「は? なんで?」
「あなた、
「まぁ、確かに頭落としてたども……」
あんなこと、誰にだってできる。
いや、心理的な抵抗感とかは脇に置いといての話だけどもさ。
「なら、どうして生きてるの」
「?? 死んだと思うけど……そりゃドジョウは生命力強いから、頭落としてもしばらくブリブリ動いてたけど」
実際、魚介類とか爬虫類とか、頭落としてもしばらく動くよな。エビとか頭毟ってもしばらくビクビク動いて、子供の頃はちょっと怖かった。
「あれ、生きてるわけじゃないよ、動いてるのはただの反応だと思うけど」
「
サーリハは表情ひとつ変えずになぜかフランス語で答えた。
「ちがう。私が言うのは、どうしてあなたが生きてるのか」
「え、俺? ますますわからん……あ」
なるほど?
つまりあれだ。宗教だ。
この世界だと生き物を殺すのは基本的に御法度で、資格が必要だとかそういうやつだ。
例えば、その決まりを破れば命はない、とか……
「そんなぁ!」
「わっ、どうしたの」
言葉とは裏腹に、サーリハは全く驚いた様子がない。
無表情系美女なんかな? って、それどころじゃないんだって!
俺は手を組んで跪き、なりふり構わず命乞いをした。
「堪忍しとくなはれ! ワテ魚捌くのに資格がいるとか知らんかったんや! ゲイルを手伝いたかっただけなんや! 処刑なんてあんまりやぁ!」
「? 何語なの、それ」
「処刑は勘弁してください」
「
だからちょいちょい挟まるフランス語はなんなんだ。
あと面白いならちゃんと顔に出せ。能面でももうちょっと表情豊かだぞ。
「……少し待つ。××××、×××× ××××!」
『アー、××××!』
サーリハが何やら言うと、奥から返事が返ってきた。
「あの、サーリハさん?」
「少し待つ」
「あ、はい」
サーリハはトスンとソファに座った。
俺もすぐ隣に座った。
「ザジ、お前……」
俺の遠慮のなさに、後ろで立っていたゲイルがなにやらつぶやいていた。
だって、ずっと立ってると疲れるやんか。
▽
しばらくすると、サーリハと同じようなスケスケ衣装の屈強なオッサンがケージを持ってやってきた。
ケージの中には何やらテンみたいな動物がいる。指と尻尾が長くてちょっと違うけど。
「見てて」
サーリハはケージをあけてテンを取り出すと、わちゃわちゃとなでた。随分懐いている。多分ペットなんだろう。
テンはまったく警戒する様子もなくなすがままになっているが、サーリハはテンの手を握り、器用に指を一本だけそっと飛び出させた。
サーリハはゴツいナイフを取り出して、その指に近づけた。
「えっ」
俺はパッとサーリハの腕を掴んでそれをやめさせた。
「……何?」
「やめなよ、可哀想じゃん」
「……いいから。離して」
「殺すなら一息に殺してやったほうがいいじゃん、無駄に痛いのとかは、ちょっと」
「はぁ……」
サーリハは一つため息をつくと、「ハヌマーン、××××、ザジ×××……」とつぶやいた。
ハヌマーンが笑って、「サーリハ、×××」と言って先を促す。
「アー」
うーん。
動物愛護の観点からあまり見逃したくないんだけど、なんか口出ししちゃいけない空気。
サーリハはテンの指をナイフでさっくり傷つけた。
「ああ……」
テンよ、守ってやれずにすまん……ていうか、何リラックスしてんだよ。お前も暴れるなりなんなりしろっての。
なお、この場合の「ああ……」は、この世界の Yes の意味の「アー」ではなく、諦めの声である。
「って、あれ?」
テンは平然としていた。
悲鳴を上げるどころか、身じろぎ一つしないし、血が出ている様子もない。
さっき撫でられていた時と何も変わらない、溶けたアイスクリームみたいな表情で、クアァと欠伸までしている。
「見て」
サーリハがなぜか自分の手をこちらに向ける。
「え、何、なんすか……って、はぁ?」
サーリハの指に、小さな傷があった。
つー、っと血が流れる。
「え、それ痛くないの?」
「痛いに決まっている。それより、理解、できた?」
「えええ、何、何、どういうことよ」
見れば、テンのほうには怪我の様子はない。
だというのに、サーリハの指に切傷がある。痛そ……。
「普通、こうなる」
「どういうこと?」
「生物を攻撃する、自分が怪我をする、普通」
「意味がわかんないんだけど……」
「前の世界、逆、わかる?」
「逆っていうか……え、まじで
「でも、ここ、違う。……どうして知らないの」
どうしてと言われても。
サーリハは「前の世界」と言った。最低でもトリリンガルだ。すげー。
つまりは元の世界――日本やフランスという国のことも認識してるってことになる、イコール、俺にとってこの場所が「異世界」であるということも理解しているということだ。
「ここでは、他者を傷つけることはできない」
「はぁ、まぁ、そうなんすね。完全にイミフだけど」
「つまり、本来なら
「なにそれ怖い!!!」
思わず叫んだ。
え、何、そういう仕組みなの?!
