ナナの部屋、壁やタンスの上には小さい時にモノづくりで受賞した表彰状が沢山並んでいる。
ナナちゃんは小さな机に突っ伏している。
横には広げられた封筒の山と、一人分の晩御飯。
冷えたスープに箸もつけずに、手元のノートをぼんやり見つめていた。
そのページの隅には、かつて描いたブレスレットのラフスケッチ。
キラキラした星と波をモチーフに”本物”の星光石をあしらったデザインで、『(仮)海キラライメージ』と小さく書いてある作品だった。
「…あたし、ほんと何やってんだろう…。」
つぶやいた声は、誰にも届かない。
作品が完成して、買ってくれたお客さんたちの笑顔が、イメージ写真のように記憶が流れていく。
ノートをめくる指が止まった。
そこには、かつてのデザインがびっしり描かれていた。寝る間も忘れて、自分が描いたもの。楽しい時間を過ごした欠片。
―なのにあの時、学生の頃。
「このデザイン、どっかで見たことあるんだよねぇ。これ、オリジナルじゃないよね?」
講評会の壇上で、審査員の一人がそういった。
その瞬間の教室がざわめき、審査員の言葉を真に受け、SNSが炎上した。
私のデザインを盗作した子は、有名な教授の推薦を受けた。
「えーたまたま似てただけだよねー?ナナちゃん♪」
そう言った時の彼女の薄ら笑いした顔が忘れられない。
どれだけ弁明しても、「証拠がない」「学生の嫉妬」と、取り合ってもらえなかった。
あの時、自分の中で何かが折れた音が聞こえた。
「本物なんて、作る意味なんてあるのかな?…」
その問いが、ずっと心を縛り続けていた。
机の上の封筒をクシャっと握りしめる。
奨学金。
3年間で積み上げた額と、延滞金。今の収入では払えない時もあった。
「…ごめん、お父さん、お母さん…」
東京での失敗を言えないまま、地元に帰ってきた。
何も知らない両親は、「お帰り、ナナが帰ってきて嬉しいよ」といった。
─私また逃げるのか?
机から立ち上がる。
「…もう、逃げちゃだめだ。ハルト君とおばぁちゃんに言わなきゃ。」
カーディガンを羽織り、玄関のカギを閉めた。
向かう先は、うずまき商店。
――――
うずまき商店の店先
「あっ!ナナちゃんじゃん!!今日見ないから、体調悪いのかと思ったー!どうしたの?」
ハルトの元気な声に、胸がキュッとなった。
「…今日さ、ハルト君とおばぁちゃんに言わなきゃ行けない事があるんだ」
「え?…オッケー、なんか分からないけど、分かったー」
ナナちゃんとキョトン顔のハルトが一緒に店内へ入る。
「どうしたんだい?ナナちゃん。そんな顔して」
取り巻くオーラを見て、察した花バァが手招きしてナナちゃんを呼ぶ。
3人でちゃぶ台を囲む。蛍光灯の光が優しく照らす。
ハルトと花バァが、静かに彼女を待っていた。
ナナは正座し、深く、息を吸い込んだ。
「……あの裏路地で見つけた粉、星光石っぽいけど、どうしてあんな場所に落ちてたのか、私には分からない。でも、でも……」
ぽつりと、言葉がこぼれる。
「海キラリの商品にも、混じってたかもしれない……。あたし、自分でチェックしてなかったの。業者任せにして……怖かった。見てしまったら、何かに気づいてしまったら、もう店を続けられない気がして……」
ハルトが静かに言った。
「それでも、ナナちゃんの手作りには使ってないんだよね?」
こくんと、うなずいた。
「それだけは、嘘じゃない。自分の手で作ったものにだけは、絶対に……」
だけど、その言葉すら、今は重く感じた。
「……私、“本物”が怖かったの。作っても、また誰かに奪われるんじゃないかって。あのときのコンペみたいに……」
花バァが、低く静かに言った。
「“本物”が奪われると、心ごと持ってかれちまう。でも、だからって偽物でごまかしても、自分の心は埋まらないよ」
ナナちゃんは膝の上の手を、そっと握りしめた。
「大石さんに最初は、“地元で頑張る若者を応援したい”って言われて……ブランドへの出資って名目で契約書も交わしたの。ちゃんとした形で背中を押してくれるのかなって、少し嬉しかった。けど……」
ナナちゃんは唇をぎゅっと噛みしめる。
「少しずつ、“イベントの演出に協力してほしい”とか、“素材の仕入れはこちらでやる”とか、条件が変わってきて……。そのうち、奨学金の保証人になる代わりにって言われて……もう、断れなくて……」
花バァの声が、少しだけかすれた。
「それで、あんた、どれだけ夜、眠れなかった?」
ナナちゃんは、ポロポロと涙をこぼした。
「怖くて、誰にも言えなくて……町の人たちに信じてもらえるかも、分からなくて……。でも…でも」
「ナナちゃん、それ、配信でも言えばよかったのに。でも、今の言葉で十分伝わった。俺たちは分かってる。ナナちゃんが、ちゃんと向き合ってるってこと」
ハルトのその言葉に、ナナちゃんの目から、止まっていた涙があふれ出した。
ふわりと、オーラが揺れた。
かすかに光る、"透き通った淡緑"─再出発の色。
花バァは、湯呑みに手を伸ばし、ひとくちすすってから、言った。
「涙が出るってことは、心がまだ、生きてるってことさ。……よかったじゃないか、ナナ。まだやれる」
沈黙が、ちゃぶ台の上に広がる。
だが、それは重苦しいものではなく、再び歩き出す者たちが共に飲み込んだ、あたたかな時間だった。
風鈴が、ふと音を立て、そよ風が通り抜けた。
———
そのころ、観光協会。
事務所は静まり返り、誰もいなかった。
ただ一人、デスクに座る男――大石が、薄暗い部屋の中でモニターをじっと睨んでいた。
画面には、ナナのライブ配信のアーカイブ映像が映し出されている。
「……感動演出か。やるじゃないか、ハルトくん」
小さく笑みを浮かべ、引き出しから一枚の企画書を取り出した。
表紙には、大きな太字でこう書かれている。
『偽物フェス〜“星光石”で町おこし〜』
「結局、人は“納得できる物語”を求めるんだよな」
カチャリ、とキーボードを打つ音が静寂を切り裂く。
画面のコメント欄がスクロールし、ある一文で指が止まった。
《本物じゃなくても、キラキラしてればよくない?》
「ほらな。俺が正義だ。そう仕立てれば、全部うまくいく」
フェスの準備ボタンを押しながら、大石は低く笑った。
「町を救えるのは、“本物”じゃない。――“演出”なんだよ……」
その瞳の奥で、黒いオーラがわずかに揺れていた。
画面の隅で、動画の再生数がじわじわと伸びていく。
大石の手が止まることはなかった。
――“本物”の火種が、静かに広がり始めていることも知らずに。