オペラと対峙してから一週間。奇妙なほど穏やかな日々が続いていた。魔法省の厳重な警戒態勢も功を奏し、新たな事件は発生していない。しかし、その静寂は、まるで嵐の前の凪のように不気味で、アメリアの胸には常に不穏な予感がくすぶっていた。
そして、その予感は残酷なまでに現実となる。
ある朝、魔法省の執務室の重厚な扉を叩く音もなく、一枚の奇妙なカードが音もなく舞い込んだ。それは、まるで魔術師の幻影のように机の上に静かに現れた。カードに記された数行の文字が、室内の空気を凍りつかせる。
『夜明けの鐘が鳴る時、全ての真実が露になる』
その言葉は、夜の闇に響く不吉な予言のようであり、同時にオペラの嘲笑にも聞こえた。
そして、その件を伝えるためにセドリックとガウス警部はアメリアの工房を訪れていた。そんな折、魔法省からの厳重な通達がセドリックとガウス警部に届いた。「これ以上、オペラに関する捜査に関わるな」。省内の最高幹部からの直接の命令であり、明確な圧力だった。セドリックは握りしめた拳を震わせた。
「ふざけるな……!このままでは、また同じ過ちが繰り返されるというのに……!」
彼は、正義の名の下に真実を隠蔽しようとする魔法省の姿勢に激しい怒りを覚えた。自分たちが信じてきた組織の裏切りに、全身が震えるほどの悔しさがこみ上げてくる。その時、アメリアが静かに口を開いた。
「セドリック探偵。そんなの守る義理なんかないでしょ? 真実は目の前にあって、オペラは間違いなく何かをしようとしている。ここで立ち止まるわけにはいかない」
アメリアの揺るぎない眼差しは、セドリックの心に再び火を灯した。彼女の揺るぎない決意が彼の迷いを打ち破る。ガウス警部もルナも、その言葉に深く頷いていた。彼らは、魔法省の命令を無視し、自分たちの正義を貫くことを決意した。たとえそれが、組織に対する反逆になろうとも。セドリックはそんな考えをすぐにできるアメリアが少しだけ羨ましかった。
「とりあえず、さっきのがオペラからの新たな予告状だ。アスタータ嬢」
「怪盗オペラ……今度はいったい何を企んでいるのか……」
アメリアは深く思考する。活性化した結晶体から得られた膨大な情報、図書館の奥深くに眠る禁書に記された秘匿の知識、そして羅針盤と歯車が示す幾何学的な関連性――それら全てが、アメリアの脳内で一つの結論へと収束していく。いくつもの断片的な情報が、まるでパズルのピースのように、カチリと音を立ててはまっていった。
「とりあえず、今までのことをまとめると、禁書の内容は……おそらく、魔法社会にとって『都合の悪い真実』が記された文献ね。特に『異界の扉』や時間歪曲に関する過去の出来事、そして魔法が万能ではないという事実を隠蔽するために封印されてきたもの……」
アメリアは、独り言のように呟きながら、目の前のデータをにらみつける。
「羅針盤は、その『異界の扉』や時間歪曲の力を感知し、その位置を示すためのもの……そして歯車は、時間の流れや、それに伴う現象を制御するための古代の装置の一部。まるで時間の概念を具象化したようなアイテムで、あの紋様と連動して時間操作を行うための鍵……」
ルナがアメリアの隣で、食い入るようにその作業を見守っていた。
「ルナさん。今から私が言うことをまとめてもらえるかしら?」
「は、はい!」
ルナは緊張した面持ちでペンを握りしめた。アメリアの言葉は、まるで論理の奔流だった。
「まず、禁書よ。これには特に、時間操作や紋様に関する古代の術式が記されている可能性があるわ。次に、羅針盤。これはオペラが『異界の扉』の痕跡や、時間歪曲の『核』となる場所を特定するために必要なもの。そして、歯車。これはオペラが『異界の扉』を見つけ出した時に、時間歪曲を引き起こす、あるいは増幅させるために使用する可能性がある。最後に、活性化した結晶体。これは『異界の扉』から漏れ出た『時間歪曲の力』によって活性化された特殊な鉱物で、過去の記憶が記録されているわ」
アメリアは一呼吸置き、ルナが一生懸命にホワイトボードに書き殴った図と数式、文面を指差した。
「これらのアイテムは単独で機能するだけでなく、互いに関連し合い、共通する『紋様』を通じて何らかの力を発揮する……そんなところかしらね?」
彼女の言葉には、狂信的な犯罪者に対する憤りではなく、ただひたすらに真実を追究する科学者の静かな熱意が宿っていた。
