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第16話 過去の真実とスケープゴート



 工房に戻ったアメリアは休むことなく、結晶体の解析を始めるために準備をする。回収された結晶体は特別製の耐魔力ガラスケースに厳重に収められ、中央の作業台に置かれた。ルナは、その透明なケース越しに結晶体を不安げに見つめていた。セドリックとガウス警部は何も語らず、ただ解析を待った。


「アメリア様、本当に大丈夫なんですか?」


「さぁ?でも、こういう物はいつでも危険が付きものよ?そんなことに脅えていたら何も出来ないわよルナさん」


 アメリアはルナを安心させるように微笑み、解析準備に取り掛かる。彼女は最新の魔力波動解析装置を接続し、結晶体から情報を引き出そうと試みる。


 しかし、結晶体から読み取れるデータは、予想以上に断片的だった。映像は砂嵐の混じった古いテレビ画面のように途切れ途切れで、音声はまるで水中に沈んだような不明瞭さ。意味のある情報を抽出することは極めて困難だった。


「これでは、情報が繋がらない……何かが足りない。まるで、バラバラの夢の断片を見ているようだわ。もっと鮮明に、記憶を再生させる方法はないかしら……」


 アメリアの額には汗が滲み、集中しすぎて目がかすみ始めていた。ルナは、そんなアメリアの姿を見て、自身の無力さに打ちひしがれていた。セドリックのような強力な魔力も、アメリアのような知性も持たない自分は、一体何ができるのだろう。悔しさと、僅かな劣等感が彼女の胸を締め付けていた。


 解析作業が暗礁に乗り上げる中、アメリアはふと、隣で不安そうに立ち尽くすルナの存在に目を留めた。これまでも、自分の装置を動かすためのルナの魔力は、派手さはないものの、常に微弱で、そして極めて安定していた。


(もしかして……この結晶体の記憶の波長は、あまりにも繊細で、強力な魔力ではかえって情報を破壊してしまうんじゃないかしら?ルナさんの微細で安定した魔力こそが、このデリケートな記憶を読み解く鍵になるのでは……!)


 アメリアの目が輝いた。彼女はルナにその可能性を説明した。


「ルナさん。あなたの魔力は、そこにいるセドリック探偵のような強大なものではないわ。けど、その微弱さと安定性こそが、この結晶体の繊細な記憶の波長に最も適している可能性があるわ。魔力を、この結晶体にゆっくりと流し込んでもらえる?針で糸を紡ぐように、そっと……」


 突然の依頼に、ルナは驚きを隠せない。


「わっ私にそんなことができるのでしょうか……?私の魔力は、いつも役立たずで……足手まといで……」


 しかし、アメリアの真剣な眼差しに、ルナは意を決する。失敗してもアメリア様が傍にいてくれる。そう信じてルナは深呼吸をした。


 ルナはゆっくりと、震える手を結晶体に近づけた。彼女の意識は、自身の魔力へと集中していく。体内の魔力が、指先から細い光の糸となって紡ぎ出され、結晶体へと流れ込んでいく。


 まるで、水面にそっと絵の具を一滴落とすように、静かに。しかし確実に。


 すると、信じられない現象が起こる。結晶体から放たれる光が、ルナの魔力と共鳴するように一際強く輝き始めたのだ。


 そして、解析装置のモニターに映し出される映像が、劇的に変化した。これまで砂嵐だった映像は、クリアな色彩と輪郭を取り戻し音声も明瞭になっていく。


「映ったぞ!」


「ルナさん。もう少し頑張って」


「はっはい!」


 ルナの魔力は、まるで繊細な針のように、絡み合った記憶の糸を解きほぐし、紡ぎ出していく。彼女の集中力は極限に達し、額には汗が玉のようになっているが、その瞳は、これまで見たことのないほどの強い光を宿していた。


 そして再生された映像は、工房の空気を凍り付かせた。


 最初に映し出されたのは、無邪気に笑う幼い少女の姿だった。花畑で駆け回り、両親に抱きかかえられて幸せそうに微笑む。その少女こそオペラの幼少期だった。


 しかし、次の瞬間、映像は一変する。


 突然、空が裂け、空間に禍々しい亀裂が走った。そこから異様な光が漏れ出し不気味な唸り声が響き渡る。それは、アメリアが危険性を予見していた「異界の扉」が、一時的に開いた瞬間だった。


 オペラの家族は、その亀裂から吹き荒れる嵐のような力に巻き込まれ、瞬く間に消え去った。幼いオペラは、ただ一人その場に取り残され、消えゆく家族に向かって、声にならない悲痛な叫びを上げている。その絶望的な表情は、見る者の胸を締め付けた。


 さらに衝撃的だったのは、その事故の直後の情景だった。


 突如として現れた魔法省の高官たちが、事故現場を瞬く間に封鎖していく。彼らは、空間に残された微かな歪みや、異界の扉の痕跡を徹底的に隠蔽していく様子が映し出された。犠牲者の捜索よりも、真実の隠蔽を優先するかのように。魔法省の、冷酷で組織的な対応に、アメリアとルナは息をのんだ。


 映像が終わると、工房には重苦しい沈黙が訪れた。ルナは泣き崩れ、ガウス警部とセドリックは、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼らがこれまで信じてきた「正義」や「魔法社会の秩序」が、音を立てて崩れ去る瞬間だった。


