に腹は代えられない。彼の表情には、これまでのアメリアに対する不信感と、一刻も早く事態を収拾したいという魔法使いとしての使命感との間の、激しい葛藤が見て取れる。しかし、彼の長年の経験が、今はアメリアの指示に従うべきだと告げていた。
《分かった、今すぐ大時計台に向かう!》
「私たちもすぐに向かうわ」
アメリア、ルナ、ガウス警部、セドリック、そして数名の精鋭警備兵が一刻を争う面持ちで大時計台へと向かった。道中、狂った時間の中でうろたえる市民の姿を目にする。顔には疲労が色濃く、目には不安が宿っていた。ルナは、そんな市民の姿を目にし、改めて自分の役割の重要性を痛感する。
大時計台に到着すると、重厚な扉はすでに破壊されていた。おそらく、オペラが侵入する際に壊されたのだろう。警備兵が先導し、内部へ突入する。内部は薄暗く、巨大な歯車が不規則に、しかし確実に狂った音を立てて回っていた。その軋む音は、まるで悲鳴のようだ。空間全体を歪ませるような、耳障りな低音が響き渡っており、その音が人々の平衡感覚を狂わせ、頭痛を誘発する。
アメリアは『電磁波探知機』で音源を探り、大時計台の心臓部近くに、設置されたばかりの「特定の電磁波発生装置」を発見する。
「ん?これは……」
「アメリア様!見てくださいこの紋様!」
それは、羅針盤の紋様が刻まれた金属片が埋め込まれた、小型ながらも禍々しいオーラを放つ装置だった。その装置からは、大時計台の歯車を狂わせるための強力な電磁波が放出されていた。
「これだわ!この装置が、時間の流れを歪めている元凶よ!」
アメリアの声が、狂った歯車の音に掻き消されそうになる。その直後、装置の背後、影が濃い場所から、まるで霧が凝縮されるようにオペラの幻影が姿を現した。
それは、前回よりもさらに鮮明で、まるで実体があるかのように見える。彼女のローブは闇に溶け込み、瞳だけが妖しく輝いていた。
「ようこそ、愚かなる探求者たちよ。私の実験の成果を、その目でご覧あれ」
オペラの幻影の声が、空間全体に響き渡る。その声には、冷笑と知的な挑戦の響きが混じり合っている。
「逃がさんぞ怪盗オペラ!」
セドリックは、オペラの「幻影」を追跡し、彼女の動きを封じようと猛攻を仕掛けた。彼は『幻影追跡の魔法』を最大限に活用し、幻影の動きを寸分違わず追う。彼の指先から放たれる魔法弾や拘束の魔法が、オペラの幻影を狙う。
しかし、オペラの光学迷彩は彼の予想以上に高度で、セドリックは苦戦を強いられる。彼の魔法は幻影を掴むことができず、物理的な攻撃もすり抜けてしまう。
「くそっ、なぜ捉えられない!?これほど強力な魔力痕跡があるはずなのに…!一体、どうなっているんだ!」
セドリックは苛立ちと焦りから、ついには歯噛みする。彼の額には、悔しさで汗が滲んでいる。ガウス警部や警備兵たちも、幻影に翻弄され、手が出せない。オペラの幻影は、まるで彼らの焦りを楽しむかのように、軽やかに動き回っていた。
アメリアは、電磁波発生装置から放出される電磁波の周波数を即座に解析する。その結果は、彼女の予想通り、羅針盤の紋様が光る周波数と完全に一致することを発見した。彼女は、これが単なる羅針盤の模倣ではないこと、そしてオペラがその真の力を引き出そうとしていることを悟る。
「やはり!この周波数は羅針盤の紋様と同じ……オペラは、時間を操る力を試しているんだわ!そして、その力を私に示唆している!私に……この世界の『時間』の仕組みを問いかけているんだわ!」
アメリアの瞳は、オペラの真の狙いを理解したことで、さらに鋭さを増していた。彼女の言葉は、ルナやガウス警部にも、オペラの意図の一端を伝えた。オペラの幻影は、セドリックの攻撃を軽やかにかわしながら、アメリアたちに向かって挑発的な言葉を告げる。
「ふふ。この世界は、時間という見えない鎖に縛られすぎている。そしてその鎖は、真実を隠すために使われている……あなたたち魔法使いはその鎖の存在にすら気づかない」
冷徹な声が、薄暗い時計台に響き渡る。それは、まるで魔法社会の根幹を揺るがすような響きを持つ。魔法では解き明かせないより根源的な問いかけだった。オペラの瞳が、一瞬だけアメリアの瞳と交錯したように見えた。
「!?」
そしてそれと同時にアメリアに何かを投げ、オペラの幻影は、薄れて完全に姿を消した。セドリックは、悔しそうに拳を握りしめるがもはや後の祭りだ。オペラがアメリアに投げ渡したものは何かの「奇妙な歯車」だった。
その歯車は、大時計台の巨大な歯車とは明らかに異なる、古めかしい様式をしており、どこか神秘的な輝きを放っている。中央には羅針盤の紋様と酷似した意匠が施されている。
「この歯車は……?大時計台のものとは明らかに様式が違うわね……もっと古い時代の、別の文明のもののよう……」
アメリアは歯車を見つめながら、興味と警戒の入り混じった表情で呟いた。彼女は、残された歯車が新たな謎を提示していることを悟る。ルナも不安げにアメリアの顔を見上げる。ガウス警部も首を傾げ、セドリックは苛立ちながらも歯車に視線を落とした。オペラの仕掛けた次の謎が、すでに彼らの目の前に置かれていることを全員が理解した瞬間だった。
魔法都市から遠く離れた隠れ家で、闇猫のオペラは、魔法都市を映し出す巨大なモニターを眺めていた。大時計台での「実験」が成功したことを確認し、満足げに微笑む。
「さあ、この世界は、いつまで目を閉ざしていられるかしら……愚かな魔法使いたちよ、この『時間の歪み』が、お前たちの目を覚ますきっかけとなるか、それとも……」
彼女にとって、アメリアはその「真実」に到達するための、唯一の協力者であり、ライバルでもあった。
「時が満ちれば、全てが明らかになる。さぁ……次の謎を解いてちょうだい、アメリア嬢。この世界に、新たな夜を……」
彼女の瞳はその先の未来、そしてアメリアとの次の対決を見据えていた。