「アホかーーーッ!」
「待て待て、何も逃げなくてもいいだろ?!」
「逃げるわ! ふざけんなーーッ!」
深夜、俺はサンズの家から飛び出した。
▽
サンズの家は大通りの面した長屋の2階だった。
一部屋しかないし、ものすごく狭いけど、一応簡易キッチンとかもあってなかなか居心地のよい空間だ。
部屋は板張りで、籐だか伊草だかで編まれた薄っぺらい座布団が敷かれている。
ゲイルの家は木造で、しかも畳だった。日本の様式とは全然違う琉球畳っぽい畳だったけど、あれってやっぱり贅沢品だったんだなー。
まぁ植物を採取するのも人数の少ない料理人が手作業でやってるわけで、そうなると金額も高くなるだろう。
建築に必要な木材だけはしかたないとして、調度品一つとっても金属製のものが多く、生物由来のものはなるべく避けるのが普通なようだ。
だから、ちゃぶ台とかの板もちょっと薄っぺらい。分厚ければ分厚いほど高級、みたいな認識なのかもしれない。
鍋(カザン)持ちの店のカウンターだと分厚い木材が使われてたりするから、やっぱり料理人のほうがちょっとお金持ちなのだろう。その程度しか差を感じないあたり、生活水準の差は小さいっぽいけど。
ばちんと電灯がつけられる。
裸電球っぽいのが天井から吊り下げられてて、半透明のランプシェードがなかなかいい雰囲気。多分、薄く剥いだ貝殻とか豚皮とかから作られてるんだろう。
そういや電気があるんだよな、この世界。
つまり発電所があるってことで、なんか意外。
スマホの充電とかしたいけど、いまいち得体が知れないので今のところは手回し式の充電器を使ってる。移動中も暇さえあればぐるぐるしてた。疲れる。太陽光発電のやつ持って来てりゃ楽だったろうなぁ。
キョロキョロ見回していたら、サンズに「あんまりジロジロ見るな」と言って止められた。
だって、ゲイルんちとは建築様式とか色々違うんだもん、面白くってさ。ついね。
サンズが「まぁ飲め」とお茶と茶菓子もを出してくれた。
そういや俺、ゲイルんち以外の建物で泊まるの初めてだわ。
「ごく。お、なんか珍しい味のお茶だね」
「なんだ、飲むのは初めてか?」
「うん、ちょっと癖があるけど悪くない」
飲むと喉のあたりがちょっと熱くなる。頭がぼーっとする感じ。
茶菓子もスパイスの香りのするクッキーみたいなやつ。なんか木の皮みたいな風味だけど、これも悪くない。
「ザジは、これからどうするんだ?」
「んー、とりあえずマツーラまで行って、それから外国を回ろうかと思ってる」
「外国に? へぇ、×××だな」
「×××?」
「えーっと、変わってるな、って意味だ」
「ああ、×××は『酔狂』みたいないかんじか。うん、ザジ覚えた」
お茶を啜る。
なんかふわっとしたいい気分になる。
これ、お酒とか入ってないよね?
「なんで
「国(ラジャス)内を旅行するならまぁ珍しくはないかもしれんが、外国となるとな。国によってはあまり歓迎はされない場合もある」
「へぇ」
「だが、ザジなら大丈夫だろ。俺も気づいたら警戒するのを忘れてたぞ」
サンズもお茶をすする。
「ザジ、お前ちょっとおかしいぞ」
「え、どの辺が?」
「言葉が違うのもこの辺じゃ珍しいし、いろいろだ。てっきり他国からの間諜かと思ったぞ」
「まぁたしかに……で、もう誤解は解けた?」
「お前みたいな目立つ間諜が居てたまるか」
はははは。
そりゃそーだ。
「だが、マツーラは遠いぞ。早馬を使えば数日だが、歩きだと……」
「ああ、うん。実は馬を貸してくれるって話もあったんだけどね。いろんな街を見てまわりたくて断った」
「はー、やっぱり酔狂だな」
まぁ、異文化を楽しむなんていうのは、生活に余裕がある人間の発想だからな。
この世界はとても豊かだが、生活が楽なわけではない。
貧困とは縁遠いとはいえ、生きていくために必要な労力が日本とは桁違いに大きい。
前世じゃ、食うにも困るような貧困国を訪れたこともあった。
ただ、貧乏旅行者とはいえ俺は日本人だ。つまり、相手にとっちゃ「超金持ち国の人間」という認識になる。あまり好意的な目を向けられることはなかったし、盗難などのリスクも高かった。命の危険もあったし。
それに……あまり見たくない光景を目にすることもあって、俺は次第にそういう地域を避けるようになっていった。
きっと、俺は「その文化で幸せに生きている人」を見たいんだろう。
贅沢だし、偽善的だとも思う。でも、俺が彼らの生活をよくできるわけでもないし、相手にとっても俺みたいな異邦人は目障りだ。ならば選択肢からは除外される。
といっても、お金がない場所 = 治安が悪いということでは全くない。なんならお金持ちの国のほうが治安が悪い場合も十分にある。どこの国とは言わんが、警察に賄賂を要求されるなんてのは日常茶飯事だ。
逆に、少数民族の集落なんかに行くと、めちゃくちゃ歓迎してくれたりする。
めっちゃ楽しいし、相手も嬉しそうにしてくれる。
集落の名物を自慢げに教えてくれたりして、それがすんごく楽しいのよ。そういう場所に限って、びっくりするようなものもたくさんあって見どころ満載。
貰うばっかりで、俺のほうから何かお返しできるわけじゃないけど、せめて迷惑をかけないようにしつつ、めちゃくちゃ大袈裟に喜んだりして、感謝を伝えるようにしている。
最後には、大抵「あなたのことは忘れない」と言って泣いてくれる。「きっとまた来てね」とも。
そういう地域をまわれば回るほど、俺は旅の魅力から逃れられなくなっていった。
毎回、去り際は涙涙のお別れになるけれど、俺がそこで感じたすべては、俺の永遠の財産だ。
▽
「はぁ……今日は楽しかった。めちゃめちゃ食ったわ」
「すごい量食ってたよな、お前。その細っこい体のどこに入るんだ?」
「いや、ぶっちゃけちょっと食い過ぎた。……苦しいけど最高」
「変なやつだな……」
サンズが呆れた顔でお茶を啜る。
そんなに大量に飲んで大丈夫なものなのだろうか。
「あー……ちょっと眠くなってきたかも。頭もなんかふわっとしてるし、なんだろこれ」
「ああ、そろそろ効いてきたか?」
「ん? どゆこと?」
「茶だよ、茶。クッキーもだが」
「え? あ」
あー、なるほど?
