翌日から、俺はゲイルの店を手伝うことになった。
ゲイルは小さな飯屋の主人のくせにこの辺りでは一目置かれているっぽい。街の顔役というか、客からなんとなく敬意のようなものを感じる。距離感は近いが。
客たちは、俺については特に思うところはないらしい。たぶん「なんかゲイルが拾ってきた男」くらいの認識なのだろう。
よくからかわれるが、ふざけて応酬するとだいたいバカウケする。おかげで客とも仲良くなった。ゲイルは呆れたように見ている事が多い。
からかわれるのは俺が細っこい日本人だからだろう。つか、女性ホルモンが多めなのかヒゲが生えないんだよな俺。日本だと女性に間違えられることはまずないんだけど、海外、特に中近東に行くとよくホモのオッサンに襲われる。面白いことのためならどんなに面白くないことでもやる俺だが、そういうのは勘弁。護身術は必須。今のところギリギリ無事。俺強い。
ゲイルは俺が補佐として使えるとわかるとアレをしろコレをしろといろいろ仕事を任せてきた。
よしきた。
おりゃー。
「そういやゲイル」
「なんだ」
仕込みをしながらゲイルに話しかける。
一週間もすれば、ある程度の意思の疎通はできるようになった。まぁわからん単語だらけだが。
「聞きたかったんだけどさ、なんで俺のこと助けてくれたん?」
「×××を放置できないからだ。それに××××が怖い」
「×××は『行倒れ』かな。×××× はどういう意味だろう。まいいや、
「アー」
ゲイルは陰キャっぽいというか、あまりノリの良い方ではないが、基本親切だし、笑うとちょっとかわいい。筋骨隆々のヒゲ親父だけど。
「ザジはどうして
「や、旅しててさ。道に迷って」
「バックパッカー?」
「そう、バックパッカー。で、腹減って。グーグー。バタっ」
「そうか」
「あんたに拾われてよかったぜ。コオプクンターイ!」
「礼はもういい」
「そ? でもお役には立ちまっせ!」
そうこうしているうちに客が集まってくる。
ゲイルの店は昼と夜だけオープンで、夕方頃に2時間ほど閉まる。
近所には早朝から空いている店もあるが、そういう店は夕方ごろには閉まる。なんならおやつ時にだけ出る屋台とかもあるし、日本みたく仕事帰りに寄るおでん屋みたいな酒を飲ませる店もある。どうやら時間帯で棲み分けができているらしい。
「はい、オープンっす! いらっしゃーい」
「オー、ザジ! ××××!」
「はいはいどーも」
「ザジ、今日も×××!」
「コオプクンターイ、オッサン!」
「腹減ったぜ、ザジ、肉そば頼む」
「あいよ! 今日のも旨いぜ?」
「ハァイ、ザジ! 来たよ!」
「ほいほい。みんなのアイドルザジくんですよ。ささ、奥へ」
なんか知らんが、あっという間に客たちに名前を覚えられた。
まぁ旅先で好かれるってのはバックパッカーにとって最も重要な資質の一つだ。
偉そぶらず、かといって卑屈にならず、友だちになりたいと伝え、危険がないことを知ってもらう。
あとはニコニコ笑って、言葉は通じずとも喋りまくってりゃ、大体の人は警戒心を解いてくれる。
コツは「先に相手のことを好きになること」。
人ってのは「好かれてる」と感じれば、自分も相手を好きになろうとするし、そうでなくとも邪険には扱わない(例外あり)。
「ゲイル! こちら×××のザブジと肉そばね!」
「アー」
「こちらピラッフ、豆のシチューつきで!」
バンバン注文を取る。
ゲイルの料理はやたら旨い。
スパイス(どれも知らない風味だ)が効いており、見た目に反してあっさりしたものが多い。
熱々の汁物に、生の野菜やハーブをちぎって入れながら食うのが定番らしい。
「ザジー、空いてる?」
「あ、すまん満席。ちょっと待って」
店の前に置いてある
ゲイルの店だけでなく、他の店にも店先に鍋とお玉を置いてあることが多い。
どうやら飯屋であることを示しているようだが、ちょっと変わった文化だ。
小さな屋台とかだと鍋は置いてないので、もしかするとなにかの資格があるのかもしれない。
「あれ、満席?」
「おっすオッサン。すぐ開くと思うんで待ってて」
「おい、俺が先だぞ」
「わかってるよ。……ほら、席が一つ空いた。相席でもいい?」
「アー」
「俺、ドジョウのスープ、
「あいよ、ゲイル! ドジョウと羊肉ピラッフ!」
「アー」
ちなみにドジョウとか羊肉ってのは俺の意訳。似てるからそう呼んでる。本当は知らない食材だろうけど。
「じゃあ俺、××××たのむ、ザジ」
「あー、えっと……ゲイル! ×××× だってさ」
知らない単語だったので大声で復唱したら客席がドッと湧いた。
「なに、なに」
見ればゲイルも笑っている。あー、このパターンね。
「××××? って何よ」
「「ぎゃっはっはっは!!」」
「意味教えろよー、俺も一緒に笑いたいじゃんか!!」
何、××××、と疑問形になるように(SVO 型だ)単語を並べると、近くにいたオバちゃんが笑いながら俺の股間を指で指した。