「だからゲイルが慌てた」
「そりゃ慌てるわ! ってか話が唐突すぎて全然ついていけねー!」
「あなた、どういうルートでここに来たの」
「いや、なんか行き倒れて……」
「はぁ……」
サーリハは何度目かのため息をついた。
ため息をつきながらも、表情が全く変わらないから深呼吸してるみたい。
「えっと、簡単に言うとどういうこと?」
「人間は生物を殺すこと、できない」
「はぁ、なんか平和っていうか、天国みたいな場所っすね」
というと、サーリハは珍しく目を細めて表情を変えた。
多分、笑ってる。何が琴線に触れたのかはわからんけど。
「え、あれ? それじゃみんなが食ってる飯は? 生物を殺せないんじゃ、肉も魚も食えないじゃん」
もしかしてこの世界の人たちって全員ベジタリアン? って、そんなわけないか。
ゲイルんところでだって、めっちゃ肉とか魚の料理を出してるじゃん。
「生物を殺す権能、持っている、料理人だけ」
「へ、へぇ」
「もし、料理人違う人、他の生物を意図的に傷つける、その傷、自分につく」
「なるほどわからん。あれ? でもそうなると、肉を食うのもままならんくない?」
「肉だけ、違う。目に見える大きさの生物、全部同じ。小さな虫、果実や野菜、全部同じ」
「ええ……それじゃみんな餓死しちゃうじゃん」
「食に関すること、料理人が全部やる。料理人だけ、生物を殺す権能、残してくれた」
「誰が」
「神」
「神……」
神、神かぁ……。
宗教系の話かと思ってたけど、これ、多分違うな。
概念とか迷信とかじゃなく、本当に実在する何かっぽい。
え、いるの? 神。
▽
「とりあえず、生物を意図的に攻撃したら自分が傷つくってことっすね」
「……理解、速い」
「ええまぁ」
バックパッカーなんてやってると、常識をひっくり返されることなんて日常茶飯事なもんで。
びっくりはしたけどさ。
「で、罰はないんすか」
「罰って何」
「いや、資格がないのにドジョウを絞めてたの、アウトだったのかなーって……」
変な罰を喰らうくらいなら俺は逃げるぞ。
1. 思考停止で逃げる => マスケット銃からは逃げられない
2. 戦う => ハヌマーンのあの筋肉を見ろ。ゲイルもだけど。無理だろ絶対
3. 土下座する => 土下座が侮辱の意味だったりしたら詰む
4. サーリハを人質にする => なんとなくサーリハも強者のオーラがあるんだよな
5. 目の前にあるナイフで――
「サーリハ、××××、××××ザジ」
脳内選択肢が出尽くす前に、ハヌマーンがサーリハに何やら言う。
「アー。ザジ、ハヌマーン言ってる。翻訳する、私」
「お、助かる」
やったぜ。ハヌマーンは見た目怖いけどいい人っぽいし、偉い人っぽいからちゃんと話しておきたかったんだよね。
なお、こっからはカタコトだとちょいわかりづらいので俺の意訳ね。サーリハの口調は可愛いのでそのままにしとくけど。
「で、資格なしでドジョウを殺したことについては罰は無い、ってことでいいっすか」
「アー。ゲイルはお前が自殺しようとしたんだと思って慌てただけで、罪に問われるとかそういうことはない。なぁ、ゲイル」
「アー」
「あ、そうなんすか。サンキューゲイル! 心配かけてごめんよ」
俺がゲイルに頭を下げると、サーリハは律儀に翻訳してくれた。
ゲイルは気まずそうに顔を逸らした。
「……冷静になってみたら、お前が自殺なんてするわけない。わかりきったことだ」
「妙な信頼どうも。それでも心配してくれたんだ。コオプクンターイ、ゲイル! いい機会だから言っとくと、俺、ゲイルにめちゃめちゃ感謝してるんだ」
「行き倒れを助けるのは料理人の義務だ。俺でなくともそうした」
へー、料理人の概念もちょっと違うっぽいな。
「それでも俺を拾ってくれたのはゲイルだから。まじで餓死する寸前だったんだぜ」
「礼はもういい……」
「おいおいお前ら、俺を無視していちゃついてんじゃねぇよ」
「いちゃつくって……」
ハヌマーンがガハハと笑って言った。
すみません、ゲイルのことは好きだけど、髭の筋肉だるま親父は俺の好みじゃありません。
「それで、だ」
「はい」
「これからお前どうするんだ?」
「どうする、とは?」
「自分の店を持つのか、誰かの店――例えばゲイルの店で働くのか」
「あ、どっちも無理っすね」
と、俺がそう返事すると周りがザワっとした。