魔法都市エルドリアは、一見すると以前と変わらぬ穏やかさに包まれていた。しかし、その水面下では、先の「異界の扉」事件が残した波紋が静かに広がっていた。
魔法省が公表した事件の経緯は、まるで真実の一部を切り取って都合よく並べたかのような代物で「異界の扉」の存在そのものを曖昧にし、魔法の優位性を保つための隠蔽が透けて見えた。
市民の間に魔法省への不信感が根強く残ったのは、アメリアが予想した通りだった。怪盗オペラが幾度も現れたのも、大時計台や魔法省、そして魔法研究所での事件すべてを魔法省は『魔法的な事象』として発表し、真実は隠蔽されていた。
街角では、魔法省のやり方に疑問を投げかける声が聞こえ始め、かつて絶対的だった魔法への信頼に、ひびが入り始めていた。
アメリアの工房は、以前にも増して奇妙な装置で溢れかえっていた。部屋の隅には見たこともない機械がうなりを上げ、中央の大きな実験台には、複雑な回路が組み合わされた奇妙な器具が鎮座している。
先の事件で得た膨大なデータと、オペラが使用していた技術、特に時間歪曲と紋様のエネルギー変換技術を基に、彼女はより高度な科学と魔法の融合研究を進めていた。
工房には日夜、金属がぶつかる音、液体の泡立つ音、そして時に小さな爆発音までが響き渡る。それは、新たな発見と、その何倍もの失敗の音だった。
壁には、羅針盤や歯車、そして、セドリック探偵とガウス警部の協力により、新しく発見された紋様の図形を入手し、それが所狭しと貼り巡らされ、彼女の飽くなき探求心と思考の軌跡を表していた。
彼女は今、時間と空間の連続性、そしてオペラが有していたであろう未解明の技術について、深く掘り下げていた。その視線の先には、この世界の根源に迫ろうとする、揺るぎない強い意志が宿っていた。徹夜で研究に没頭することも珍しくなく、彼女の瞳には常に知的な輝きが宿っていた。
ルナは、アメリアの隣で日々を過ごす中で、魔法使いとしての自信を少しずつ深め、自身の魔力コントロール能力をさらに磨き上げていた。彼女の魔法は、威力こそ変わらなかったが以前にも増して精密になっていた。
そして、アメリアの助手としても頼りになる存在となり、実験の準備からデータ整理まで、テキパキとこなせるようになった。だが、彼女の成長はそれだけではなかった。アメリアの影響を受け、魔法と科学の両方に強い興味を持ち始めていた。
ルナは自身の可能性を広げようと、アメリアの実験を熱心にサポートするだけでなく、自らも魔法の応用や、科学的な現象と魔法の法則の関連性について深く考察するようになっていた。時にルナの素朴な本質を突く質問は、アメリアに新たなひらめきを与えることもあった。彼女の成長は、まさに魔法と科学の架け橋となる希望そのものになっていた。
セドリックは、魔法至上主義に固執する魔法省の隠蔽体質に深い疑問を抱き続けていた。彼は内部から改革を促そうと、度々上層部に意見具申をしていたが、保守的な魔法使いたちの抵抗は根強く、上層部との衝突は増える一方だった。
彼の心には、理想と現実の狭間で揺れる葛藤が渦巻いていた。それでも彼は諦めなかった。アメリアの科学的アプローチの重要性を、より多くの魔法使いに理解してもらおうと尽力した。彼の努力は、すぐに大きな成果として現れるわけではなかったが、少しずつ、だが確実に実を結び始めていた。
セドリックの情熱に共鳴する若手の魔法使いも現れ、彼らは、旧態依然とした魔法社会を変えようとするセドリックの情熱に、未来への光を見出していた。セドリックの顔には疲労の色が浮かぶこともあったが、その瞳には常に改革への強い意志が宿っていた。
そして、アンティークな時計が大量に置いてある不思議な喫茶店「時の砂時計」。クレア……オペラの居なくなった店内で、エレノアはゆっくりと時の流れに身を委ね、ハーブティーを一口飲む。
「……ふぅ」
カップから立ち上る湯気が、目の前の振り子時計をぼんやりと揺らす。エレノアは、どこか遠くを見るような瞳で呟いた。
「アメリア。この世界には、まだあなたの知らない真実がたくさん眠っています……時間という概念は、あなたが思うよりも、はるかに奥深いものなのですよ」
彼女はハーブティーを飲みながら、独りごとのように続ける。
「多くの人は、時間をただ流れるもの、過ぎ去るものとして捉えている……でも、それは表面的な見方に過ぎない。そう『異界の扉』の存在を知ったところで、それはまだ物語の序章。真の異界の扉は間違いなく現れる……」
彼女は静かにカップを置いた。そして、ゆっくりと視線を店内の時計たちへと向けた。
「……私はただ、この世の理を見守るだけ」
魔法都市の夜は更けていく。しかし、その静寂の下では、不信、希望、探求、葛藤、そして予兆といった様々な感情が渦巻き新たな物語の幕開けを予感させていた。