「このお茶って、もしかしてアレなやつ?」
「あれ? わかってて口にしてたわけじゃないのか? そうだぜ、このあたりじゃよく飲まれてる薬茶だ。精神を解放する効能がある」
「へぇー」
たしかに、頭がふわふわして、ちょっとだけ気持ちいいかもしれん。それに視界がゆらゆらしてる。
まぁ、植物の中には、精神作用のあるものも少なくない。大麻とかアヤワスカなんかは有名だけど、それ以外にも実はいっぱいある。なんなら身近な植物にも。
バックパッカーの中には、そういうのを目的に旅してるやつも多い。マジックマッシュルームとか、マッドハニーなど、珍しいドラッグを求めて秘境を目指すのだ。
ただ、残念ながらその手のバックパッカーが VLog を公開してたせいで、変な連中が押しかけて少数民族の人たちが困ってたりもすることもある。
そうした薬草を神聖視している地域は多い。それを面白半分で試しに来られるのは、そりゃあ迷惑だろう。
逆にそれを売りにして外貨を稼いでたりする地域とかもあるから、ことさらに批判するつもりはないけど、俺とは相容れないというか、俺は純粋に旅を楽しみたいんだよね。
つまり、俺にはドラッグは必要ない。
なぜって、生きてることが、ハイだから。
「ごめん、俺、その手のやつは口にしないって決めてんだよ、せっかくもてなしてくれたのに申し訳ないんだけど……」
「なんだそうか。なら無理はすんな」
「これ、そんなに強いやつじゃないよね?」
「ああ、明日に残るような類のもんじゃない。酒と同じようなもんだ」
「だよね、よかった。ごめんけど、お茶とクッキー残させてもらうわ」
「ああ、いいぞ。置いとけ置いとけ」
「あと、お水もらえる?」
「おう」
あわわ、頭くらくらするぅ。
瞳孔が開いてるのか、ちょっと眩しいし、視界が虹色に滲むぅ……。
「眠い……」
「そうか。じゃ、ちょっと早いけど、そろそろ始めるか?」
「へ? 始めるって何をさ」
「おいおい、わかってるくせに言うんじゃねぇよ、××××か?」
「へ? どゆこと?」
「どっちが先にする? 先に俺が××ってやろうか?」
「だから、××るって何をさ」
なんかゆらゆら怪しい視界の中で、サンズが自分のパンツを下ろし始めた。
「そりゃ、××××だろ。ほら、お前も早くパンツ脱げよ」
………………。
シ ナ プ ス 繋 が っ た わ。
「アホかーーーッ!」
「うおっ?! いきなりなんだ?!」
「冗談じゃねぇ! そんなつもりで来たわけじゃねぇよ!」
「はぁ?! デートして、宿も取らずにわざわざウチに泊まりにきたってことはそういうことだろうが!」
「デートじゃねぇ! 百歩譲ってデートだったとしても、そんなつもりはねぇよ!」
「なにぃ?! えっ、お前もしかして本当にわかってなかったのか!?」
「当たり前じゃアホんだら! いいからパンツ履け! 見苦しんじゃーッ! ああああ、頭くらくらするぅ……!」
「え、え、これって俺が悪いのか?! いやいや
「これが落ち着いてられるか! ああくそ、親切にされたからって気を緩めすぎた……! ああああクソがッッッッツ!」
「いやいやいや……俺は純粋な親切心でだな……!」
「何が親切心だ! そういうのは下心っていうんだ!」
「いや、俺はてっきりお前もその気なのかと……じゃあ、いっそ一度試してみるってのはどうだ? そう悪いもんじゃねえぞ?」
「試 し て た ま る かッ!! 俺は帰る! じゃあなサンズ、お世話になりました!」
「待て待て、何も逃げなくてもいいだろ?!」
「逃げるわ! ふざけんなーーッ!」
▽
かくして、俺はサンズの家から飛び出した。
くそー、ド腐れ変態野郎め、ぶん殴ってやればよかった!
シャンカルに言いつけてやるからな!