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3. 君の名は

 それからしばらくラッキョウだけじゃなく水煮のきのこやら、ハーブっぽいやつやら色々切らされて、店じまいになった。


「×××、×××!」

「はーい、またねオッチャン」

「×××!」

「がははは! ×××?」

「はっはっは。何言ってんのか全然わかんねー」


 客が店から出ていくと、コックのオッサンはちゃちゃっと何かを作って、客席に持って行った。

 こちらを見て、こっちへ来いというジェスチャーをするので、手を拭いてそちらへ向かうと、ズイと丼を差し出してきた。


「××」

「あざっす!」


 どうやら「××」は「食え」ってことらしい。

 見れば箸らしきものもあるので、レンゲと箸を使って丼の中のものを口に運ぶ。


「なにこれ、めっちゃうめぇ!」


 センレック幅広ビーフンに似た麺だった。ただ色が赤黒い。赤米で作ったらこんな感じになるかもしれん。

 スープは昼に食った豆シチューに似ているが、骨付きの肉と香草がたっぷり乗っかっている。何の肉だろう……ほろほろしててめっちゃ旨い。


「これ、旨いっす、たまらん」

「×××、××」


 親父は満足そうに頷き、自分でもそれを食い始める。

 食い終わると、オッサンは自分を親指で指し、「コー、ゲイル」と良い、それから俺を指さした。

 まぁ、「コー」が「俺は」で、「ゲイル」はオッサンの名前だろう。

 つまりお前の名前を教えろってことね。


 1. 本名を名乗る

 2. ニックネームを名乗る

 3. 偽名を名乗る

 4. 意味がわからないふりをする


「ザジっす。ザ、ジ」

「ザジ?」

「イエス、ザジ! よろしくゲイル!」


 手を差し伸べたら、ゲイルは一瞬考えて手を握り返した。

 もしかすると握手の習慣がないのかもしれないが、とりあえず意味は通じたっぽい。


「ザジ、トワ×××、×××××?」


 あ、この「×××××」は聞き覚えがある。

 確か料理人って意味で使われてた気がする。


「ノー」


 首を振って、「コーぼくは、バックパッカー(です)」と言って自分を指差す。


×××××料理人 じゃないっす。ただのバックパッカー。バイトしながら世界を回ってるんで、料理もできるっすけど」

「バックパッカー? ××××……」


 ゲイルは首を傾げながら、フッと息を吐いて、「まあいい」と態度でしめし、天井を指差す。


「泊まっていっていいんすか? あざっす!」

「アー」


 この「アー」は多分「そうだ」みたいな意味だな。


「××××、トワ××××。××××、××」

「ははは。意味わかんねぇ。でもまぁサンキューゲイル!」


 俺はペコリと頭を下げる。


「マジでありがとう」

「マジデアリガトー?」

「お礼だよ、感謝してるってこと」


 自分、ゲイルと指差して、手を合わせて頭を下げてもう一度「マジデアリガトー」と謝意を示す。

 どうやら伝わったらしい。


「アー、×××、コオプクンターイ」

「あ、タイ語じゃん。ちょっと発音違うけど。アー、アー、コオプクンターイありがとー!」


 いえーい、と手を出したが、ハイタッチは返してもらえなかった。


 俺はコオプクンターイと何度も言いながら、飯屋を後にして二階へ上がっていった。


 ▽


「さてと」


 二階に上がり、とりあえず現状を整理する。


 言葉が通じない。

 これはそんなに問題じゃない。全く学習したことのない言葉もたくさんあるし、少数民族に混じればだいたい言葉は通じない。慣れっこだ。

 だが、こんなふうにちょっとだけ知っている言葉が混じっているってのはちょっと不気味。

 すでに「コー」が「自分」、「トワ」が「あなた」など、いくつか判明した言葉もあるし、身振り手振りで意思疎通は問題なさそう。


 だが、見覚えのない植生、食事に使われていた見たことのない肉、ビーフンぽい麺や、客が食っていたピラフっぽいやつ。


「どれも知らねぇんだよな」


 窓から外を見る。

 町並みはまんま東南アジアの繁華街。看板と電柱がないから印象はだいぶ違うけど、二人乗りのスーパーカブがクラクションをプープー鳴らしまくりながら走り回ってりゃきっとベトナムだと思い込んだだろう。


 すでに空はかなり暗くなっていたが、ところどころに明るく電灯が灯っていて、往来する人も少なくない。どの人も、ちょっと国籍がわからん服装をしている。中にはターバンみたいにスカーフを頭に巻いていたりする人もいるが、服装は中近東に近い気がする。一様にサンダル履きで、煙管を咥えている人も多い。


 聞こえてくる言葉はやはり聞いたことがないが、なぜか知っている単語がぼろぼろ混じっていて、それも一種類じゃなく色んな国の単語だ。つかさっきちょっと日本語っぽいのが聞こえたぞ。


「やっぱ、知らん国よなぁ」


 知らん国っていうか。まぁ要するにだ。


 1. 俺の知らない国がベトナム近辺にあって、独自の文化を築いている

 2. 異世界

 3. 異世界

 4. 異世界

 5. 異世界


「ははははは」


 どう考えても異世界やわな。


「まぁ、別に困らんけど」


 ゴロンと横になる。


 別に日本に待っている人がいるでもなし、せいぜい神社仏閣が見られなくなるのがちょっとさみしいくらい。むしろ、完全に見知らぬ世界を旅できるなら、バックパッカー冥利に尽きるというものだ。


 安全についてはどうだかわからんが、どうせ来年あたりからアフリカ大陸のマイナー地域を回ろうと思ってたところだ。危険度はそちらのほうが高いだろう。死ぬかもしれんと思ってたし、マイナー地域は独特の言語が多く、事前に習得する方法がない。ほぼボディランゲージ予定だった。むしろ知ってる単語が頻出するぶん、言語習得はこちらのほうが楽かもしれん。


 そういや電気自体はあるっぽい。店にも電球がぶら下がってたし、道にも少ないながら街頭はある。夜だというのに、日本の夜店くらいの明るさがある。文化レベルは元の世界(?)とあんま変わらないらしい。というか、ベトナムとトルコを足して2で割らずに異世界風味をトッピングしたみたいな感じ。異世界風味がなんなのかよくわからんけど。


 電気といえばスマートフォンの電源が切れてしまった。部屋の隅にコンセントらしきものはあるが三穴の見覚えのない規格だ。手持ちの変換プラグは使えなさそうだし、気軽に充電はできないだろう。変換プラグくらいなら自作してもいいが、もし交流じゃなかったら詰みだ。一応手回し式の充電器はあるけれど、GPS が使えないのはこの3日の放浪中に確認済み。映画やテレビにもさほど興味はないし、せいぜい写真をとったりライフログを取るくらいにしか使えないだろう。一旦放置。


 つまり、ってことだ。

 前知識がないぶん、いつもよりだいぶスリリングだが、望むところだ。


「くくっ」


 思わず笑いが漏れる。


 俺のモットーは岡本太郎の「こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける」を自分勝手に読み替えたものだ。


 つまり、面白そうなもの、知らないものには飛び込む。やってみる。

 たとえそれがどんなに危険でも、なんなら死んだって構わない。


 人間どうせいつかは死ぬのだし。

 それなら生きている間は、何が何でも全てを面白がって生きてやる。



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