「まさか……そんなことが……」


 ガウス警部の声は震えていた。セドリックは言葉を失い、青ざめた顔で一点を見つめていた。彼の表情には、深い苦悩と、これまでの自分への疑念が渦巻いていた。


「……これが、魔法省が隠蔽してきた真実なのね」


 セドリックは未だ放心したように一点を見つめている。ルナのすすり泣く声だけが、重い沈黙を破っていた。アメリアは解析を終えたばかりの結晶体を見つめ、静かに言葉を続けた。


「魔法省は、この『異界の扉』の存在を公にすれば、市民がパニックに陥り、社会が崩壊すると思ったんでしょうね。だからこそ『世界の安全と秩序を守る』という大義名分のもと、扉の存在とその危険性を徹底的に隠蔽した」


 彼女の言葉には、魔法省に対する深い失望と、冷徹な分析が混じり合っていた。


「しかし、その根底にあるのは、自分たちの無力さへの恐れと、真実を直視できない弱さ。魔法省は、この世界の『唯一無二の真理』は魔法であると信じ、その権威によって社会を統治してきた。でも、この『異界の扉』が、これまで知っていた魔法では制御できない、科学的な現象と密接に関わっていることが露呈すれば……」


 そして悟った。ずっと不思議だった。アメリアは、自身が厄介者とされながらも、わざわざ助手まで派遣されている理由を。表向きは元貴族令嬢という立場のため、完全に追放できないという建前と何か面倒なことを起こさないかの監視。しかし、その真の理由は、科学的な事象や大きな事件が起きた際に、その責任や原因を擦り付けるため。つまりスケープゴート。アメリアは言葉を選びながら、ゆっくりと続けた。


「……彼らの信じる魔法の絶対的な優位性が揺らぎ、その権威は失墜する。さらに、もしこの『異界の扉』が、私たちを構成する魔力の根源とも無関係ではないと示唆されれば、これまで信じられてきた魔力の絶対性や、魔法使いの血統の価値そのものが揺らぐ可能性がある。それは、魔法貴族を中核とする魔法社会の秩序を、根本から覆す脅威となるでしょうね」


 アメリアの言葉は、魔法省の隠蔽体質の深層にある、根源的な恐怖と傲慢さを抉り出した。ガウス警部は、これまで自身が属してきた組織の暗部に直面し、苦悶の表情を浮かべる。セドリックは、まるで自分自身がその隠蔽に加担してきたかのように、深く打ちひしがれていた。


 重い沈黙の中、アメリアはゆっくりと顔を上げた。彼女の目には、悲しみと怒り、そして新たな理解の光が宿っていた。


(オペラは……復讐のために、あんなにも危険な計画を進めていたわけではなかった。彼女は、この隠蔽された真実を、私たちに、そして世界に知らしめようとしていた。この悲劇を二度と繰り返させないために……!)


 アメリアの脳裏に、オペラの最後の言葉が蘇った。「真実は、いつか必ず明らかになる」。彼女の行動は、決して無軌道なものではなく、真実を求める叫びだったのだと、アメリアは確信する。


「オペラは……私たちに真実を伝えようとしていた。この悲劇を二度と繰り返させないために。彼女は、秩序を乱す狂人なんかじゃない……目的は違えど私と同じ、ただ真実を求める者だったのね」


 ルナは顔を上げ、アメリアの言葉に深く頷いた。ガウス警部も、固く拳を握りしめ、その言葉に同意を示す。セドリックは震える声でついに口を開いた。


「……アメリア殿の言われる通りだ。魔法省は魔法の絶対性を守るために、あらゆる真実をねじ曲げてきた。私も、その『大義名分』という名の欺瞞に、これまで気づかずにいた……」


 彼の声には、自責の念と深い絶望が滲んでいた。しかし、その瞳には新たな光が宿り始めていた。


「しかし、もう目を背けるわけにはいかない。この結晶体が示した真実は、私たち魔法使いが、これまでいかに傲慢で、閉鎖的であったかを痛感させられた。そして……科学の力が、いかにこの世界に必要なものか思い知らされたのだ」


 セドリックはアメリアに向き直り、その表情には強い決意が満ちていた。


「我々は、魔法の力だけでこの脅威に立ち向かえると思い込んでいた。だが、それは間違いだった。この『異界の扉』が示す現象は、我々の理解を超えている。それこそが、貴女の……科学の領域なんだ。魔法の絶対性に固執しすぎていた」


 ガウス警部もまた、深く頷いた。


「私もだ、セドリック君。今まで、魔法省の決定に疑問を抱くことすら許されなかった。だが、オペラの悲劇、そしてこの真実を知ってしまった以上、もう以前のようにはいられない。たとえそれが、魔法省の権威を失墜させることになろうとも、真実を公にし、本当の意味で市民の安全を守るべきだ」


 ルナは、二人の言葉を聞きながら、アメリアの背中にそっと触れた。微弱な魔力しか持たない自分でも、この真実を明らかにする一助となれたこと、そしてアメリアの傍で新しい世界へと踏み出すことができることに、静かな喜びを感じていた。


 そしてその真実が示したのは、アメリアたちの前に立ちはだかるの強大な魔法省という組織の壁。そして未だ全容が掴めない『異界の扉』の脅威。それは、旧態依然とした社会構造を変革し、真の正義を追求する、長く困難な戦いの始まりを告げていた。

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