アメリアは、論理的な思考と科学的な分析を駆使し、その真実へとたどり着く。彼女の脳裏には、狂気に囚われた悪人ではなく、深い悲しみを抱えながらも、世界に真実を伝えようとする一人の人間としてのオペラの姿が浮かび上がっていた。
オペラの行動は、無秩序な破壊ではなく、過去の悲劇を乗り越え、未来を守るための「真実を求める叫び」――客観的な事実に基づけば、そうとしか解釈できなかった。
セドリックは、アメリアの科学的考察に耳を傾けながら、自らが信じてきた「正義」と「魔法社会」の根幹が揺らぐのを感じていた。
彼は、魔法探偵としての職務上、幾度となく悪と対峙してきたが、これほどまでに複雑な感情を抱いたことはない。オペラの行動の裏には、幼少期の悲劇、そして魔法省による隠蔽という、あまりにも重い真実が横たわっていた。
その隠蔽が、魔法至上主義という歪んだ秩序を守るためであったことを知り、セドリックの心には深い疑問が刻まれる。彼の脳裏には、いつも毅然としていたオペラの、仮面の下に隠されたであろう苦悩がぼんやりと浮かび上がっていた。
オペラへの個人的な感情――逮捕すべき犯罪者という立場と、その悲劇への共感――が複雑に絡み合い、彼の心を苛む。だが、アメリアの言葉は、彼の心に新たな視点をもたらした。オペラの目的は、決して単純な悪意ではない。
それは、真実を暴き出すことへの魔法使いとしての使命感にも似た純粋な衝動だったのだとセドリックは理解し始めた。彼は、自分が今まで見てきた世界がいかに狭く、そして歪んでいたかを痛感せずにはいられなかった。
「しかし、次の場所は一体どこなのかしら……」
アメリアは予告状の「夜明けの鐘が鳴る時、全ての真実が露になる」という言葉を繰り返し呟き、羅針盤と歯車の配置図、そして最新の予告状に書かれた図形をホワイトボードに貼り付けた。その図形は、魔法都市の地図と重ね合わせると、特定の幾何学的なパターンを示しているように見えた。
「『夜明けの鐘』……それは時間を指す言葉。そして『全ての真実が露になる』というのは、隠された『異界の扉』の場所を指し示していると推測できるわ」
アメリアは、数理的な分析とパターン認識を駆使して、それらの情報を統合的に分析し始めた。
「前提としてオペラは、私たちに『異界の扉』の真実にたどり着いてほしいと、そう願っているのよ。彼女は、私たちを導こうとしている。そのための手がかりが、この予告状とこれまでの事件現場のすべてに隠されている」
アメリアは魔法都市の地図を広げ、これまでの事件現場を赤い点で示した。第一の事件である魔法図書館、次に忘れられた劇場、そして大時計台、最後に魔法省の地下。それらの点を線で結ぶと、不完全ながらも、ある奇妙な図形が浮かび上がった。
「見て、ルナさん。この四つの地点を線で結ぶと、まるで何かを暗示するかのようなパターンが浮かび上がる。そして、この羅針盤が発する電磁波の波形。これは単なる羅針盤ではないわ。特定の障害物、たとえば厚い壁や魔力を帯びた結界などを加味した上で、最も強い波形を示す地点を指し示している」
アメリアは、複雑な数式をホワイトボードに書き殴り、電磁波の減衰率や透過率を計算していく。
「そして歯車。これは時間の流れだけでなく、周囲の魔力の流れにも影響を与える。その魔力の流れが、この羅針盤の示す電磁波の波形に微細な変化を与えているわ」
ルナが首を傾げる。彼女の頭の中では、まだ点と点が繋がっていなかった。
「鐘の音ですか?それがどうして場所に繋がるんですか、アメリア様?」
「この鐘の音の周波数が、特定の共鳴を引き起こすことをオペラは知っているのかもしれないわ。そして、その共鳴が最も強まる地点こそが、彼女が探し求める場所だと推測できる。これまでの彼女の行動から考えても、『異界の扉』が関係している……例えば初めて開いた場所、あるいは最も強くその痕跡が残る場所を狙っているはずよ」
アメリアは、調査の結果を古地図と照合する。今解析したデータが重なりその古地図のある場所、一点を完璧に指し示す。
「突き止めたわ……ここよ!次にオペラが現れる場所は、魔法都市の中心に立つ『魔法研究所』だわ!」
アメリアは自信に満ちた声で断言した。『魔法研究所』その場所こそが、オペラの最終目的であると。
夜明けの鐘が鳴る時、全ての真実が露になる――その言葉が、アメリアの脳裏にこだました。彼女の心臓が、微かに高鳴るのを感じた。それは迫りくる危機への予感か、あるいは真実に限りなく近づいていることへの興奮か。
果たして、夜明けの鐘が鳴り響く時、魔法都市に何がもたらされるのだろうか?