あー、あー。はいはい。なるほど。×××× はチンチンの意味ね。ザジ覚えた。
「はいドーン!!」
「「「ぎゃははははは!!!」」」
つまり「アレやってくれよ」的なやつ。
都会だと同じギャグを繰り返されると冷めるが、田舎だとわりと何度でも受ける。
ドーン! のおかげであっという間に打ち解けた。サンキュー江頭。
▽
とまぁ、調理補佐とメニュー取りをやる毎日だが、もちろんそれだけやってても面白くない。ちょっとでも時間ができれば、街を歩き回るようにしている。
金がないので(ドルもドンもバーツも使えなかった)、店からあまり離れられないけれど、そこに面白そうなものがあるのに見に行かないなんていうのは、俺にとっちゃいわば「死んでいる」のと同じ状態だ。
面白いことをして死ぬのは一向に構わんが、面白くないのに生きてるのは嫌だ。
服装が珍しいのかやたら目立つが、今のところ特に危険な目にあったことはなく、なんなら「おいザジ!」と声をかけられることも多い。
ポイとフルーツを投げてくれるオバちゃんとか、「お茶飲んでけよ」と誘ってくれるジジイとかもいる。
異世界? っぽいので、エルフとか獣人みたいなファンタジー種族がいるのかなーと期待したが、普通の人間しかいねぇ……まぁ普通の人間が一番面白いって説はある。俺の中で。
それにしても暑い。いっつもいっつも天気良すぎ。いつだって雲ひとつない青空だ。湿気がないのでさほど辛くはないが、今のところ一度も雨に降られたことはない。もしかすると乾季なのかもしれん。
日焼けするのはどうでもいいけど、昼間は眩しくて目が辛い。愛用のサングラスを失くしたのが痛い(ブルネイで盗まれた)。ベトナムで買い直す予定だったが、もう永遠に叶わない。イヌイット風のサングラスとか自作してかけたら目立つかな。
「よく見るとベトナムとはだいぶ違うな」
見慣れてきて始めてわかる味わいというのもある。
というか、トルコとかペルーとか似ている国は色々思いつくが、「何に似ている」という視点は面白さを毀損する。
この世界はこの世界。この街はこの街でいい。
こうしてみると、店先に鍋を置いている店はまぁまぁ大きい店だけのようだ。
お玉が置いてあれば開店中。お玉が下向いてたら満席、上を向いてたら空席あり。わかりやすい。
始めての通りを通って、また店に戻る。
そろそろ夜営業だ。バリバリ働くぜ。
▽
店の裏手に回ると、水道の前でゲイルが魚を捌いていた。
でっかいタライには大量のドジョウ(っぽい魚)が泳いでいて、軍手をしたゲイルはそれを一匹取ってはトンと頭を落として水を張った鍋に放り込んでいる。
鍋にはチョロチョロと水が落ちており、血の混じった水はそのまま溝へ。どうやら下水設備もしっかりあるらしい。なかなか近代的。
「ゲイル〜」
話しかけるとゲイルはこちらを向いて、何かを言おうとしたが、すぐに店先から「おーい」と声が聞こえ、ゲイルは「ちょっと待ってろ」と言って店に引っ込んでしまった。
「……おっ」
ドジョウが一匹タライから飛び出した。
つるつると濡れた地面を泳いで?このままだと下水まで行ってしまいそうだ。
見れば、軍手も包丁もある。俺は「よし」と軍手をつけてドジョウを捕まえた。
ブリブリ手の中で暴れるドジョウの頭をまな板に押し付け、包丁でトンと落とす。
「うお、生命力つよ」
頭を落としてもなおブリブリ動くドジョウを鍋に放り込む。
何度か食ったことあるけど、こいつ内蔵つきっぱなしで料理されるんだよな。その内臓がちょっと苦くてそれがまた旨いっていう。まぁ多分事前に泥抜きはしてるだろうけど。
それなら頭もつけたまま調理すりゃいいのにと思いながら、俺は次のドジョウに手を伸ばす。
「ほい、ほい」
どんどん頭を落とす。
命を奪う行為ではあるが、食うためなら仕方ない。生き物に感謝しつつ、ためらいなく殺す。
これまでも旅先で鶏やカエルなんかを殺して食ったことはあるし、そうでなくとも日本じゃ魚介類を殺す機会は多い。釣りとか。アサリの味噌汁とか。
「ほい、ほい」
大半のドジョウの頭を落としたころで、後ろからゲイルの声が聞こえた。
「ザジ……?」
「あ、ゲイル。これ全部落としちゃって良いんだよな?」
振り返ると、ゲイルは青い顔をして絶句していた。
「ザ、ザジ」
「あれ? もしかして全部やっちゃだめだった?」
「お前……」
ゲイルは見たこともないような表情で駆け寄ってきて、俺の胸ぐらを掴んだ。
「え、ちょ、ゲイル?!」
「ザジ、お前……」
ゲイルは震え声で言った。
「お前、生き物、××××、できたのか」
俺は ×××× という単語の意味を推測する。
ゲイルの目線は、俺とドジョウを行ったり来たりしている。
(あー)
いきなりシナプスがつながって、ゲイルの言っている意味がはっきりわかった。
間違いないだろう。
ゲイルはこう言っているのだ。
「ザジ。お前……生き物を殺せるのか」