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第11話 影と思惑



 喫茶店「時の砂時計」の窓から差し込む午後の光は、カウンターに立つクレアの白いエプロンに、柔らかく影を落としていた。いつものようにアイスコーヒーを運ぶトレイを片手に、クレアはアメリアとルナが座るテーブルへと向かう。彼女の表情は、どこまでも穏やかで、親しみやすい店の従業員そのものだった。しかし、その瞳の奥では、全く別の壮大な思惑が静かに渦巻いていた。


「あら?アメリアさん。その歯車、とても珍しい形をしていますね?なんか、この前話していた禁書?の紋様に似てますね!」


 表面上は好奇心を装いながら、クレアは歯車を手に取った。彼女の指先が、歯車の表面に彫り込まれた羅針盤の紋様をそっと撫でる。彼女の脳裏には、魔法図書館の禁書に記された「時間の番人」たちの智慧と、彼女自身の「計画」の全貌が鮮明に浮かび上がっていた。


 アメリアの簡潔な説明を聞きながら、クレアは内心で評価を下していた。アメリアは、この歯車がただの盗品ではなく、時間に関する魔導具であることを見抜いている。そして、それを羅針盤と関連付けている。その洞察力は、自分の予想を裏切らないものだった。


「なるほど……この金属の組成、そしてこの紋様……確かに、エルドリアの現行の魔導技術とは全く異なる様式ですね。特に、この歯車の歯の形状……通常の歯車のように等間隔ではない。これは、特定の魔力や電磁波の波長に合わせて、微細な『時間の摩擦』を生み出すための構造に見えますね?」


 あえて技術的な質問を重ねた。アメリアがどれほどの知識を持ち、どれほど深く思考しているのかを測るためだ。アメリアの驚きに満ちた表情を見て、クレアは満足げに微笑んだ。彼女は、アメリアが単なる「科学者」の枠に収まらない、既成概念に囚われない自由な発想を持つ者であることを確信した。


 やはり、彼女は私の期待通りね。この世界の「時間」という見えない鎖を解き放つために、彼女の科学が必要となる……


 クレアは歯車をアメリアに返すと、再び穏やかな笑顔を見せた。


「これは、とても興味深いものです。アメリアさんがこれをどう解き明かすのか、私も楽しみです!」


 それは、単なる挨拶ではない。自分からの、次の謎への誘いでありアメリアへの挑戦状だった。


 喫茶店でのアメリアとの会話を終え、バックヤードへと向かった。途端に、彼女の表情から、喫茶店の従業員としての柔和な笑顔が消え失せる。その瞳は、深淵を覗き込むように冷たく、鋭い光を宿していた。彼女の真の姿――闇猫のオペラが完全に表に出てきた。


「クレア」


「……なぜ、私を庇ったんですかエレノア様。アメリアは間違いなく私を疑っていた」


「……私は、自分の使命を全うするだけですから」


「そうですか。では、失礼致します」


 彼女の隠れ家は、魔法都市エルドリアから遠く離れた森の奥深くに存在していた。そこは、地下に広がる巨大な空間で、無数の機械部品や魔導具が所狭しと並べられている。大時計台の事件で使われた小型の「電磁波発生装置」も、すでに回収され、整備を受けている。


 オペラは、中央に設置された巨大なモニターの前に立つ。モニターには、大時計台の内部構造と、そこから得られた詳細な時間データの解析結果が映し出されている。大時計台での「実験」は、完璧な成功だった。彼女の仕掛けた小型電磁波発生装置から放たれる電磁波が、大時計台の主要な歯車に作用し、時間の流れを意図的に歪めることができることを証明したのだ。


「ふふ。愚かな魔法使いたちよ。未だに、この世界の『時間』の仕組みが、魔法によって制御されていると信じ込んでいるのかしら……」


 唇から、冷笑が漏れる。魔法省の魔法使いたちは、時間の狂いを「魔力の乱れ」としか認識していなかった。しかし、オペラは知っている。


 この世界の時間は、目に見えない、しかし極めて物理的な「鎖」によって縛られていることを。


 そして、その鎖を操ることで、世界の「真実」を隠蔽してきた者たちがいることを。


 彼女の計画は、単なる盗みではない。それは、この世界の根源的な欺瞞を暴き、時間の鎖を断ち切り、新たな「夜」つまり新たな秩序をもたらすための壮大なプロジェクトだった。


 オペラは、羅針盤が置かれた台座へと向かった。羅針盤は、彼女の意図を汲むかのように、微かに神秘的な光を放っている。この羅針盤こそが、彼女が探し求めていた「時間」を操る鍵だった。そして、今回大時計台に残してきた「奇妙な歯車」は、その羅針盤の力を引き出し、増幅させるための重要なコンポーネント。


「アメリア嬢……あなたの科学的洞察力は、実に素晴らしいわ。私が仕掛けた謎をここまで正確に読み解くとは」


 オペラの瞳には、アメリアへの評価と、深い期待が宿っていた。彼女は、アメリアが自身の「計画」の重要な鍵となると確信している。


 魔法という既成概念に囚われず、純粋に「真実」を探求するアメリアの科学的アプローチこそが、この世界の隠された秘密を暴くために不可欠だとオペラは考えていた。


 彼女は、わざと羅針盤の欠片を落とした。それは、アメリアに羅針盤の欠片を解析させ、その奥に隠された「紋様」の意味、そして「時間」の秘密に気づかせるためだった。そして、大時計台に残した「奇妙な歯車」もまた、アメリアに次の謎を解かせるための重要な手がかりとなることを意図していた。


「さあ、次の謎を解いてちょうだい、アメリア嬢。あなたは、この世界の時間の鎖を断ち切るための、私の唯一の協力者……そして、最高のライバルなのだから」


 オペラは、羅針盤の紋様から読み取ったデータをもとに、新たな装置の調整を始めた。その装置は、羅針盤の力を利用し、時間そのものに作用する、これまでのものよりもはるかに複雑で大規模なシステムだった。彼女の計画は、着実に最終段階へと進もうとしていた。


 この世界の「真実」とは何か?


「時間という見えない鎖」とは、一体何を指すのか?


 そして、オペラの目的とする「真の夜」とは、一体どのようなものなのか?


 オペラの冷たい瞳は、それら全てを見据えていた。彼女は、アメリアが自身の仕掛けたパズルを解き明かし、やがて「真実」へと到達することを、心待ちにしていた。そしてその時、魔法と科学、そして古の歴史が交錯する、壮大な物語の最終章が幕を開けることも予感していた。

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